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いしい ただとし

石井忠利

いしい ただとし

1863(文久3.10.20)〜 1947.11.12(昭和22)

明治・大正期の陸軍軍人(大佐)、著述家、教育家

埋葬場所: 10区 1種 15側

 秋田県出身。1887.3(M20)甥の石井一誠(亡兄の石井雄五郎の長男)の後を相続した。
 1887.7 陸軍砲兵少尉に任官。砲兵少佐のときの日清戦争(1894-1895)前後に清国に駐留し、著作として善隣譯書館より『戦法学』『日本警察新法』を刊行した。1896『陸軍軍人石井忠利漢詩幅』、1898日清戦役前の将校、日清戦役後の将校を綴った『戦後の日本将校』を出している。
 砲兵大尉のとき参謀本部編纂部長を務める。1907.10.3 砲兵中佐のときに日本陸軍の内地19個師団体制に対応するため陸軍管区表が改正(M40.9.17軍令陸第3号)され、浜松連隊区を新設(1907.10.1)し、第15師管第29旅管に属した(〜1912.3.8)。静岡県の一部地域の徴兵・召集等の兵事事務を取り扱う。'12.2(M45)大佐に昇進。'13.3(T2)待命、予備役。その後は、学習院教授となった。従5位 勲3等 功4級。享年84歳。

<人事興信録>


墓所

*墓石は和型「石井家墓」。左側に墓誌がある。妻は峰(M4.5-S22.9.6:鹿児島出身・田中鼎輔の二女)。長男の石井康が外交官。石井康の妻の幸子(M35.7-S63.2.25)の父は官僚・政治家の石塚英蔵(8-1-17)の三女。二男の石井爽(M30.6-S11.1.3)は墓誌に経済学士と刻む。長女の冬は大蔵官僚の川越丈雄に嫁いだ。


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