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いしまる じゅうじ

石丸重治

いしまる じゅうじ

1902.5.12(明治35)〜 1968.12.12(昭和43)

昭和期の美術評論家

埋葬場所: 2区 1種 4側 15番

 島根県出身。鉄道技師・政治家の石丸重美、糸子(共に同墓)の長男。母方祖父は海軍少将の柳楢悦であり、母の弟で叔父に民藝運動の父と称された美術評論家の柳宗悦がいる。妻の かよ(同墓)は柳宗悦夫人で声楽家の柳兼子の妹にあたるため柳宗悦とは義兄弟でもある。
 府中一中在学中より「青銅時代」を創刊するなど評論に携わる。この府中一中時代の同期には、首相秘書官を務めた迫水久常(9-1-8)、文芸評論家の小林秀雄、五輪馬術の金メダリストで軍人の西竹一(バロン西)らがいた。小林秀雄とは同人誌「山繭」を主宰するなど、叔父の柳宗悦の民藝運動に関わることになる。1927(S2)慶應義塾大学英文科卒業。
 その後、慶應義塾大学教授を務めながら、美術評論家として活動した。著書に『英国の工芸』(1930)、『英国教会本寺考』(1953)などがある。
 慶應義塾長の高橋誠一郎が文部大臣の際に秘書官を務めた。また慶應大学野球部部長、日本学生野球協会副会長を歴任し、東京六大学野球の発展に尽力した。胃がんにより逝去。享年66歳。佐藤朔の編集で評伝『回想の石丸重治』がある。

<20世紀日本人名事典>
<人事興信録など>


石丸重美之墓

*墓所には二基。大きい墓石は和型「石丸重美之墓」、左面から裏面にかけて略歴が刻む。右面は戒名「自院殿實道宗勲大居士」と没年月日が刻む。入口正面の小さい和型「石丸家之墓」、裏面「昭和四十四年三月 石丸常雄」。その右手側に墓誌が建つ。石丸重治の戒名は「自院直心市照居士」。妻は かよ(H2.7.31・行年87才:旧姓は中島)。墓所に建つ灯篭には「大正十三年十月」と刻む。 *ヨミを「しげはる」とする文献もある。


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