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あかほし ともてる

赤星朝暉

あかほし ともてる

1867.3(明治14)〜 1934.6(昭和9)

明治・大正・昭和期の農学技師、教育者(農林)

埋葬場所: 8区 1種 14側

 山梨県出身。代々は熊本藩の重臣の家系。父が1862(M9)熊本から山梨に移住。母方の叔父の辻敬之は書籍出版業の普及舎を経営者。 後に哲学者となる鹿子木員信は幼馴染で、両家の父同士が仲良く、両者の名前の由来は甲斐の戦国武将の武田信玄の俗名である『晴信』からとられている。 『晴信』の「晴」の字を取り赤星朝晴(暉)と名づけ、員信の名前は『晴信』の「信」の字を取り、鹿子木家伝統の首字「員」字に結び付け鹿子木員信と名付けられたとされる。 生まれは山梨ではあるが、代々が熊本藩重臣であったこともあり、横井小楠の学風を受け、農学とともに、漢学の素養も深め、学徳を身につけていったといわれる。
 東京帝国大学農科大学を卒業。農学士として、新潟県農事試験場長、1897.9〜1899.3 農事講習所長、1898.12〜1899.3 県技師の現職のまま獣医学校長に任命され兼務した。
 1903.5.11 新潟県立農林学校開校に伴い初代校長に就任。1906.3 新潟県立加茂農林学校と改称後も初代校長として継任した。 教育精神は「青海精神」を提唱。教育の方針として、教室の学問と農場の実習による勤労の実践、及び寄宿舎の生活訓練による品性の陶冶の三つを一体とした人間形成の教育を確立された。 その教育は単なる職業教育ではなく、農村の指導者を養成するための人格識見を確立するための教育であった。
 1912.6〜1929.5 千葉県立園芸専門学校(千葉県立高等園芸学校)2代目校長に就任。1929.6〜1931.11 官立千葉高等園芸学校(千葉農業専門学校)初代校長を務めた。1932再び新潟県立加茂農林学校校長に転じたが、在任中に逝去。享年67歳。

<『星明』(戸定会報第十五号、赤星先生追悼号)』など>


*墓石正面び「赤星朝暉家墓」と刻み、裏面に「昭和九年六月建之」と刻む。

*没後翌年(1935)に高村光太郎の彫刻で赤星朝暉胸像「赤星先生像」が作られ、千葉県立松戸高等園芸学校(現在の千葉大学園芸学部研究棟前)に据えられ、12月に除幕式が挙行された。 高村光太郎は回想録で「自分として突込めるだけ極度の写実主義をやつてみたもので、一寸ドナテルロ風な物凄い彫刻である」と述べている。この像は戦時中に軍へ献納された。 '51(S26)再建された。再建された時に高村光太郎は存命であるが現存している「赤星先生像」が高村光太郎の作であるかは不明。


【加茂農林と赤星朝暉】
 日清戦争後の日本は「富国強兵」を国是として、新興日本を建設するために、国家の基礎を農業振興に置いた。当時日本一の農業県であった新潟県が全国に先駆けて加茂農林学校を開校した。加茂農林は明治農法といわれる新しい農業技術をもって、農村の中堅青年を教育するため大きな抱負と期待をもって設立したのである。
 1901(M34)に設立の決定をし、1903.5.11開校。4年制農学校 (高等小学校卒業者対象) 。日本を代表する農林学校であり、将来は高等農林学校をめざして、校舎や各種の施設を整備した。施設や教官の組織においても、当時の中等学校の水準を超えていたといわれる。開校当時は全寮制で、寄宿舎訓練を重視した。この学校の初代校長に抜擢されたのが赤星朝暉である。
 ある卒業生が、赤星に良い学校とは何かと尋ねたところ、「良い学校とは一ツ良い校舎・寮(演習林等の教育施設)、二ツ良い先生と生徒(品格ある教師・上級生と下級生)、三ツ良い伝統(建物と人物を貫いて流れる雰囲気・交響曲のようなもの)をもっている学校」と答えられ、特に三ツ目のよい伝統の形成が一番大切だと力説した。 新潟県農林技師・西蒲原農工公社社長となる高野幾多郎は、赤星の葬儀後に「先生は悪意というものが顕微鏡で見ても見出せない人であった。自分に悪意がないので、人の悪意を少しも感ずることができない人であった」と述べた。
 その後の加茂農林は、戦前は静岡県の中泉農学校、愛知県の安城農林学校と共に三大農学校と呼ばれ、全国から生徒が集った。'41.11本館が焼失。 '43中等学校令による3年制への年限短縮などが重なり、同窓会の農専昇格運動が本格化し、'45.2.27(S20)専門学校令により新潟県立農林専門学校設立認可され昇格が実現した。 たまたま加茂農林学校に大学研究室を疎開させていた東京帝国大学農学部教授の丹羽鼎三(12-1-17)が初代校長に任命(1945.2-1947.3)された。'48新制 新潟県立加茂農林高等学校となる。 また戦後学制改革で新潟総合大学構想に参加して、'49新制 国立新潟大学農学部 (農学科・林学科)の母体ともなった。2002(H14).10.26創立100年記念式典挙行された。


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