九州を旅して(その14)

                         旅の終わり

 日田ー英彦山―耶馬溪-豊前国分寺―門司港―新門司港―東九フェリー

 

 九州の旅も最後、22日目になりました。当初の予定は、日田から秋月に行き、英彦山に行く予定でしたが、昔、新日鉄に居られて仕事で色々と世話になったKHさんがぜひ会いたいとのことでルートを短くしました。2年前、中国地方を一周し下関に行った時にもお会いしています。

 ホテルの朝食も止め、6時半過ぎに出発、しかし、今日は生憎の空模様で霧がかかり、時々雨が降っています。

国道211号から500号(5ナンバーの国道があるとは知りませんでした)に入る辺りは小石原と言い、焼き物の里です。さらに進むと日田彦山線の英彦山(ひこさん)駅に出ます。

ここから、山中に進むと銅の鳥居に着きます。ここから500mほど登ると奉幣殿があり、さらに登ると下宮、中宮、ムスビ神社と続き、標高1188mの中岳山頂の上宮へと続きます。

英彦山は北岳1195m)南岳(1199m)の三つの峰からなり、古代には神宿る霊山として信仰されていたのでしょう。中世には修験道の日本三大道場のひとつとして栄えていました。

             

         英彦山神社の銅の鳥居      宿坊跡(最盛期には3000以上あったとか)

 途中まで、スロープウエイがあるのですが予定変更で早く着いたので動いていません。

修験道の山であり、何箇所かの寺社をめぐって歩く道は大変険しいようです。今でも山伏姿の修験者も修行しているようですが、一般人の登山、ハイキングコースになっています。

行くのはあきらめて、500号の九十九折の道を下り、496号、212号と耶馬渓を進みます。ここは奥耶馬鉄道の廃線後を36kmにわたってサイクリングロードとしており、これが並行して走っています。昔の鉄道の橋やトンネルをそのまま使った面白いサイクリングロードのようです。

                  

                   サイクリングロードの橋(元鉄道橋)

そして道の駅山国で一休みしてしばらく行くと道の駅耶馬トピア、そして羅漢寺です。

ここは、ロープウエイで登れるので、山腹の寺まで行くことができました。

寺伝では、7世紀にインドから来た法道仙人が開いたことになっています。臨済宗の寺として

戦国時代まで来ましたが、例によって大友宗麟が来たのですが、破壊は免れたようですが、その後は、曹洞宗の寺になったということです。しかし、昭和になって本堂など焼失してしまったとの事でした。

    

            羅漢寺羅漢堂                    山門

    

             沢山の羅漢(500と言うが700以上有るようです)

 

           羅漢寺から見た周辺の風景(耶馬溪の一部)

 212号に戻って、少し行くと有名な青の洞門ですが、今は自動車道となってしまい、手彫りの部分はわずかに残るのみです。

    

           青の洞門周辺                  手彫りの部分

 これで、耶馬溪とも別れを告げ、国道10号線で中津市から行橋市へ出て、豊前国分寺に行きました。豊前の国府があったところでも有り、戦国時代まで平安からの堂宇が残っていましたが、大友宗麟の焼き討ちで焼失してしまいました。

  

                 豊前国分寺山門(奥は鐘楼門)と三重塔

 国道10号線から県道25号線に入り、門司港に向かいます。門司港に着いた時には、前がよく見えないほどの激しい雨でした。門司港レトロを見ることも出来ず、近くの出光美術館はと見れば、月曜で休み。フェリー用に持っていったナンクロなど引っ張り出し、喫茶店でKH氏を待ちました。まあ、最初の日にも寄ったし、前にも来たので仕方ないでしょう。

                 

              夜の門司港レトロ(夜ならこんな景色です)

 しばらく待って、再開。しばらくは再開を喜び話しをして、雨も上がったので、レトロを散策し

海峡ドラマシップという展示館で海峡の歴史など見て歩きました。あっと言う間に時間は過ぎ、晩飯を一緒に食いたいところですが、フェリーの時間もありお別れした次第です。

              

                   再会門司港レトロにて

ここからフェリー埠頭まではかなりの距離があります。そして再び豪雨で着いてもしばし車中で待機です。フェリーは16日:19:10発、東京港へは18日:5:00着です。

一昨年、中国地方を旅した時も、帰りはこのフェリーでしたが、船体が違い二等船室はベットで、空いていたので別途を二つ占有して荷物など置けたのですが今回はたたみの大部屋。

 足もまだ痛いので、聞いて見ると一等船室(3人部屋)が開いていて、しかも同室者はいないというのでこれにしました。怪我などすると金がかかります。しかし、二等船室は10時消灯

ですがそれもなく、ゆっくりと旅の記録などを整理することが出来ました。

しかし、色々な人と話しをして過ごすという楽しみはありません。

中国地方の旅行からの帰りの時は、海が荒れていて、四国沖、紀伊半島沖では船が揺れて大変でしたが、今回はそれがなくゆっくりと帰れました。

 首都高、常磐高速をぶっ飛ばして、家に着いたのが6:40.これで旅は終わりです。

 

3月22日に家を出て4月18日に帰り着くまで約6000km、名古屋での用事を差し引くと

九州には3月26日から4月16日まで22日、4500km走ったことになります。

アクシデントがなければ、もう少し途中での計画変更もでき、もう少し色々な所にも行けたと思うと残念です。お粥だめしの予測もこれで終わりとしたいものです。

 

これで、北海道、四国、中国、九州と長距離の旅行は終了しました。その他の地方は、名古屋にいたこともあり、数日の旅行の繰り返しでほぼ廻りました。最後は東北地方です。

これらも、別途、時間があれば、HPに出して見たいと思います。

 

 昔から歴史に興味を持っているので、今回は、一の宮は全て廻り、その他の神社や寺院、

各地の歴史博物館など出来るだけ廻りました。(もちろん、温泉、観光地も)

九州は、本当に複雑な歴史を持っていることに改めて驚かされた次第です。

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