山陰・山陽の旅(その8)

                   毛利氏の地を訪ねて

(4月9日)

 例によって朝風呂に入り、7:40頃出発。国道488号を行く。ここは国道とは思えない狭い道で左は谷川の崖、右は岩山で東山渓谷というところを抜けていく。

ようやく車が通れるほどの狭い道で、すこしカーブにかかると岩と右のミラーが擦りそうになる。幸い対向車は2台で14kmを30分以上かかる。

                

                          振り返ればこれが国道!

吉和ICに8:15過ぎに着き、六日市ICまでの中国道は、山口県に入るトンネルを抜けると霧で50kmの速度制限。ICに8:45に着く。
ここから津和野への道は快晴で途中、道の駅「柿の木村」により、わさびの葉の瓶詰めなど買う。
県道3号、国道226号を通って津和野駅入り口を過ぎ、県道13号に入ると和紙手すき工芸店がある。

ここで、和紙の便箋など買って観光ルートを聞く。先ずは、陸の上にある太鼓谷稲荷神社に行く。
伏見稲荷
などよりも朱塗りの鳥居がけばけばしい。
日本五大稲荷の一つだというが、五大と言う辺りが苦心の後であるがこれにも諸説があるようである。
ここから津和野城址へのロープウエイがあったが時間の関係で省略。

     

         太鼓谷稲荷神社               稲荷神社から見た津和野の町並み

町に戻り、桜が咲き始めた津和野川のほとりを歩き、町に入って地酒やら、源氏巻きという和菓子などを買う。町に郷土館というのがあったがぱっとしない。
名物の街中を流れる用水にはデブの鯉が沢山泳いでいる。
あまりにデブで鯉らしくない。めだかが沢山いたのは水が綺麗だからだろう。

                 

                          津和野川の桜

                     

                             用水のデブ鯉

津和野は、関ヶ原の戦い以前は毛利氏の領国であったが、宇喜多秀家の従兄弟で東軍についた坂崎直盛の領土となった。
彼は大阪夏の陣で千姫を救出、加増されたが、その後の千姫騒動で殺害(自刃)され、1618年から亀井氏が領主となった。
亀井氏は幕府の信望厚く、毛利の押さえとして置かれたとも言う。

江戸中期は、紙の生産で藩は潤った。
そして、幕末の藩主亀井茲監は神道を信奉し、長州についた藩士も多く、明治維新で神祇行政官となった。

明治の廃物希釈、隠れキリシタンの改宗などにも関係したらしく、津和野藩に送られた浦上のキリシタン宗徒は、拷問など様々なひどい扱いを受けている。

宗徒が、押し込められた乙女峠の収容所(光琳寺)は廃寺となっていたマリア聖堂がたっているとか。
町には、畳敷きの小さなカソリック教会がある。
ここの展示館でキリシタンを迫害した記録などを見ることが出来た。

                  

                        大原家家門(中は旧町役場)

             

                          小さなカソリック教会

その他、藩校養老館の跡,家老多胡氏邸家老大原家などがあり、大原家家門の中の建物は町役所となっている。
(現在の町役場は合併した日原町に移っている)なども観光地となっているがチラッと見て通過した。
藩校内の歴史民俗資料館は見ておくべきであった。

街の観光を終わり、少し離れた道の駅「なごみの湯」で昼飯、入湯して休憩。
12時過ぎに出発し、つわぶき街道を萩に向かい、JR東萩駅に1時過ぎにつき、駅前でレンタサイクルを借り川沿いの道を萩城址へ向かう。

萩はご存知毛利家の城下町であり、特に言うこともなし。
しかし、江戸初期、寛永年間に幕府が国替えや取潰しなど外様大名に様々な圧力をかけた時代、
毛利藩の江戸お留守居役であった福間彦左衛門の日記を纏めた講談社文庫の「江戸お留守居役の日記」は、江戸時代の藩というもののあり方を知る上で面白い。
名古屋時代、総務部長に紹介して「今も変わらないな」などと言ったことを思い出す。

 

       久しぶりに自転車で                  桜が満開の萩城址(指月公園)へ 

  

           本丸跡から見た城址                  詰丸跡から萩港方面を見る

城は桜が満開、土曜で桜祭りということで人も多い
北矢倉、櫓、本丸跡
と散策し、毛利神社から城の先端の海防の見張り台(詰丸跡)まで行く。

戻って、萩資料館を見て、街中を走るが、案内板が少なく、ぐるぐるとあちこちを廻ってしまった。
そろそろ、街中も終わりかと思っていると田中儀一の銅像の所に貰った案内図には無い萩博物館という立派な博物館がある。
聞けば、昨年11月に開館したと言う。時間も迫ってきたので、菊屋家住宅、桂小五郎旧宅などを見て
、4時過ぎに駅に戻った。

3時間も自転車に乗って歩いた割には効率が悪い。広いこともあるが津和野と違い見せてやるといった感じが強く、観光案内も不親切である。

 

        萩の町並み                            旧毛利家別邸表門

ここから車で松蔭神社に向かう。展示館を見たが、人形の展示と説明で女房曰くバカらしい。
さすがに疲れたか?!松下村塾を見て宿の萩本陣に入る。

 

       松下村塾                               内部

                  

                          松蔭神社

萩本陣は、萩の唯一の温泉ホテルで、ケーブルで露天風呂に行く。
しかし、山陰で夕陽の沈むのは見えないのにはがっかりした。本館側が、和風の旅館、別館が素泊まり中心の観光ホテルになっている。

(この日 152km)

 日本五大稲荷

  次の三つの説があるようである。

    伏見(京都) 祐徳(佐賀) 豊川(愛知) 笠間(茨城) 鼻顔(長野佐久)

    伏見、祐徳、笠間、竹駒(宮城) 太鼓谷(島根)

    伏見、祐徳、豊川、最上(岡山) 高橋(熊本)

 この中で、伏見稲荷が総本山であり、これと祐徳は全てに出てくる。豊川と笠間は二つに出てくる。
しからば、三大稲荷とはと調べると大日本史などでは、伏見、祐徳、豊川となっているようであるが

総本山の伏見稲荷では、三大稲荷、五大稲荷というのが地方で異なっていても差しつかないといっているようである。
           まさに狐にだまされた気持ち!!!

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