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いわなが しんきち

岩永信吉

いわなが しんきち

1911(明治44)〜 1982.3.4(昭和57)

昭和期の実業家、通信事業家

埋葬場所: 9区 1種 4側 7番

 大連出身。父方祖父は海事事業家の岩永省一(同墓)、母方祖父は獣医学者の田中宏。父は同盟通信社初代社長の岩永裕吉、鈴子(共に同墓)の長男。
 1935(S10)東京帝国大学法学部政治科卒業。父没後に同盟通信社2代目社長の古野伊之助が敗戦に伴う解体を予測し同盟通信社を一般報道部門の「共同通信社」と経済報道部門の「時事通信社」に分社した。
 '46 共同通信社入社。海外特派員、整理部長、欧米部長などを歴任。'54.6〜'55.12 ニッポン放送報道部長。共同通信社に戻り編集局次長、企画委員、特信局次長。'64 共同通信社総務局長、'65 特信局長、'66 常務理事、'68 常勤顧問を経て、'69〜'71 電通取締役を務めた。
 この間、NHK 解説委員。日本とメディア交流がなかったサウジアラビア等のアラブ諸国との交流を提案し「日本アラブ記者会」の発足するなど尽力した。
 主な著書に『報道・教養番組』(1956)、『放送ことば事典』(1958)、『物語・通信社史』(1974)などがある。享年70歳。

<『放送ことば事典』著者略歴>
<人事興信録など>


墓所 碑

*正面「岩永家之墓」、裏面「昭和十七年七月吉日 岩永陽一 建之」。左側に墓誌が建つ。右側に「岩永初代社長ノ霊ニ捧グ」と題し岩永裕吉の略歴が刻む碑が建つ。

*岩永信吉の妻は清(きよ:H19.7.11歿・行年92才)は岩井貞麿の長女。1男2女を儲ける。長男の岩永陽一(1954生)は共同通信社常務取締役などを務めた。墓石建立者が岩永陽一と刻むが、建立年月日には陽一はまだ生まれていない。なお、長女の礼子は東芝の田中俊太郎に嫁いだ。二女は照子。

*祖父の岩永省一没後の墓所は東京本郷駒込吉祥寺であったが、その後、染井霊園に移り、1942(S17)多磨霊園に改葬された。


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