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あつも ようじ

厚母庸二

あつも ようじ

1894.10.24(明治27)〜 1973.3.26(昭和48)

大正・昭和期の実業家

埋葬場所: 11区 1種 23側

 東京世田谷出身。1919(T8)東京帝国大学工学部採鉱科卒業。同年、日本有数の産銅会社である久原工業株式会社に入社。大正時代に会社は国内の鉱山を20以上買収し高成長を続けていたが、昭和初期には銅市況の低迷と鉱況の悪化によって経営不振に陥り、'28(S3)創業者である久原房之介は義兄である鮎川義介(10-1-7-1)に会社を引き継いだ。鮎川は特殊会社として日本鉱業株式会社を設立し、厚母も継続して同社で働いた。
 戦後、'45(S20)日本鉱業株式会社の取締役に補される。'47同社常務取締役となる。'54工学博士。'57豊羽鉱山株式会社取締役会長に就任した。また日本鉱業株式会社の顧問も務めた。'58公益社団法人日本オペレーションズ・リサーチ学科の副会長を経て、'59第3代会長に就任(名誉会員)。後継者に東洋レーヨンの袖山喜久雄(4-1-2)を副会長に抜擢した(袖山は在職中に急逝)。'65日鉱不動産株式会社顧問などを務めた。享年78歳。

<日本オペレーションズ・リサーチ学会「故厚母庸二氏を偲ぶ」など>


*墓石は和型「厚母家之墓」。右側に墓誌がある。戒名は厚徳院春陽喜峯居士。妻は35歳の若さで亡くなったキク。


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