歴史が眠る多磨霊園 |
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東 武 | |
あずま たけし | |
1969(明治2)〜 1939.9.3(昭和14) | |
明治・大正・昭和期の | |
埋葬場所: 10区 1種 1側 16番 | |
号は牧堂(ぼくどう)。奈良県十津川郷士の家に生れ、東京法学院(中央大学)で学業を終え東京日日新聞に入社した。 在学中の1889(M22)に郷里が大水害に見舞われたため北海道へ集団移住を計画して住民説得に駆け回り、北海道空知支庁新十津川村開拓の道を開いた。 自らは菊亭農場支配人になったが、98石狩川大水害のさい、被災者救援に奔走したのが動機で政治活動に入り、浅羽靖らと北海道同志倶楽部を結成、その機関紙北海道時事の創刊に経営者として参画した後、第1期北海道会議員に当選、北海道開拓の促進に尽力した。1908から帝国議会に進出た。 衆議院議員、北海道第2区選出、当選10回。立憲政友会の中堅党員として活動、田中義一(6-1-16-14)内閣の農林政務次官、鉄道会議々員、農林省米穀局顧問、日本競馬会設立委員、立憲政友会総務となる。シベリヤ派遣軍慰問議員団長として派遣される。一方、北海タイムスの経営者としても活躍し、僚友阿部宇之八の没後に短期間だが社長になっており、「政友会の東」「タイムスの東」として名をはせた。 <歴代閣僚と国会議員名鑑> *親戚であり武の養子となった同墓に眠る東季彦は、昭和期の北海タイムス新聞経営者であり法学者である。学園闘争時代に日大全共闘を相手に一歩も退かなかった強硬派理事で有名であり'62年日大学長にもなった。商法の権威。墓誌に名が刻む。 | |
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