山陰・山陽の旅(その4)

 再び山陰へ  厳島―岩国―石見銀山

   二日間で世界遺産(当時は石見銀山はまだ)を二つ見ることになりました。やはり、世界遺産なるものはなる前に見るのが良いようです。

  (4月2日)

 コンビニで買ったサンドなどで朝飯を済まし、6時半に宮島口へ向かう。途中、事故渋滞があったが、地元の車の後について迷路のような抜け道を通る。

宮島口に7時に着いたが駐車場に誰もいないので適当に車を置いて、7時5分のフェリーで厳島に向かう。このフェリーは生活道のためか、340円と安い。

波も穏やか、神社の朱塗りの鳥居も海に映えて美しい。厳島神社は、安芸国一宮。祭神は宗像三女神で、日本で最も古い海の神の流れであり、北九州との関係を思わせる。日本三景の一つ日本三舞台の一つ世界遺産であり、平家納経や毛利氏の厳島の戦いなどなど有名だが、昨年の台風で舞台の左半分が完全にやられていた。鳥居と舞台の間は引き潮で鹿が渡ったりしている

あまりにも有名で、写真なども沢山あるので数枚にとどめたい。

 

           フェリーから見る厳島神社                  改修中の神社  

                     
                           干潟を渡る鹿

 ここから、弥山に行こうとしたら、ロープウエイが部分故障とか言う訳の分からぬ理由で運休中。(以前にも問題があり、再発したらしい)

仕方がないので、近くの大願寺を参拝。丘の上の多宝塔などを見る。本来なら桜が満開の季節であるが今は殆ど咲いていない。ここを下って、厳島神社宝物館を見。毛並みの悪い鹿を追い払いながら秀吉が晩年に建てさせたと言う千畳閣に行く。概観は立派だが未完成で天井など雑な造りである。傍の五重塔は改修中。

結局、8時40分のフェリーで戻ると、駐車場の親父が出てきてライトが点けっぱなしで心配していたと言う。どうやら、回り道などしてライトを点けたままになっていたらしい。 弥山に行けず早く帰ってきて幸いであった。

            

                    大願寺多宝塔(桜はまだ)                                             

      

      千畳閣と改修中の五重塔                         千畳閣の中(未完成)

岩国に向かい、錦帯橋には9時50分位に着く。河原が駐車場になっており、観光バスも多い。橋の対岸は吉香公園で桜の名所だが川筋の桜も含め、咲いている木は少ない。

 

                    錦帯橋全景(曇りで桜もまだ)  
                     

                        桜が美しいと言う対岸を見る

 

       岩国城を望む(中央山頂)                  吉見公園(ようやく桜が)

岩国城までロープウエイがあるが、厳島神社の予定が早まったので、この辺を省略して明日の予定の石見銀山まで今日中に行ってしまうことにする。

県道1号を抜けて、吉和ICから戸河内ICまで高速に乗り、その先を186号を北上し、ダムの傍の温井スプリングで温泉に入り、鮎にゅーめんなるものを昼飯に食い、すこし休んで186号をひた走る。

途中、2台のトラックがカーチェイスの如く、狭い道を60kmをはるかにオーバーする速度で、一般車を蹴散らして走っており、それについて快調に進んだ。しかし、浜田の町に入るとおばさん3人が乗った軽が50km以下で走っており、いらいら。

9号線から31号線に入り、石見銀山に向かう。途中の道は整備されている。すこし山に入った狭い道を行くと龍源寺間歩なる坑道跡が整備されている。世界遺産になった今ではおそらくここまで車で入ることは出来ないだろう。

この銀山は、鎌倉時代に発見され、大航海時代の世界屈指の銀山であり、龍源寺間歩は中でも最も大きいもので、鉱脈が葉脈状に走っており、主坑道から枝のように掘り進んでいる。

このような間歩が500以上も有ったらしい。最盛期には万を越す町ができていたと言う。戦国時代、尼子と毛利が争い、家康天領として以来、明治維新でしばし毛利藩に戻ったが、払い下げられて大正になって閉山された。

旧代官所跡の資料館、神社、五百羅漢などを見る。町並みも古い。精錬所や当時の住居、銀を運んだ道路から港までの道などこれから整備されるのだろう。

 

        龍源寺間歩入り口                         間歩の坑道

 

           古い町並み                             町の神社    

            

                    五百羅漢

戻って、近くの神社、町並みなどを見て、温泉津に戻る。ここは、銀山に近い古い温泉場である。宿の長命館は古い木造で、目の前の元湯(泉薬湯)に入る。元湯はこの温泉源で、湯本から直接、湯を湯船に引いている。左が「ぬるい湯」と書いてある方が44度位、右の「あつい湯」と書いてある方が46度位で、ぬるい湯でもとても長時間は入れず、あつい湯に入る人はいない。真ん中が「座り湯」でここに入るのがせいぜいである。

地元の人も遠くからやってきている。ひなびた細長い町であり、温泉宿も小さく、観光客なども殆どおらず、遊戯施設なども無く、古い町で昔の温泉宿のイメージがある。

 

     宿                       熱い温泉            温泉入り口                               古い宿、昔ながらの温泉の温泉津

宿で、飯を食っていると、ライトが附けっぱなしですよと言われる。駐車場は200mも離れていて人も通らないのによく見つけてくれたと感謝。

ライトを消しに行き、途中の店で「いも代官」なる焼酎を買う。いも代官とは、享保年間、石見代官になった井戸平左衛門が、享保の大飢饉で農民が苦しんでいるのを見て、幕府に頼み、薩摩から唐いも(サツマイモ)を取り寄せ、栽培させた。
その後、彼は飢饉がひどくなると幕府に無断で蔵米を農民に放出し、責任を取って切腹した。これを称えた顕彰碑、井戸神社などがこの地方一円に
あると言う。
ライトを消し忘れたおかげで勉強になったが、一日、二回は頂けない。

(この日277km)

目次へ     その3へ     その5へ