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いまだ ちから

今田主税

いまだ ちから

1853(嘉永6.7.19)〜 1930.3.29(昭和5)

明治・大正・昭和期の漢学者

埋葬場所: 12区 1種 12側 20番

 江戸出身。郡山藩の武芸指南で黒川奉行を勤め、廃藩後は国樔郷の連合小学校長を務めた今田正儀(同墓)の嫡男(第二子)として江戸芝藩邸で生まれる。名は正虎、字は主税、号が買劍。全てつなぎ合わせた「買劍今田主税正虎」と表記することもある。
 幼い頃から剣法学や柔道を習い、また、父に学び、漢学を研究する浪人生活を送った。詩人の副島蒼海など交友は多く、特に、ご近所の縁から家族ぐるみの付き合いをしていた思想家の中江兆民との親交は厚かった。晩年は玄洋社の総帥の頭山満らと交友をもった。
 福岡藩士で攘夷派志士の平野国臣の研究家としても知られ、1892(M25)『国士模範平野国臣伝』を著わした。他に『靖献遺言摘注』などがある。享年76歳。
 妻の今田町(同墓)は奈良県鷲家口で医を業としていた久保耕庵の末女。父の今田正儀の塾生であり、その縁で後に主税と結婚する。その間、早期の女子高等師範学校卒で後に日本の女子教育の先駆者といわれる津田梅子の友人でもある。 長年日本を離れていた梅子に国語を教えたことがある逸話を持つ。「母を思う」シリーズで『嗚呼世になき母よ』の作者。1男6女の子を儲ける。長男の今田新太郎(同墓)は陸軍少将。

<買劍今田君碑などより>


墓所

*墓石は和型「今田家之墓」。右側に碑が二基建つ。墓石の近くから、「今田正儀翁之墓表」(S6.9.3建之 西肥岡直養撰)、「買劍今田君碑」(S6.10.29建之 頭山満題額 西肥岡直養撰)。碑文の選出は西肥(さいひ)の岡直養(号は彪邨・虎文斎主人、字は子直、次郎と称す)は道学者である。墓所は渋谷寶泉寺から昭和5年5月25日改葬された。


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