山陰・山陽の旅(その2)

                      思い出の道(その2) 天橋立―城之崎

 新婚旅行で通った山陰本線舞鶴線、製品を納入するのに何回か行った播但線など、今回は幾つかの思い出がある道を車で通ることになります。

天橋立に行くのに当時は、国鉄でしたが今は第三セクターの北近畿タンゴ鉄道になっています。

(3月30日) 

 国民宿舎城山荘を早起きをして風呂に入ると今日は快晴。後ろの城山公園に行く。ここは海に突き出た小さな山で、室町時代、この地方を支配した逸見氏が城を築いたと言う。

海に突き出た山城というのは珍しいものとか。風景が良く、足利義満などもここを訪れたらしい。

                 

                    城山公園から見た若狭富士(青葉山)

 7時半過ぎに、城山荘を出て27号線で舞鶴市を過ぎ、175号から178号に入り、由良川に沿って河口に下る。対岸は、第三セクターとなった北近畿タンゴ鉄道が通り、河口でこちらに渡ってくる。

この鉄道は、中々風情のあるなと思っていると、丹後由良駅入り口という看板があったので寄って見た。

駅前は綺麗に整備され、平成3年に作られたと言う駅舎は、ヨットを象ったものだとか。鉄道が出来た頃に植えられたと思われる桜の古木があるが、まだつぼみである。ここも桜が遅い。

丁度そこへ、ジーゼル車が来た。一両のワンマンカーで、今は無い日立電鉄並みであるが車両は綺麗で、学生などが大勢乗っていた。

   宮津線由良川鉄橋を渡るジーゼル車               丹後由良駅 

                          

                         丹後由良駅に着くジーゼル車

(北近畿タンゴ鉄道)

 ウン十年もの昔、新大阪着13:10。そこから丹後1号に乗り換え、綾部、西舞鶴を経由し天橋立に行った。それは新婚旅行の初日であった。当時、今は無き丹後1号は、山陰本線から舞鶴線に入り、西舞鶴で敦賀方向と豊岡方向に車両を分離して走っていた。西舞鶴から宮津方面が、今の北近畿タンゴ鉄道である。この時は、綾部から西舞鶴、宮津と乗り、天橋立に泊まったのである。

国鉄の合理化に伴い、西舞鶴―宮津―豊岡間と福知山―宮津間の2路線が第三セクターの北近畿タンゴ鉄道として営業され、福知山―宮津間は電化されて天橋立への鉄道ルートとなったのは、平成8年とのことである。

               

                          北近畿タンゴ鉄道

 鉄道と併走すると天橋立はすぐだが、面白くないので栗田湾から宮津湾に挟まれた半島の海岸線を走る。ここから見た天橋立も中々良い景色である。

                 

                                             黒崎側から見た天橋立

  天橋立に着き、智恩寺の入り口の店に駐車して、智恩寺を参拝し、橋立側に渡ろうとすると、旋回橋が通行止め。丁度、船が来る。日本冶金の船が原石か鉱碎かをつんだバージを引いて通過した。昔来た時は、観光船で傘松公園側に渡ったが今回は一人で自転車で橋立の松林の中を走る。

途中、周りが海でも塩分を含まないという磯清水などの名所を通ったが、普通なら参道で走りやすい道も、台風や病害でやられた松を伐採したりして工事車が入っていて道がでこぼこ、さらに風が強く乗り辛かった。

     

          智恩寺山門                           智恩寺本堂

 

        旋回橋を通る鉱石バージ(上が橋)                磯清水 

                        

                                        橋立の参道(工事で荒れている)

 自転車はオーバーチャジとなるがそのまま、籠(この)神社へ向かう。ここは丹後一宮で立派な神社である。

この神社も渡来人との関係が濃厚で、またの名を元伊勢籠神社と言い、もともとは、豊受大神を奥宮に祭っていたが、天照大神がこの地に来て、一緒に祭り、その後、天照大神が伊勢に移ったので、その後を追って、豊受大神も伊勢に移ったので、元伊勢という名があるとのこと。

現在、主神は彦火明命で、相殿に上記の神他を祭っている。この辺の関係は複雑で、幾つかの神話が合体しているらしい。大江山の鬼退治なども、渡来人同士やと縄文人などの抗争が元になっているのだろう

この豊受大神も、若狭彦などと同じ時代の渡来人の神であったと思われる。本殿は伊勢神宮と同じように神明造りである。

また、現在の海部宮司家は84代目とかで国宝で日本最古の家系図に乗っている。

 

           籠神社参道(橋立へ続く)                  本殿

神社を参拝し、横のロープウエイで傘松公園の展望台に行く。ここから股の間から見る天橋立は有名で、昔のことを思い出した。

 

        傘松公園展望台から今の姿                当たり前だが昔は若かった

 再び、橋立の松の中を自転車で戻り、阿蘇海に沿って岩滝町を進み、町営のクアハウス岩滝による。ここは日帰り温泉だが、フィットネスクラブ的な雰囲気である。すこし休んで出発したが、後で気に入っていた帽子を忘れたのに気がついた。

さらに進むと、丹後国分寺跡京都府立丹後郷土資料館があったのでよってみる。資料館の建物は立派だが展示はたいしたことはない。傍の移設した古民家が立派である。国分寺跡も礎石のみで説明も不十分。

 

        歴史資料館 (カタログから)               古民家(屋根が独特)

 さらに進むと、籠神社の手前に、西国33ヶ所28番札所の成相寺入り口があり、山道を登ると、立派な寺である。本尊は正観音菩薩左甚五郎の竜など他にも色々なものがある。

まだ新しい五重塔の傍には雪が残っている。庫の横からの天橋立の眺望は素晴しいと書いてあるが風が強く、雲も多くなりよく見えなかった。ここから林道を通って行くと経ヶ岬方向は近いはずだが、昨年の台風と大雪の為お勧めできないと言うので、元に戻ることにした。

        

          成相寺本堂                            雪の残る五重塔             
 元に戻り、178号線を海沿いに行くと15kmほど進んだ所が伊根町の本田地区。ここの道は狭く、両側が二階家で車がすれ違えない所あり、ずいぶんと時間を食った。

海岸に面した二階家は、一階部分が船を収納する舟屋造りという独特の構造である。さらに15kmほど進むと経ヶ岬である。灯台と展望台までは歩いて400m位だが、風も強く、自転車など漕いだりしたためかえらく疲れた。途中の道も、台風と豪雪で木がなぎ倒されている。

この灯台は、全国で6箇所しかない第一級レンズを使った灯台だという。

 

         伊根町の舟屋つくり               経ヶ岬灯台(ここまで400mの遊歩道)   

                 
  
                                丹後の海岸

 ここを2時過ぎに出て、50kmほど178号線を海沿いに進み、久美浜湾の所から、県道40号、11号、9号と城崎に向かう。

いずれも峠越えの狭い道であった。ようやく、城崎大橋に出て、円山川を見ながら城崎温泉に着いた。時間は5時過ぎになった。

 宿泊するみよし旅館は、町の真ん中にあるが、徹底した素泊まり旅館である。現代の木賃宿と言っても良いだろう。

親父に聞くと、ここの外湯に入る切符の権利は、入会金250万円、月8万円の会費を温泉組合に払う必要があるという。その代わり、幾ら入っても良いので、いくらでも切符を差し上げますと言う。

とりあえず、7枚(外湯が7箇所ある)くれたが、今夜は、ワールドカップサッカー予選であり、疲れてもいるので、缶ビールなど買って飲みながら、親父推奨の駅の近くの「里の湯」、途中の「地蔵湯」、目の前の「一の湯」に入る。飯など食いながらサッカーを見る。1:0で勝ち、気分良く再度目の前の「一の湯」に入った。

                                   

                              城崎にて

(この日 181km)

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