紀伊半島の旅(その5)
本州最南端潮岬から大地町、那智勝浦へ
道の駅「イノブータンすさみ」で早めに簡単に昼食を済まし、海岸線を35kmほど進み、串本から潮岬に着きました。
途中、串本海中公園などもありますが、時間が無く省略です。この辺は、ラムサール条約登録されている珊瑚の生息地で、スキューバダイビングの名所でもあります。
潮岬灯台は本州最南端の灯台で、明治の初め、外国人技師の指導で作られたもので、当初は、紀伊の木材で作られた木製灯台であったそうです。
潮岬灯台 昔のランプ
中には展示室もあり、当時のランプなども置かれていました。
灯台から見る目の下は、黒潮洗う太平洋です。すぐ近くに、潮御崎神社があります。
灯台から見たクレ岬方向 潮御崎神社方向
潮御崎神社参道 拝殿
ここを参拝して、少し進むと潮岬観光タワーがありましたが、これは省略。ここに駐車して、前の10万平方mあるという望楼の芝生を海岸に向かって進むと「本州最南端の碑」がありました。そこの近くで、「本州最南端訪問証明書」なるものを買って先に進みます。
(本当の最南端は、この先に突き出した岩場のクレ岬です)
本州最南端の碑(これにて4島の全部の端を制覇) 訪問証明書
岬を回って進むと、串本節に♪ここは串本、向かいは大島、仲を取り持つ巡航船♪と歌われた大島です。今は、串本大橋(ループ橋)ができ、直接車で行くことができます。
串本大橋
養殖いかだ
この島には、ペリー来訪より62年も前にアメリカの商船レディ・ワシントン号とグレイス号がきて上陸したとのことで、日米修交記念館があり、また、1890年に当時のトルコ皇帝が、日本との親善に使わした軍艦エルトールル号が、帰国途中、台風で座礁、650余名の乗員中、69名が島民に助けられたことから、その慰霊塔やトルコ記念館があります。
トルコ記念館 記念館のトルコの魔よけ
トルコ記念館や慰霊塔の近くには、トルコ人がやっている土産物屋などもあり、今でも友好姉妹都市などで交流があるとのことでした。
エルトールル号犠牲者の慰霊碑 近くの土産物屋(ここは日本人経営、コーヒーを飲む)
その先に樫野崎灯台がありここも上からの展望が素晴しかったです。
樫野崎灯台 沖の岩礁と尾鷲方向
戻って、潮岬から串本漁港の所で国道42号線に入り、今度は海岸を北上します。
暫く紀勢本線と並行して走り、特急南紀とすれ違いました。
その先の海岸が、橋杭岩です。昔、弘法大師を困らせようとした天邪鬼が大島まで一晩で橋をかける競争しようと挑んだ。大師は、大きな岩を担いできてどんどん橋杭を立てたので、負けると思った天邪鬼が、鶏の鳴き声をした。朝が来たと思って大師はやめにしたと言う話があるそうです。鬼が階段を作ったが、最後の一段で朝が来たと言う話しは国東半島や男鹿半島にありますがこれは、逆のパターンです。
侵食された岩の間から、波が散る景色はとても素晴しいものです。
ここからさらに紀勢本線と並行して北上し、太地町に入ります。ここは、昔から鯨漁で有名な所です。最近、捕鯨の反対団体から目の敵にされているところとも言えるでしょう。
町への道のくじらのモニュメント
しかし、油をとることだけのために、大西洋、太平洋の鯨を殺しまくったのは、彼らの数代前の先祖でもあるのです。とはいえ、今の調査捕鯨などというのも問題で、これからは、日本もこんなことはやめて、近海での昔ながらの捕鯨位にしたほうが良いと思います。
ここには、太地町立くじらの記念館があり、古式捕鯨から近年の捕鯨までの歴史や、くじらの骨格などの標本、いるかやシャチのショーなどを行われています。また、くじら祭りなどもあって、今は、町の観光資源になっています。
くじらの博物館 館内の各種くじらの骨格
くじら漁の模型 実際の漁船
シロナガスクジラ骨格とシャチのショーの場所 シロナガスクジラの骨格
シャチのショー
ここを出て。那智勝浦温泉ホテルなぎさやへはほぼ予定通りの17時過ぎに到着。
ホテルなぎさや 露天風呂
ここは小さな湾の奥に温泉ホテルで、放れたところにある露天風呂から見た湾内の景色も中々でした。
晩飯は、相変わらずのボリューム。出来れば、品数を減らして、気に入ったものと言うのは、色々な客がいて難しいのでしょう。大勢の客を扱う観光ホテルのバイキングよりは良いのでしょうが無駄が多いですね。