山陰・山陽の旅(その7)

 修験道の道

  オオクニヌシは、因幡の白兎の話にあるように、出雲から因幡に進出して、ここの一帯を支配しました
そして、智頭街道出雲街道など中国山地を越えて吉備の国との交易もあったと思われます。

また製鉄業の技術も大陸から伝わり、砂鉄(と言っても山からとる)と木材が豊富なこの地方に広がったのでしょう。
また、平安時代、この辺の山は、製鉄の山、修験道の山でもあったのです。

 

(4月7日)

 折角の三朝温泉も疲れて早く寝たので、早く目が醒め、本館の温泉に入る。まあまあの設備である。7時頃、宿を出発。すこし早いので33号で小鹿渓に行って見た。

全くの山の中で、まだ雪が残り、昨年の台風で竹などが倒れ道路を整備中である。戻って、三徳山に8時すこし前に着く。

すこし早いが長い石段を登っていくと本堂があり、その裏の入り口に丁度若いのが来て、入山の手続きが要ると言う。そして、女房の靴を見て、これは駄目と言い、800円なりのわらじを買わされ、これを履くことになる。われわれが最初の入山者で、木戸を開けてもらって入る。

 三徳山三仏寺は、役行者が修験者の道場として開き、円仁が広げたと言う。

入って、宿入橋を渡ると、先ず、かずら坂で、木の根につかまって正によじ登るといったほうが良い坂道で、これに驚かされる。うっそうとした森の中の九十九折の幅の狭い急な坂を上っていくと、くさり坂に着く。本来は、鎖につかまって登るのであるが、重文の文殊堂が修理中でロープになっている。

 文殊堂を過ぎると、馬の背という、両側が崖の正に馬の背のようなところを岩に掴まりながら進み、重文の地蔵堂につく。ここは修復も終っており、堂を取り巻く濡れ縁を山側に出てみると視界が開けて眺望が素晴しいが、風が強い上に下は絶壁で足ががくがくする。

鐘楼を過ぎて、今度は牛の背という岩場を過ぎ重文の納経堂、さらに観音堂、元結掛堂、不動堂と狭い道をとおり。その先が国宝の投入堂、愛染堂に至る。

この建物は、平安時代末期のものというが、最初作るときは大変だったろう。元結掛堂も岩陰にあり、ここまでは行けるが、水滴が落ちて滑りやすい。

投入堂には近づけないので傍で写真をとり、すこし休んで下る。

 

      地蔵堂から見た三朝側の景色                 国宝投入堂

                           

                            登山ルート

 

       かずら坂(写真の印象より急坂)              修理中の文殊堂

途中、文殊堂を修理している棟梁と話しをする。今は機材など、モノレールで上げるので、柱なども昔は2分割していたのを一本で上げられる、モノレールも5人までは乗れるとか言う。ここまで来て大変だから金を払うから乗せてくれという人もいるんじゃない?と聞くと、それよりも、疲れて動けなくなったり滑って怪我をしたりした人を運ぶことが多いという。年に何回かは谷に落ちる人がいてレスキュー隊が出動するそうである。

ここの修復も、雨風が強いので、30年位に一回はやらないと駄目だとも言っていた。10時5分頃、本堂までくだり交通安全のお守りなど買う。

 

 10時半にここを出て中山温泉に向かう。倉吉を過ぎて県道152号線に入るが、信号も少なく田園の中を走る快適な道である。ここから9号に入り山陰本線に沿って

進み、11時45分に温泉に着く。ここは温泉つき分譲地などもやっており、設備も新しく綺麗な所であった。

ここで昼食をとって、入湯、しばし、休んで9号線を進む。この辺りは右手は海、左手は大山の山すそが海に迫り、天気が良いと、大山が写真のようにきれいに見えるのだが、残念ながら雲がかかっている。ここから431号で皆生を過ぎて弓ヶ浜展望台で海を見る。相変わらず、大山は雲がかかりよく見えなかった。

 

  伯耆大山(雲が無ければこの位見えるのに) 弓ヶ浜展望台から(雲が無ければ大山が見えるのに)

さらに進み、境水道大橋を渡って美保関に向かう。関の手前にある美保神社は年に一度の大祭礼とかで駐車場が満杯。先ずは、美保関灯台に行く。こちらはがら空き。昔はこの海峡は海難が多く、もともとの名前は美保が崎であったのが、供養の為、地蔵様を祭る人が多く何時しか地蔵崎といわれるようになったとか。

灯台の展望台からは、近くの沖の御前島は見えるが壱岐島大山などはかすんで見えない。

 

      
地蔵崎灯台 
                 灯台から見た日本海(美保港は北前船に寄港地)

 戻ってくると、港の傍の商工会議所の所に、丁度、一台空きがあったのでそこに車を止めて美保神社に行く。港には、飾りをつけた御座舟らしきものもあった。

ここの祭神は大国主命の子の事代主命でいわゆる「えびす」様

(しかし、後で調べたら、「えびす」にはもうひとつの系統がある。それは兵庫県の西宮神社で、イザナギ、イザナミの最初の子の蛭子「えびす」とするものである。

いずれも、全国に3000社以上の系列神社があるそうであり、「事代主」系、「蛭子」系と呼ぶらしい。

ご存知、えびす様は、経済、漁業などの神として栄えた。参拝に行くと、丁度、神職以下祭りの装束をつけた一行が出てくる所。中に神男らしき装束の男が両脇を抱えられふらふらと歩いている。

傍の警備員に聞いたところ、3日間、斎戒沐浴、絶食をして神に祈るのだとか。港での神事は何時ごろ?と聞くと、それは神様次第、などと言う。港での神事は港内だけを廻るらしい。

 

           美保神社祭りの御座船           祭事の始め(白の下は神職、赤は神男)

 有名な関の五本松のある五本松公園は少し上った山の上にある。しかし、この松は、昔、新婚旅行で来た時には、すでに台風でやられており、今は3代目とか。今回は、三徳山でいささか疲れたの行くのは省略。

               

            40?年前の五本松(今はすでに皆枯れている) 

                                 

                

                      江島と美保関町をつなぐ堤防 

3時前に、ここを出て、431号を松江方面に進み、途中から江島に広域農道で渡る。海中に一直線に大根島、江島をつなぎ、海を仕切った堤があり、この内側を干拓する計画だったのだろう。江島工業団地から米子側に渡る新しい橋が出来ていて、これを渡る。ついでに古い閘門橋も渡ってみようといってみると2月22日で通行禁止。

山陰は新しい道が増え、NAVIも当てにならない。橋を渡り、米子空港の横を通って皆生温泉に着く。
よく調べもしないでこの辺だろうと海岸側に行くと昼間からソープランドの客引きがいる。
コンビニで道を聞き、4時半過ぎにかんぽの宿皆生に着く。設備は立派で、飯もまあまあ、風呂も良い。

(この日172km)

 

(4月8日)

 6時45分頃、宿を出て、7時20分頃、大山寺/大神山神社に着く。辺りはまだ一面の雪である。大山は出雲風土記に大神岳とあり、中国地方一番の高い山である。四国の石鎚山が霊場であるように、ここもまた、修験者が遥拝所を中腹(今の奥宮)に作り修験道の霊場となった。ここが地蔵菩薩を祭る霊場、大智明権現で平安時代から鎌倉にかけて、僧兵3000人といわれる大勢力で、隠岐から戻った後醍醐天皇が幕府討伐を祈願した所。しかし、冬場は雪が多く祈祷できない為、麓に冬宮(今の本社)が設けられたと言う。冬宮は江戸時代米子の近くに移されたと言い、今回は行かず。明治の廃仏毀釈によって、冬宮を本宮とする大上山神社となり、その後、大智明権現は大日堂や地蔵菩薩が移されて奥宮となった。その後、寺も復興され、大山寺となったと言う。祭神は勿論、オオクニヌシである。

 大山寺を参拝し、日本一長いという自然石の参道の両側には、まだ、1mも雪が残っているが、参道には、赤蛙やミミズが出てきていて、春の気配を感じさせる。神社は全くの雪の中。帰りの参道が滑るのには参った。

 

         大山寺山門                        大山寺本堂 

 

      大山神神社山門(ここまでの参道が長い)     拝殿(参道階段のみ除雪してある)
 
                           
      
                             
拝殿

 8時過ぎにここを出て、大山周回道路に向かう。桝水高原辺りは霧が濃く、50mも視界がないほど。県道52号から45号に入る予定が直進してしまい、途中から大山広域農道に入り、45号に出てか鏡ヶ成に着く。広域農道も80cmほども残雪があるが、やはり、春になったのか雉が出てきた。

114号(蒜山大山スカイライン)を通り、鬼女台展望台に着く頃には、ようやく霧も晴れてきた。ここからは、鳥ヶ山が見え、しばらくすると、大山も見えてきた。すでに、写真を撮っている若者もいる。

                    

                           鬼女台展望台からの大山

 スカイラインを下って、482号から313号をさらに下ると、湯原温泉である。最近、温泉街全体で古いてんぷら油を回収して、送迎車の燃料にするとか色々なことで町おこしをしている。

湯原ダムの傍の河湯は、露天風呂では西の横綱(ちなみに東は群馬の宝川温泉とか)といわれ、河原に湧く三つの「長寿、美女、子宝」の湯がある。

基本的には混浴であるが、あまりに開放的で女性が入るのにはいささか問題がありそう。女房は足湯で済ます。

 

        湯原ダムと露天風呂(右奥)                先ずは一休み

 ここで昼飯の予定だが、大山が雪であまりまわれなかった為、まだ早い。

すこし、寄り道をして勝山町(06年似合併しみやこ町になっている)に行く。この町は旭川の傍にある三浦藩2万3千石の城下町。

旭川岡山に通じており、江戸時代、川を使って木材の搬出や、高瀬舟での物資の運搬などを行ったと言う。

川筋に船着場や蔵などが残り、川に沿った町並みが保存地区として観光地となっている。3月の雛祭り、秋祭りなどの行事や竹や木材の細工物が盛んであった所など高山などの川筋の町とよく似ている。武家屋敷など見て、昔は城主が武士や庄屋などの目見得に使ったと言う建物の「郷屋」という店で月見蕎麦で昼食。

 

   古い町並み(まあ、何処も似ていますが)          船着場と蔵

 ここを1時に出て、落合ICから中国に乗る。中国道は車は少ないが、カーブが多い上にどうも安普請らしく上下動が多い。さらに春本番で、スギ花粉が飛んでいるらしく眼がかゆくなり、フロントガラスにも虫がつくようになった。

16時には戸河内ICにつき、186号から県道41号の山道を川沿いに下って16:40に湯来温泉に着く。ここでは桜が咲いていた。

国民宿舎「湯来ロッジ」は、ベトナムとの友好のために建てたといい、研修所や結婚式場などもある。温泉は日本有数のラドン含有量を誇る。

ただ、湯温が高く、露天風呂も無いので、湯気に当たってすぐにのぼせてしまう。飯は相変わらず。

(この日323km)

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