紀伊半島の旅(その2)
和歌山市周辺を廻る
心配していた台風も遠ざかって、紀伊半島は好天が続くようです。
予定通り、羽田から関空へ。11:30発なので、早めに飯を食って少し機内持込で昼飯を終らせました。
一人だと、晩飯はそれなりのものを食い、朝飯はコンビニで仕入れておいて早く食って出発、昼飯は、日帰り温泉などで食うというパターンで行程を組みますが、今回は、朝夕は旅館、昼は何処かでと言うパターンです。
食い物に関してさほどこだわりの無い我が家のことゆえだれも文句はありません。
関空への飛行は、富士山など良く見えました。毎度の感じることですが、日本はゴルフ場が多い。
降雪前の富士山
関空は、なんとなく、中国の瀋陽の空港に似ている雰囲気。改装中の所もあり、人気も少ない感じです。
コンコース 空港内部
レンタカーの手続きをして出発。飯を機内で食ったので30分ほど余裕が出来、関空から和歌山ICまで一直線。連休前日で高速も空いていました。
ここで降りて、近くの日前(ひのくま)神宮、国懸(くにかかす)神宮へ。ここは紀伊国一宮の一つです。ここの祭神は、天孫降臨の折、天照大神が籠った天岩戸開きの為に作られた二つの神鏡が天道根命によって高千穂に天下り、紀の国にもたらされ、その子孫である紀国造家によって祭祀されるようになったと言われています。
このことは、この地に渡来人の一派が根付いたことを示すもので、紀ノ川の一帯は、難波など共に発展し、6世紀には、次に向かう伊太祁曽(いたきそ)神社辺りまで、600以上の古墳が作られています。
この二つの神社は、不可分で、左が日前神宮、右が国懸神宮で、全く同じ規模の参道、社殿となっています。
日前神社、国懸神社参道
日前神社拝殿
国懸神社拝殿
ここから、和歌山電鐵貴志川線に沿って狭い道を東に進み、高速を越えると伊太祁曽(いたきそ)神社です。ここも紀伊国一宮で、その北西部に岩瀬千塚古墳群(国特別史跡)が有ります。
神門 拝殿
祭神は五十猛(いたける)命で父の須佐之男神と共に多くの樹木の種を携えて降臨し、二人の妹(大屋津比売命、都麻津比売命)と協力して全国に繁茂させたと言われています。
左右に二人の比売命を祭る 本殿
古いご神木(穴をくぐるとご利益あり) おさる石(頭の病になでるとご利益あり)
武器などの神器を持ってきた氏族もいれば、このような氏族も渡来したと言うことでしょうか。
さて、ここを貴志川線に沿って終点の貴志駅に行くと、有名な猫の駅長がいると言うことなのですが、片道7km位あり、猫は猫と言うことで行くのはやめにしました。(後で調べたら駐車場も無いらしい)
再び、戻って、竈山神社へ。ここは神武天皇の長兄である彦五瀬命を祀る神社で延喜式内神社。彦五瀬命は神武天皇の東征の途中、難波での戦いで傷ついて、この地で死んだと言うことです。ここでも後から来た氏族と先住の氏族の争いがあったことが分ります。
この神社は、秀吉が根来寺を攻めた時焼かれて社宝などが失われ、その後再建されましたが、小さな神社でした。しかし、明治になって最初は村社という格付けでしたが、神武天皇の兄を祭ると言うことから、官幣大社と言う最高の格付けまで昇格し、立派な社殿が作られたのです。
竈山神社入口 拝殿
これで、神社関係は終わり、和歌山城に行きます。
城は、明治に廃城となり、第二次大戦で天守閣など全てが 焼失。残るのは石垣のみで、天守閣は戦後のコンクリート製です。
城跡は、元の城郭の1/4位だそうで、江戸時代の姿は模型で偲ぶしかありません。
和歌山城天主閣 西条八十のてんてんてまりの碑
城の模型(今は本丸のみ) 天守閣から見た紀ノ川河口
宿泊した萬波 朝の露天風呂から見た和歌の浦
さて、今夜は和歌の浦に泊まります。宿は和歌の浦温泉萬波(まんぱ)。中々サービスの良い宿で、部屋からは和歌の浦が一望できます。はるか、対岸には海南火力発電所見えました。
夜の食事も、やたらと多くなく、露天風呂からの眺めも中々のものでした。
(後記) 和歌山電鐵貴志川線貴志駅の駅長たま(元祖、猫の駅長)
この路線は、元は南海電鉄。今日に至る経緯は次の通りです(Wikipediaの要約と写真)
2003 しかし、財政逼迫のため、運行主体として 経営のモットーは「日本一心豊かなローカル線になりたい」。 和歌山電鐵には、運営の最高意思決定機関として貴志川線運営委員会が設置されている。この機関は地元自治体、沿線住民、沿線学校関係者、商工会と和歌山電鐵で組織されており、その新しい試みに注目が集まっている。 「いちご電車」「おもちゃ電車」「たま電車」の運行や、 たま |
駅長のたま 「たま」号