山陰・山陽の旅(その6)

 中国山地を通り再び山陰へ

           中国山地にはさまざまな顔があります。今回は、それらを廻る旅になります。

 

(4月5日)

 6時頃起きて、清嵐荘対岸の露天風呂とやらに車で行って見た。河原に石で囲んだ場所があるが、油温はあまり高くなく綺麗とも言えない。帰って、宿の温泉に入り、7時40分頃に宿を出て、314号線をJR木次線にそって南下する。途中、100m以上の急勾配を二重のループで通るヤマタノオロチにちなんだ名前の「おろちループ」をとおり、峠の道の駅「奥出雲おろちループ」に立ち寄る。

木次線は、ここをスイッチバックで登ってくる。この路線も国道の完成で廃止の運命か? このループは大きく全体は見えない。道の駅は、標高700mだが、まだ、残雪も多い。すこし過ぎると三井野原オートキャンプ場やスキー場があり、まだ雪があった。

           

           おろちループ(上端が木次線スイッチバック)――看板の写真でよく見えませんが

                   

                               残雪のおろちループ
                              
                                                                                               

 さらに進んで、東城から帝釈峡に行こうとしていたが、時間も十分あるので、上帝釈峡に行くことにし、10時に到着。入り口の土産物屋のおばさんに色々と教えてもらった。白雲洞という比較的新しく発見された鍾乳洞などもあるが入れない。川に沿って、龍門、雄橋などを通り、断魚渓という所から戻る。おばさんに聞くと、ここは、新緑の頃が一番良いそうである。しかし、今年は寒く、ようやくすこし芽吹いた所。


    

    上帝釈峡の入り口                           雄橋

              

                     雄橋の説明(またまた三大ーー)                                                                                      

 ここから、山道を下り帝釈峡に着いたが、神龍湖は人造湖で、今は水位も低く景観はたいしたこと無い。上帝釈峡に行ったのは正解であった。

早々に出発して、11時過ぎに東城ICから高速に乗り、途中、大佐SAで昼食をとり、院庄ICで降り、中山神社に向かう。

ここは美作国一宮というのに、神社の森らしいものが見当たらず、NAVIでも良く分からず。着いて見ると、素晴しいと言う神社の前の木は皆切られている。神職に聞くと昨年10月20日の台風で、風速50m以上の風が吹き、皆なぎ倒されてしまったと言う。立派な神社であるが神社の森が無いのはなんとなく違和感がある。

 美作国吉備国が、備前、備中、備後に分割され、その備前から和銅年間に分割されてできたと言う。備前、備中、備後の神は、吉備津神社であるが、ここの神社の祭神は鏡作神(鏡作部の神)というのが神社縁起にあるが、様々な説があるらしい。この一帯(吉備国)は製鉄が盛んで、その関係の神が祭られたと言う。今昔物語などでは猿神を祭ったと書かれている。これは、製鉄の為、山に木を伐採に行く樵たちの神であるとも言う。古代の吉備国の勢力範囲であったのは間違いないであろう。

      

 中山神社(この参道は素晴しかったらしい)          本殿(ご神木も何もなし)

 ここを出て、津山に向かう。市内で、集楽園という庭園による。ここで、ようやく桜花にめぐり合えた。っこは、水の流れをうまく使った庭園で天気もよく素晴しかった。

森蘭丸の弟の森忠政が築いたと言う、津山城跡(鶴山公園)では桜祭りをやっていたが、こちらはまだ三分咲き位である。

 

       衆楽園(ようやく桜が)                        衆楽園

   

      津山城跡(鶴山公園)からの津山市街
            津山城の桜

2時過ぎにここを出手179号線を走り、3時半過ぎには、かんぽの宿「美作湯郷」に着いた。ここは、温泉街から離れたゴルフ場に隣接した山の上にある。

(この日 241km)

 

(4月6日)

 早く寝たので5時頃、温泉に入り、宿を6時10分時頃に出る。宿から見る雲海は綺麗である。(秋から冬が特にきれいだと言う)今日は、相当の長旅で寄る所も多い。

                                              
                               朝の湯郷

美作ICから中国道で次の佐用ICまで行き、373号線(智頭街道)を北上する。ここを走る鉄道は智頭急行として、第三セクターとなり、JRと相互乗り入れしている。

大阪から特急も出ていて、数年前、智頭500kV変電所が出来、そこへの輸送が困難なことから始めての分解輸送変圧器を納入したのでその組立てを見に行ったことがある。

 373号線でしばらく行くと、智頭急行平福駅に7時5分頃着いた。この一帯は宮本武蔵誕生の地で武蔵の里として博物館などもあり、彼に関する遺跡?が多い。

傍の畑の畦で蓬を積んでいた親切なおじさんが案内図など持ってきて色々と説明してくれた。そこですこし戻って古い町並みと武蔵が初めて決闘をした所という場所の六地蔵などを見る。

 

       列車が入線してきた平福駅                  武蔵決闘の地の六地蔵

 平福を過ぎてすこし行くと、山の木が一面に倒れており、昨年の台風の被害が大きい。さらに行くと昔の街道の大原本陣である。ここの本陣は今でも有元氏が居住している。中々の門構えである。ここを過ぎる頃は、7時40分位で、丁度、今日から小学校の登校日。交通安全の旗を立てて子供たちを誘導している。

                   

                                大原本陣

 373号線を、智頭急行と平行して進み、53号に入る。流し雛で有名だと言う用瀬に来たが、まだ、「流し雛の館」は開いてない。

さらに進んで、河原に着く。ここはいくつかの川の合流点で見れば、丘の上に城がある。河原城と称し、故郷創生資金で建てたものだと言う。

秀吉が、因幡征伐の時、この地に陣を構えたというのが由来。まだ、9時前だったが入れてくれたが、まあ、郷土博物館のようなものだが、見晴らしもよく、中も良くできていて、この地方のことが良く分かる。オオクニヌシがこの地の八上姫を嫁取に行ったと言う場所(因幡の白兎の話の元)とかで八上神社もある。

城から見た平野の風景は、昔は豊かであったであろう事をしのばせる。

 

           河原城                             城から見た河原周辺

 ここから、進んで鳥取市街を避け山陰本線にそって山陰海岸国立公園の東側である浦富海岸に向かう。

海岸全体を見るにはさらに北上せねばならないが、荒磯神社近くの遊歩道を歩き、鴨磯などから海を見下ろし、この辺の名産である烏賊釣り船が停泊している網代港経由して、ラッキョウ畑を見ながら、海岸線を鳥取砂丘へと進む。

 

           浦富海岸                        集魚灯を下げた烏賊釣り船

319号(砂丘道路)を進み、砂丘温泉ふれあいセンターで入湯の予定であったが通り過ぎ、結局、砂丘センターの土産物屋に駐車し、砂丘の先端まで歩く。

ここから、市内に入り鳥取城址(久松公園)に向かう。ここも桜祭りであるが、堀端の桜はほとんど咲いていない。

公園内も桜はまだだが人では多い。ここの本丸は後ろの山頂に在ったようで、二の丸跡が公園、三の丸跡が鳥取西高となっている。山名氏が築城し、毛利氏の系列の吉川経家が支配していた時、秀吉の毛利攻めで兵糧攻めにあって落城し、経家は切腹。徳川時代は池田氏の城下町となる。

 

          fig20 ご存知鳥取砂丘                    fig21 鳥取城お堀の桜  

                     
   
                               仁風閣

大正天皇が皇太子時代に宿泊し、東郷平八郎仁風閣と命名した建物なども見て、21号で湖山池を見て進み、再び、9号線に出て、白兎神社に行こうとしたが、通りすぎてしまい、しばらく行くと、浜村温泉というのがあると言うので言ってみると、温泉館は休み。

仕方なく、9号に戻り途中でラーメンなど食って2時少し前に倉吉街道(22号)に入り東郷湖を左手に見て、因幡国一宮倭文(しとり)神社に向かう。

ここの祭神は、建葉槌命で、機織の神様である。これを祭ったのは、この神を祖神とする倭文氏といわれる。倭文神社は、山陰の他、関東にもあり、常陸二宮の静神社もその一つである。どうやら、この一族は、古墳時代、自分たちの特殊な技能を生かして、各地に移っていったものと思われる。

さらに、ここは安産の神とも言われている。

 

             倭文神社                             拝殿

 ここから、倉吉に行こうとも思ったが、新婚旅行で行った羽合温泉によって見ようと言うことになった。ここは、東郷湖の西岸にある。

羽合はハワイと読み、当時はとても行くこともできなかったハワイの代わりであった。ここの望湖楼という旅館は湖底から沸く温泉を使い、湖に桟橋を出している。

今は、大きなホテルになっていて、桟橋の様子も変わってしまった。

 

     今の桟橋(右側は露天風呂となっている)       今を去る40年以上の昔――

ここから、179号線に戻り、倉吉に進む。駐車場を探してうろうろし、狭い十字路の両側からバスが来て接触しそうになる。途中全く休み無しで来たのでやはり疲れた。

コーヒーなど飲んで一休みして、町を散策。この町は平安時代には因幡国分寺、国府などがあったが、江戸時代は鳥取藩に組み込まれていた。蔵の街というだけあり、蔵のある一帯はレトロな感じである。福島の棚倉などよりはよくまとまっている。途中、酒屋によって元帥という地酒を買う。日本海海戦100年記念の「東郷元帥」という2本入りの酒もあった。これは、別の蔵の東郷という酒とあわせて作ったパッケージだと言う。

              

                           倉吉の町

 ここから、三朝温泉に向かい、町営国民宿舎「ブランナールみささ」に泊まる。入り口に露天風呂があったのでそこに入り、疲れたので酒を飲んで寝てしまう。

(この日236km)

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