「敬仰忠烈(けいぎょうちゅうれつ)」またの名を「忠霊塔」ともいう。
敬仰(けいぎょう)=つつしみとうとぶこと。
忠烈(ちゅうれつ)=忠義の心で困難に打ち勝つという意味。
忠は「まごころ」、霊=烈、塔=碑 忠烈碑ともいう。
忠烈=忠勇義烈
忠義で勇気があり、正義の心が強く激しいという意味である。
「敬仰忠烈」の刻みの左隣に「東京都長官 陸軍大将 西尾壽造 謹書」と刻み、碑の裏面「昭和二十年三月建之 東京都」とある。
1944年7月25日、第36代 東京都長官として、予備役となっていた陸軍大将の西尾寿造(16-1-8)が任命され就任。同年11月24日から東京本土にもアメリカ軍による空襲が始まる。都民を鼓舞するために多磨霊園にこの忠霊塔を建立したが、建立した月の1945年3月10日、東京大空襲の惨事により100万人が罹災者となる。その後も空襲は続き、8月15日の終戦まで東京は計106回の空襲を受け焼け野原になった。