長崎出身。後藤多仲の次男として生まれる。大村藩士の岩永勝馬(M29.10.8没 同墓)の養子。 慶應義塾に学び1870(M3)留学生として英米に遊学、帰朝後三菱会社に入り、1885郵船会社に転じ横濱支店支配人、本店支配人を経て、1899専務取締役となる。 1911病を以て職を退くまで海事事業に従事すること30年、郵船会社故に斯業界に貢献するところ甚だ多かった。享年62。 勲四等に敍せらる。墓所は東京本郷駒込吉祥寺に葬られたが、染井霊園に移り、ついで多磨霊園に改葬された。
<日本人名大事典1巻394頁><五輪塔様より情報提供>
*1890(M23)のちに同盟通信社長で貴族院議員として活躍した岩永裕吉を養子として迎えた。 墓所内には裕吉の碑が建つ。墓誌もあり省一と裕吉の名が見れる。
第279回 近代的通信社創設の立役者 同盟通信社 初代社長 岩永裕吉 お墓ツアー 海事事業 岩永省一
岩永裕吉、 岩永信吉