武蔵国江戸(東京)出身。幕末の航海術の権威である石渡栄治郎の長男。妻は鉚子(りう・同墓)。長男は政治家の石渡荘太郎(同墓)。
1876(M9)慶應義塾卒業。1884東京帝国大学法学部英法科卒業。同年に司法省に入省して記録局翻訳家詰となる。1886欧州に留学、帰国後は東京控訴院検事、大審院検事となる。1899ベルギーの万国監獄会議に派遣される。同年、慶應義塾大学法学部政治科教授(刑法担当)。法学博士。法典調査会刑法起草委員。'03.5.21旭日小綬章・金杯一個を賜る。
民事局長、司法次官を経て、1906.1.7第1次 西園寺公望内閣の書記官長に就任(〜'08.1.4)。同.4.1勲二等旭日重光章。'07.12.10貴族院議員に勅選される。'12.4.9名誉職である錦鶏間祗候(きんけいのましこう)となる。'13学校法人日本大学第一学園の創立に功労し、また東京瓦斯会社社長になり同社の整理に尽力した。'21.7.1第一回国勢調査記念章。'34(S9)枢密顧問官。同.5.31勲一等瑞宝章。享年77歳。
*墓石は和型「石渡家之墓」。裏面に「昭和十三年十一月 石渡荘太郎 建之」と刻む。墓誌はない。妻は鉚子(りう)。
*墓所入口右側に「石渡敏一・鉚子の像」が建つ。この像は、1933(S8)山本豊市の作で、2011(H23)石渡荘太郎家よりこの場所に移設した旨のプレートが貼られている。
*石渡敏一の父は石渡栄次郎。石渡敏一の妻の鉚子(りう)は旧幕府海軍の徳田幾雄の長女。子は6男4女を儲ける。長男が石渡荘太郎。二男の敬二郎は徳田家に養子。三男の石渡六三郎は北支那開発や英語翻訳者。四男の石渡忠四郎は日本勧業銀行や国民金融公庫副総裁。五男の石渡慎五郎は満州国官僚。六男の石渡達六郎は日本哺乳動物学会で活動。長女は早死。二女の葉は住友化学社長を務めた実業家の大屋敦に嫁ぐ。三女の音羽は木村房五郎に嫁ぐ。四女の球は遠藤完太郎に嫁ぐ。