四国の旅(その2)

                 橋を渡って、古代から中世を

 今日(3/14)は3日目で快晴、娘が明日、岡山総社から帰るので、早起きで高松を出発。
栗林公園などは、二人とも見ているので省略です。

県道16号を西に進み、根香寺(第82番札所)に行きました。この辺り一帯を五色台と言い、赤、黄、黒、白、青の五つの峰があり、弘法大師が命名したと言います。

根香寺はその中の青峰と言う標高430mほどの山の中に在ります。朝早いので、さすがに麓から歩いてくるお遍路さんはいませんが、マイクロバスで来て、バスの中で着替えをして、出かける準備をしている一団がいました。最近は、88箇所巡りがトレンディなのでそれも良いでしょう。

     根香(ねごろ)寺                     伝説にある牛鬼

 牛鬼の伝説は近畿から四国地方に伝わっていると言い、頭が鬼、又は牛、体が鬼、蜘蛛など色々なパターンが有るようである。
淵などに住み、或いは、寺などに出没して人を食うと言う。吉備の国の鬼とは大分違うようである。

 ここから、山をめぐって、五色台の西端の白峰にある白峰寺(第81番札所)に行きます。
ここは、寺の方は俗化していてみやげ物販売店といった風情ですが、傍に四国唯一の天皇陵である崇徳天皇陵があります。ここが娘の目的地であったのです。

傍には、西行の像などもあり、都への帰還がかなわずこの地で無くなった天皇の亡霊を慰めるという雨月物語の話が有名ですね。朝日新聞に夢枕獏の小説が連載され、平清盛や佐藤義清(後の西行)が出てきますが、結末は?。


        白峰寺                            崇徳天皇陵

 

      高家神社                          白峰寺の展望台から

 山を下って、高家神社に行く。ここは、別名「血の宮」とも言い、崇徳天皇の遺骸を運ぶ時、折悪しく雨となり、ここで棺を石の上において休んだ所、血が流れ出して溜まったといわれています。

                   

                        高家神社

 さらに、進むと鼓国神社。崇徳天皇がなくなる前の六年間をここで過ごした場所です。
「瀬をはやみ、岩にせかるる おのれの身、われても末に あわんとぞ思う」の碑があります。

                 

                        鼓国神社

 これで娘希望の一連の崇徳天皇の旧跡を見るのは終了。崇徳天皇の旧跡は他にも数多くあり、天皇の怨霊を恐れた朝廷は京にも白峰神宮を建立しています。

 ここから、海岸線を通って、丸亀に進みました。丸亀京極氏の城下町です。金比羅参りの玄関口として、江戸時代から知られ、ここの団扇は、当時から有名でした。

近くに「うちわの港ミュージアム」と言う展示場があるが、時間も無いので省略し、丸亀城に向かいます。今年は、まだ桜には早いようです。
さらに進み、京極家が故郷の琵琶湖を模して造った庭園の中津万象園に行きました。
ここには丸亀美術館が併設されており、庭園も中々のものでした。

    丸亀城(桜はまだこれから)               中津万象園     

                                                               丸亀の団扇


坂出に戻り瀬戸大橋を渡って中国地方へ。途中の予島SAで昼食。天気は快晴です。

まずは、倉敷によりました。有名なだけあって、観光客も多いところです。
江戸時代、天領の町は古い家並みが倉敷川のほとりに並び、大原美術館、民芸館、考古館等、色々と見る所が有りますが、中国地方旅行時に詳細を見ることにしました。

      倉敷 まだ柳は芽吹いていません            桜もつぼみ

 倉敷から国道429号線を北上すると、備中国分寺です。ここから吉備津神社辺りまでの一帯は弥生から古墳時代にかけての吉備の国で、百済からもたらされた製鉄技術を中心に大きな勢力を誇った部族が居ました。弥生時代の祭器は独特なものがあり、独立した勢力があったことを示しています。

              

                    祭器の分布(大分県立博物館展示)

 また、多くの古墳があり、特に造山古墳は、日本の前方後円墳に中では、第4位の大きなもので、この地方に大きな権力者が居たことを示しています。ここまでは残念ながら行く時間がありませんでした。

特に、吉備津神社の祭神大吉備津彦命温羅(うら)と言う悪神を退治したという、桃太郎の鬼退治の話の元になった伝説があり、独立した勢力であったこの地方の部族を、大和が勢力に組み込むために征服したことを示しています。

これらの古墳の中で前方後円墳は、5世紀頃の物ですから、権力者が交代した後のものなのでしょう。
律令時代になると、ここには国府が置かれ、国分寺、国分尼寺が置かれました。
現在の国分寺、五重塔などは江戸時代後期の建造物です。

   備中国分寺                              国分寺五重塔

 ここからさらに、岡山方面に進むと備中国一宮吉備津神社、備前国一宮吉備津彦神社と続きます。
いずれも祭神は、大吉備津彦命です。特に吉備津神社には、南に向かって下る数百mの廻廊があり、その先に悪神温羅の首が埋めてあると言う御竃殿があります。

                               

         吉備津神社                                      廻廊

                  

                吉備津彦神社

 429号線を岡山総社にもどります。ここには、仁徳天皇の時代、総社宮が置かれた所です。

 

「四国の思い出」その2   讃岐うどん

 私の旅行記には、食べ物の話があまり出てきません。
田舎で育った為か、何を食っても美味いしのです。それぞれの土地の美味いものを味わい尽そうと言う旅行は考えたことも有りません。したがって、土地の名物の食べ物の話は出てきません。

四国では、讃岐うどんもあまり食べたことがありません。出張などで行った時、何か食おうかと言うことになれば、決して讃岐うどんと言うことにはならないのです。地元の人にしてみると、それは一般食で、珍しくも無く、人をもてなして食うものではないと言うことでしょう。
食べる機会は、まず昼飯時、近くの店ということになります。しかし、まずい店には行きませんから、そこが美味い店ということになるのでしょう。

 高校の同期が、警察に入り上司と喧嘩して辞め、讃岐にうどんつくりの修行に来て入門料を大分払って、コツを教わり、水戸の駅前に親父の代は土産物屋だったのを讃岐うどん屋に替えて商売をしています。
彼のうどん、本場仕込で美味いものです。


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