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あらき じっぽ

荒木十畝

あらき じっぽ

1872.9.3(明治5)〜 1944.9.11(昭和19)

明治・大正・昭和期の日本画家

埋葬場所: 16区 1種 15側

 長崎県大村出身。旧姓は朝永、名は悌二郎。1892(M25)東京に出て、荒木寛畝(同墓)に師事し、画才を認められ、翌年、寛畝の養嗣子となった。
 日本美術協会展で受賞を重ね、1899全国絵画共進会に『蘆鴨図』が3等銅牌。1903東京女子高等師範学校(お茶の水女子大学)教授。1910日英博覧会に『初夏』で金牌を受賞。以後、文展、帝展に『黄昏』『軍鶏』『寂光』などを出品し入選、文展、帝展審査員を務めた。
 1931(S6)インド仏蹟を巡歴。1938帝国美術院会員。日本画会顧問、文芸日本社顧問なども兼務。晩年は墨色に意を用いた作風を示した。 主な作品に、『渓流』『四季花鳥』『清研』『夏景山水』『園の秋』など。著書に『東洋画論』がある。門下は多く、西沢笛畝、森白甫、永田春水、亀割隆志、木本大果、松久休光、小林観爾らがいる。享年73歳。

<世界人名辞典 東洋編>
<森光俊様より情報・写真提供>


墓所

*墓石正面「開悟院殿十畝日顕居士 悠楽院殿妙静日悟大姉」。

*荒木寛畝、十畝の墓は新宿区弁天町・浄輪寺にあると本に書いてあるものが多いが、多磨霊園に浄輪寺とそっくりな墓が建つ。


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