紀伊半島の旅(ルートの設定)

 7月に、北海道から八戸、三陸海岸を通り、トドガ崎の本州最東端に行きました。今回は、残った本州最南端、紀伊半島の潮岬に行きました。

シルバーウイークとやらで娘が連休になったこともあり、山道も多く、一人では厳しいので、娘や女房と行くことになったのです。

 

紀伊半島は、神武天皇の東征、徐福伝説、熊野信仰、などに彩られた半島です。

神武天皇の東征も、各地に残る海から来た民の先住民征服物語の一つと言えるでしょう。

縄文人がいて、後から何回かにわたってきた渡来人がいて、縄文人との交流や支配、その後に来た渡来人間の抗争などがあったことをうかがわせます。徐福のような一族が紀元前から紀元後に、何層にも重なって日本に来たと言うことでしょう。

 淡路島伊弉諾神宮明日香伊勢神宮は等距離一直線上にある。さらに南に、高野山、吉野、そして最南端に熊野三山があります。

 熊野三山も天皇家の崇拝、参拝があって明治の廃仏毀釈で、途中の寺社は無くなったところも多いようですが出羽三山のように大きく損なわれないですんだともいえるでしょう。

 熊野古道世界遺産となって、再び大勢の人がやってくるようになりました。わらじを履いて、体重50kg以下の人達が、参拝した時代から、70kgもある人達が、その何倍もの人数で、登山靴などはいて上る時代となった。折角の石畳も早く磨り減るでしょう。

 

 さて、紀伊半島の歴史と自然に触れるには、神社と深い山中と海岸線を出来るだけ回って見たいものです。今回の旅は、4泊5日でしたが、色々と考えて、ほぼ満足のいくルートになりました。

熊野古道を歩くと言う訳には行きませんでしたが、幾つかの所で、入口などを少し歩き、その雰囲気を知ることも出来たと思う。特に後鳥羽上皇などが歩いた中辺路(なかへち)に沿ってルートは、上手く工夫すれば、車を併用して歩くことも可能でしょう。

1日目 羽田から関西国際空港、レンタカー阪和道(和歌山IC)、神社を廻って和歌山城和歌の浦に泊まる。(紀三井寺は以前に行った)
2日目 紀ノ川に沿って根来寺、粉河寺に行き、大塔から168号十津川に沿って下り、谷瀬の吊橋で遊んで、熊野本宮を参拝し、川湯に泊まる。
3日目

311号中辺路と並行)、熊野古道の雰囲気を見る。(中辺路の入口の滝尻王子など)ここから進んで、42号で海岸を南下。(この路は大辺路が一部残っている)
 さらに串本まで進み、潮岬灯台、本州最南端、今は橋で行ける大島に行く。戻って、橋杭岩を見て那智勝浦温泉へ。

4日目 熊野那智大社、青岸渡寺、那智の滝、下って補陀落山寺、再び42号熊野速玉大社、徐福公園など。
 42号で七里御浜を進み、花の窟神社、少し引き返して311、169号で静峡へ。169、309、42、311号と進んで、尾鷲の少し手前のあたしか温泉へ
5日目

 311号から、海岸を通る県道に入り、尾鷲の三重県立熊野古道センター尾鷲神社に行き、42号で、熊野古道 伊勢路を一寸見る。
42号を進み、頭之宮四方神社、瀧原宮と進み、大台ICから高速に乗り、松阪へ。レンタカーを返してJRで帰宅。

(3日目のルートは長く、途中、中辺路を歩く一日を作るのも良いでしょう)

     

旅のルート

熊野古道

 平安時代から皇室の尊崇を受けた熊野本宮への参拝道で、時代によっても少し変化しているようです。

大阪側から紀伊路下ってきて、田辺から中辺路を通る道筋には**王子といわれる休憩所となる神社が
100箇所近く設けられていましたが、時代によって変化したりして、紀州藩
里塚を設けたりしましたが、
廃仏毀釈で多くの神社は無くなってしまっています。

また、近年になって道路が整備されると、古い道筋と重なったりして昔の面影が無くなった所も多く、世界遺産
となったのは、昔、雨に耐えられるように作られた石畳の道のある部分で、
様々に分断されています。
紀伊路
などは世界遺産の部分は有りません。

 下図はWikipediaの地図ですが、これ以外にも吉野から入る大峯奥駆道なども古道の一つです。

 

熊野古道(Wikipediaより)

 

今回はルートの紹介です。次回から旅行の記録を書きます。

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