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いぬまる みのる

犬丸 實

いぬまる みのる

1907.3.9(明治40)〜 1994.6.13(平成6)

昭和期の官僚

埋葬場所: 6区 1種 1側

 東京出身。実業家の犬丸鐵太郎(同墓)の二男。兄は文芸評論家の犬丸秀雄(同墓)、弟は判事の犬丸純男(同墓)。
 1930(S5)東京帝国大学法学部英法科卒業。内務省に入省。愛媛県属、社会局属、鳥取県事務官を歴任。'36 帝室林野局に転じ、土地課長、監理部会計課長を経て、'41.5 宮内書記官、大臣官房庶務課長を務める。
 戦後、'46〜'48 宮内省、宮内府の総務課長を務めた。また、'59 行政管理庁事務次官に就任すると、臨時行政調査会の事務局長も兼務、行革に先鞭をつけ、第一次臨調を成功させた立役者だとされた。済生会理事長もつとめた。
 '77.4.29(S52)勲1等瑞寶章。享年87歳。従3位追贈。

<大衆人事録東京篇>


墓所 墓所

*墓所には二基並ぶ。右側が「犬丸鐵太郎 / 室 恒 墓」、左側は「犬丸家之墓」。墓所には2基墓誌が建つ。入口正面の大きい墓誌には犬丸鐵太郎一族が刻む。鐵太郎の妻で母は恒(M14-S33.6.28)。恒は赤穂藩士・津山藩士の儒学者の鞍懸寅二郎の孫(母方祖父)、東京帝国大学教授・無教会伝道者の江原萬里の姉。恒の隣には二男の犬丸實が刻み、「昭和五十二年四月二十七日勲一等瑞寶章 平成六年德月十三日従三位」と刻む。實の妻は とよ子(H9.1.13歿・78才)。弟(三男)の犬丸純男は「判事」と刻む。墓石と向き合った墓誌も建つ。洋型墓石で本来表面であろう裏面「犬丸氏」、左面「昭和四十七年三月 犬丸秀雄建之」。こちらは兄(長男)の犬丸秀雄一族が刻む。秀雄には「正四位」と刻む。妻は由紀子(H22.12.21・行年96才)。なお、こちらの墓誌にも母の恒が刻む。

*「犬丸家之墓」墓石の裏面には下記が刻む。「犬丸氏姓藤原出自 門白道兼九世清玄為豊前下毛郡犬丸城主因氏焉 天正十六年越中守清俊陣亡墓在同郡西秣 慶長十九年子秀俊始仕備前候以至 明治維新三十一世鐵太郎移居干 東京昭和十一年築塋域於多磨墓地 先塋在岡山城北半田山」


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