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いちのみや とらお

一宮虎雄

いちのみや とらお

1909(明治42)〜 1975.9.13(昭和5)

昭和期の応用物理学者

埋葬場所: 10区 1種 4側

 大分県出身。父はジャーナリスト・政治家の一宮房治郎(同墓)。1936(S11)大阪帝国大学理学部物理学科卒業。同年、理化学研究所の仁科芳雄(22-1-38-5)の研究室に入り、サイクロトロン建設に参加し中間子の研究を行った。特にミュー粒子(ミューオン)の共同研究は高く評価されている。
 '45逓信省電気試験所技師となり、同所基礎部理学課長、物理研究室長を務めた。'57電電公社電気通信研究所次長となり、'58渡米、放射線利用状況を視察した。'60より同所茨木支所長を兼務。'63理化学研究所電気材料研究室の主任研究員となり、'73理化学研究所副理事長に就任した。この間、応用物理学会理事、監事を務めた。通研では精密実験室を建設、茨木では基礎設備設置に尽力した。真空管材料の研究で成果を果たす。著書に『放射線・原子核の物性工学』など。従4位 勲3等。享年66歳。

<20世紀日本人名事典>
<講談社日本人名大辞典>


いちのみや とらお

*墓所入口左側に「一宮家之墓」と刻む石柱。墓石は洋型「一宮家之墓」。右面に「昭和四十九年一月 一宮虎雄 建之」と刻む。裏面は墓誌となっており、戒名は理顕院虎喃雄俊居士、従四位 勲三等と刻む。妻は英子。同墓には父の一宮房治郎、母の澤子、海軍主計少佐(従6位 勲5等)の廣岡健次、海軍予備中尉(従7位 勲6等)の一宮三郎の刻みも見られる。


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