紀伊半島の旅(その4)

中辺路から串本へ

今日は長旅です。熊野古道中辺路)と並行する311号線を通り、田辺市方向に向かい、南紀の海岸線を回って串本に向かい潮岬、大島、大部をとおり那智勝浦で泊まります。

山の中と、海岸、2回に分けて書いてみます。

 川湯を予定より早く、8時に出発。トンネルをくぐると311号線です。ここから、川沿いに進むと小広王子の所で熊野古道の中辺路に合流します。この先、311号旧道新道があり、旧道は一部が中辺路を使っており、この部分は世界遺産ではありません。

世界遺産となっている部分の中辺路はさらにこれらと並行している形となります。逆方向に行くと山中を抜け熊野本宮大社に着きます。

出来るだけ旧道を通り、途中で何箇所か昔の王子の跡などで熊野古道を偲んでみました。

小広王子

小広王子は、一寸高い崖の上に碑が残っているだけです。ここから熊野本宮に行く道は、途中から赤木越という湯の峰温泉経由で行く道と、中辺路本宮大社の手前の祓所王子を経て、昨日、通った道を下って大斎場(昔の本宮)に向かう道に分かれています。

野中の清水

 我々は反対側に進みます少し行くと、野中の清水という湧水池があり、ここの水は地元の人や参拝者が利用した所です。この辺の旧311号は国道とは言え、車がすれ違うのも困難です。

  

      野中の清水                          途中の旧国道(昔の参拝路を広げた部分)

さらに進むと、中辺路旧道が交錯したり一緒になったりしていて、途中、車で見られる比曾原王子が有りここも碑が残っているだけです。

さらに進むと旧道、新道、古道と交錯した近野と言う集落に出て、この近くに近露王子があります。ここは少し昔の面影を残しています。この先は中辺路311号は別れてしまい、新道を通って滝尻王子まで進みました。

現在の中辺路の旅は、滝尻王子から熊野本宮まで行く道で、ここが入口になっています。途中、小広王子までは幾つもバス停がありますから、この間、約20kmです。其処から中辺路大斎場までは約19kmです。これを一日で歩くのは大変でしょう。

ここで、一休み。娘は張り切って、古道を途中まで数km行ったようです。其処には胎内くぐりとか乳岩と言うのがあり、その辺まで行って引き返してきました。

   

いささかばてた親父を馬鹿にしている?                       滝尻王子社の鳥居




おもひやる

  かものうはけの

    いかならむ

      しもさへわたる

        山河の水


           
後鳥羽上皇




        

滝尻王子社                    ここから熊野古道の中辺路へ

     

古道入口の石を抱いた木                すぐに上り口

     

     胎内くぐり                              さらに少し行く(娘がーー)

ここから、311号線を海岸まで進み、42号線に出て白浜を横に見て南に進みます。初めて見る南紀の海は明るく、素晴しい風景でした。

白浜方面を見る

42号線と合流した所から和歌山方向は昔の紀伊路ですが、今は殆ど昔の姿は無く、熊野古道として登録されていませんが、この道を来た旅人が最も多かったのです。

そして串本方向に向かう海岸の道が大辺地で、熊野古道として世界遺産の指定を受けた所もあります。

途中の道の駅「志原海岸道の駅「イノブータンランドすさみなどに立ち寄り、さらに進むと向こうに潮岬の灯台が見えてきました。

  

道の駅「志原海岸」                              海岸の風景

    

道の駅「イノブータンすさみ」                        さらに進んで

はるかに見える塩岬灯台 

(王子とは)(熊野本宮観光協会資料より)

 平安期、上皇や貴族達は、警護の武士や女官など数百人の友を連れて参拝したといいます。その後庶民の夢魔の詣でも盛んになり、「蟻の熊野詣」と言われるようになりました。これらの参拝者の休息の場となったのが、王子社で、数が多いことから「九十九王子」とも呼ばれていました。
熊野詣が衰退した江戸時代には、紀州藩が王子跡に碑を立てて道標としたのです。

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