北海道の旅(その1)

 海を渡って北の大地へ

(03−7/17 木)出発

8:30家を出て大洗港へ。10時乗船。さんふらわ・みと号 23:59発

 この航路は、商船三井フェリーと東日本フェリーの共同運航だったが、03/6東日本フェリーが破産(正に切符を手配した頃!!)し、リベラと言う存続会社となり、07/7に、商船三井フェリーにへステイア号(さんふらわと交互運行)も含めて航路を譲った。

              

                      さんふらわ.みと号

(7/18 金)船内

 7時、デッキに出る。風が冷たく陸は霞んで見えない。揺れは少ない。これはフィンをコンピュータ制御して横揺れを減らしているとの事。

写真を撮ってもらおうと、デッキを歩くとなんとなく憎さげな顔の親父が本を読んでいる。
「お願いします」(丁重に頼む)案の定、「今本を読んでる。終ったらーー」などと言う。
反対側のデッキで中年の夫婦に会ったので、写真を互いに取り合う。

              

                        朝のデッキ

 昼飯はセットメニューの中華丼。大型トラックの運転手達は特別食で、酒盛り。3時過ぎまで飲んでいたから、アルコールチェックをしたら確実に引っかかるだろう。不景気の折、船会社も大目に見ているのか?今とは大違い。

 下船時、大型トラック運転手は、エレベーターで、一般の人は階段でと言う案内があったが、例のにくさげな親父は一番乗りとばかりにエレベーターの前に陣取っている。

下船準備が始まると追い出され、階段組の最後尾に。あの態度では誰も親切に教えてはくれまい。

 苫小牧はビジネスホテル。部屋の番号が513号室。名古屋のマンションと同じ。

縁起が良い。

(7/19 土)苫小牧―支笏湖―襟裳

苫小牧(ト・マク・オマ・ナイ沼の奥にある川)――人口18万弱、日立と似た産業都市。

(日立より立派!?)

 樽前国道(278号)を北上。唐松の緑はポーランドのワルシャワ郊外を思わせる。

支笏湖(シ・コッ大きなくぼ地)への道は、途中から小雨で霧がかかったようになる。

モーラップ(緩やかな翼)に寄ったが、キャンプ場、ここから湖岸を北上、ホロピナイ(=親である崖)に向かう。快適な湖岸の道だが少し狭い。

                 

                           支笏湖の道

ホロピナイは、釣り船が多いキャンプ場。戻って、支笏湖温泉、ビジターセンターも早くて開いていない。

支笏湖スカイラインから、ウトナイ(=肋骨(小さな川の集まる所)湖鳥獣保護センターによる。8時40分と早かったが入れてくれた。ここにはウトナイ湖サンクチュアリナイチュアセンターがあり、バードウオッチングで有名。湖畔を少し散策。

                

                     ウトナイ湖鳥獣保護センター

 ここから日高自動車道を経て門別モ・ペツ流れの緩やかな河)を過ぎると、サラブレッド街道の名の如く、道の両側は放牧場である。前後の車の速度にあわせて80km/hrで走り、新冠(ニ・カプ木の皮)町に着く。

ここには、道の駅「サラブレッドロード新冠」と故郷創生資金で集めてたレコードを展示しているレ・コード館があるが、時間があるので少し引き返し、サラブレッド銀座と言われる道道209号を新冠川に沿って遡って見る。

道沿いは全て放牧場、戻って国道との分岐点近くのサラブレッド銀座駐車公園の展望台から放牧場を見渡す。

                

                      展望台から見た放牧場(この辺の当たり前の風景)

 再び、国道に戻り、新冠のレ・コードの湯に行く。この辺は温泉の無い所だが、2000mも掘って出たと言う。丘の上の大きなログハウスで露天風呂も中々良い。

                 

                     レ・コードの湯(ホテルヒルズ)

飯も食って、約95kmを走り襟裳岬エン・ルム)へ。天気はすっかり晴れ、霧が多いといわれる襟裳岬とは思えない。

          

                           襟裳岬の先端

岬の先端から海岸まで出る。風の館により、百人浜から町営牧場、風力発電研究所の横を通って、えりも町に戻る。2基の風車があったが、風も無く回っていない。

 

                         襟裳岬風の館

えりも町は元は、幌泉町ポロ・エンルム大岬)と言う名前であったそうである。まだ早いので、郷土資料館による。来る人も無いと見え、丁寧に説明してくれた。

今でこそ、襟裳岬は緑に包まれているが、戦前、戦中までは羊の放牧で生えていたを全て食いつくし、赤土の砂漠のようになり、昆布も取れなくなったという。中国の古代にも同じような話があったのを思い出す。

 さて、予約した田中旅館が見当たらず電話、「今、えりも館の前を通ったがオタクは何処?」「うちは、その前で、もっと大きな看板を出してるよ」と言う頑固そうな親父の声。

戻って見ると確かに大きな看板だが走っていると見えにくい。後で気がついたが、道路横の店の広告は、「次の角右折」などと言うのはなく、「何km先**」などと言うものが殆どである。80km位で走るのに合わせてあるのだろう。

                  

              田中旅館(小生が行った頃は看板は一つ、左から来た)

 着いてみると、やはりランニングシャツの頑固親父が帳場にいる。部屋は213号、飯は6時、風呂は10時までなどと言って鍵をくれた。

ネットで調べると、今も当時と同じく、親父と若夫婦でやっている。宣伝がうまいらしく、オートバイの一団、夫婦者、若者など客が多い。

夜は、食堂で、海賊料理とか言う貝やえび、魚の炭火焼。右は大阪から来て北海道に定住してしまったと言う同年輩の夫婦で大阪には帰る気がしないという。左は旭川に住む純粋の道産子夫婦。このえびは美味くないとか雲丹がないとか文句が多い。

この日277km

 

(7/20 日) 黄金道路―晩成温泉ーホロカヤントー湖―霧止峠―昆布狩石―厚内―釧路

 朝、4時ごろからウミネコがうるさい。5時前に起きだし海岸に行くと、男二人、女一人の地元の人と会う。今年は気候が異常だと言う。普段ならもっと暑くなると言うが、聞けば25度C位のこと。名古屋では、起きて28度、昼には38度と言うとそんな所には住めないという。

港まで歩くと釣りをしている人が大勢いて、15cm以上もある魚を結構釣っていた。

宿の戻り、6時50分頃、食堂に行こうとすると、頑固親父が飯は7時などと駅の車掌みたいなことを言うが行って見るとすでに食っている。「親父は頑固だな」と息子に言うと苦笑していた。

 当初予定は、336号で山越えだが時間もあるし、再び、襟裳岬から百人浜を通る。

百人浜の辺りも昔は原生林であったのがすっかり変わっているとのこと。今は展望台などがある。

              

                展望台入り口(かなりの距離で行くのは断念)

海岸には砂利を敷いた昆布干し場が広がっている。

              

                   昆布干し場

 百人浜を過ぎると黄金道路近藤重蔵が切り開き始めて以来、投じた費用が黄金を敷き詰めるほどで、黄金道路と言うのだそうだ。確かに今でも工事中のところも多く、トンネルや覆道

が多い。この道は、岩から染み出る水が作ると言うフンベ(=―取れたとか、打ち上げられたとかで)の滝で終る。

               

                黄金道路(覆道の外から前方を見る)

               

                      フンベの滝

 ここから、豊似―生花―吉野共栄までは、何も無い。途中、広尾で「ナウマン象発掘の碑」に立ち寄る。何も無い所に立派な碑が作られている。

               

                          ナウマン象発掘の碑

 この少し先を、海岸に向かうと晩成温泉がある。ここへ向かう道は、正に一直線で、如何にも開拓地と言った風情である。

              

                        晩成温泉への道

              

                  晩成温泉(海を見下ろす海岸の丘に建つ)

この晩成と言う名前の由来は、明治に依田勉三他が晩成社と言う開拓組織をつくり、牧畜などこの地方の開拓を進めたが事業の運営に失敗した。その晩成社によっている。

晩成温泉から生花に向かう道道881号(ホトカヤントー線)の近くに彼の開拓小屋が復元されている。(資料から)

                

                       依田勉三の開拓小屋

 温泉が空くには少し時間があったので、近くのホロカヤントー沼(=後戻りして上がる沼)まで歩いて見た。この沼の近くには、縄文時代の竪穴の遺跡が点在している。

「後戻りしてあがる」とはもともとは汽水湖で満潮時に水が逆流することからついた名前らしい。若狭の三方五湖と同じく、周囲には、生花苗沼、湧洞沼など幾つかの沼が点在し、縄文人が住む環境としては同じ様なものであったのだろう。

              

                  ホロカヤントーの竪穴住居遺跡

 10時過ぎたので、晩成温泉に入湯。海の見える浴槽、休憩室など雰囲気はいい。聞けば、ここは穴場だそうで、季節によっては30分以上待たされることもあると言う。

ホロカヤントー線生花に向かう。こちらは一部ダート。そのまま、ナウマン国道(336号)を行くのも面白くないので、十勝川を渡り、浦幌(=オーラ・ボロ=川尻に大きな葉の生えている所十勝川を過ぎて道道1038号線霧止峠を越え昆布狩石へ向かう。峠の道はダートで勾配も厳しい。ここを過ぎると、海岸沿いで平坦な道で根室本線の厚内(=アツ・ナイ釣り針、河、またはアックナイ小獣を取る河)に出る。珍しく2両編成の列車に会う。

               

                          厚内駅

ここから列車と並行して走り、直別(=チュク・ベッツ秋の川)まで列車に平行して進み、国道38号に入る。

38号を音別(=オム・ベッツ河口のふさがる河)から白糠シラル・カップ潮が引くと現れる岩の岸の河)と進む。音別の近くでネズミ捕りをやっていたが、対向車がパッシングで知らせており、無事通過。庶路(=ショ・オロ滝の所)から脇道に入り、釧路空港に向かう。

大楽毛(=オタノシケ砂浜の中央)から廻る予定であったがショートカットで早く着いた。

 さて、13:30定刻に飛行機が到着、女房と合流し、空港の北にある丹頂鶴自然公園に行く。つがいの鶴がそれぞれのケージで飼われ、子育ても行われていた。ようやく増えてきたとか。

    

                             丹頂鶴自然公園

国道をそれて道道53号線を北上、環境庁ビジターセンターへ。ここで湿原を散策。水芭蕉に似たヒメカイウ、ワタスゲに似たサギスゲなどがある。センターの裏にはしまりすも。

 戻って、釧路市立湿原公園を歩く。散策路は殆ど林の中で北斗展望台のみ湿原が見える。

           

                  北斗展望台より見た釧路湿原

 明日を考えて宿はまりも国道に近いビジネスホテル。夜は市内に食事に行き、フィッシャーマンズワーフに夜もすでに閉店時間。また来るので釧路川べりを散歩して帰る。

           

                夜のフィッシャーマンズワーフ

この日299km

 

北海道の旅について

 03年に旅行してから、次ぎの旅は07年ですが、その時の旅行記を出して見たり、ネットで調べたりすると、行った先々の景色が鮮明に浮かんできます。

しかし、北海道は、本州と違い明治までは、蝦夷地であり一部を除いてアイヌの土地です。

殆ど全ての地名は、アイヌ語が語源ですが、それもまた、地方によって方言があり違っています。分からないものは、役場などにメールで聞いたりしてできるだけアイヌ語の語源を調べて書いてみました。

 また、観光の基本が、風景になるため、天候の影響が非常に大きく、四季折々、天気の具合で印象が違ってくるでしょう。もう一度、行って見たい所もあります。

行く機会があるでしょうか。

女房殿は、例によって良い所取りの旅です。

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