■ 出会った意味を噛み締めて |
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下の文章は、図書委員さんが図書館に提出してくれた「読書会のまとめ」に対する「担任所見」に言葉を補った文章です。 「読みたくもない本を無理やり読まされ、読まない人が多いまま進める読書会など無意味だから止めればいい」という意見を受け取った僕は、君がこの教室で最後に取り組んだ行事に何かしらの意味を見付けたくって、長々と書きました。 それはまた、同じ時代や社会を生きる大人への批判であり、僕自身への自戒でもあります。 余計な御世話でウザイだけ≠ゥもしれませんが、読書や読書会という言葉を「人生」や「学校」に、本や作品を「人」に置き換えて、最後まで読んでくれれば幸いです。 |
分相応の幸せを 君への別れを告げるため “Good-by”と書きかけて Goodの中のGodに気付いた。 GoodとGodの違いは0(ゼロ)一つ 足しても引いても変わらない。 そういえば、「幸」の中の「辛」に気付き 幸(さいわい)と辛(つらさ)とを分ける「一」が何かを問うた詩人がいた。 幸いの中の人知れぬさ辛さ そして時に 辛さを忘れている幸い 何が満たされて幸いになり 何が足らなくて辛いのか ―― 吉野 弘 でも、足らないから辛いとばかりは限らない 苦しくても夢は追いかけている間が一番楽しい。 満たされているから幸せだといえるだろうか 失うことの恐れに縛りつけられる私本来の自由。 辛さを忘れた幸いなどほしくもない 痛みを共感できなくなったら、それはすでに人でなし。 どうせなら、“しあわせ”は皺(しわ)と汗(あせ)でできていると思いたい。 掻いた君の汗(あせ)の分、刻んだ君の皺(しわの分、 君に幸あれ。 然様(さよう)なら |
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■ とことん考え抜く、信念を持って行動する 高校最後の年を迎える春休み、自分が大切に育てるべきものは何か、自分と社会との接点は何処か、そんなことをじっくり考える時間を持ってみたくはないですか。君が今、そしてこれから、不安や焦り、虚無や怠惰を乗り越えながら様々な課題と格闘していく上で、きっと手助けになると思う本を2冊、最後に紹介してペンを置きます。
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■ 深い闇に眼を凝らし、自分の姿を探り出す |
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P129 宇宙の光になったトシ 宮澤賢治は『春と修羅』という詩集を『注文の多い料理店』と同じ時期に出したのですが、『春と修羅』の一つひとつの詩にもやはり日付が記されています。その日付を追っていくと、最愛の妹トシが亡くなって『永訣の朝』が書かれた後の半年間、いっさい詩が書かれていないことがわかります。そして、半年後にっ書かれた『オホーツク挽歌』、『青森挽歌』といったトシの死を悼む詩は、みな夜汽車をテーマにしています。宮澤賢治にとって、『銀河鉄道の夜』に結実する夜汽車という主題はいったい何なのかが、星を見るということとのかかわりで浮かび上がってくると思います。 |
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どういうことか。妹トシが死んだ後、賢治はトシの姿を花巻ではっきり見るのです。しかしそのことを誰に言っても伝わらない。みんなが幻想だ、気が違ったという。本当に幻想なのかどうかを賢治は自らに問い詰めていく。 賢治にとって何事かを見るということはどういうことなのか、そういう根本問題が現れてきます。夜汽車のなかで自分が妹の姿を目にしたことははたして本当だったのか幻だったのか、か、そのことを問うたのが夜汽車を主題にした詩『オホーツク挽歌』、『青森挽歌』です。なぜそれが星を見ることとかかわりがあるのでしょうか。(中略) 望遠鏡というのは私たちの網膜を大きくしたものといえます。何が見えるか見えないかというのは、私たちの目の網膜とそこに降ってくる光との量的な関係です。ですから、光を受ける受け皿をどんどん大きくしていけばいろんなものが見えるようになります。(中略) 今度はその逆を考えて下さい。網膜をどんどん大きくしていけば見えないものも見えてくるわけですが、逆に闇をどんどん深くしていくと、ごくわずかな光も見えるはずだという考えになります。だって夜は星の光を見ることができるのですから。これが賢治の考え方です。人間という生きものは酸素を吸って二酸化炭素を吐き出して生きています。ということは、私たちの網膜は赤外線を観ることはできないけれども――最近は赤外線眼鏡なるものが発明されて軍事用に監視されていますが――、生きものはみな燃えている、体熱を発散させているでしょう。するとみなさんは光を放っていることになります。いったん放出した光は宇宙空間をずっと旅を続けますから、みなさんが一生の間に宇宙空間に放出された光は永久に宇宙に存在し続けることになります。 ならば、闇を深くしていけば、なくなった妹トシが宇宙に発散した光を私は見ることができるはずだ、あれは幻想ではないというのが賢治の出した結論です。 |
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君は、人が息を引き取る瞬間に立ち会ったことがありますか?TVドラマや映画では、息を吐いてガクッと首を垂れるシーンが描かれがちですが、僕の妻は小さな息を一つ吸って、そのまま永久に呼吸を止めました。それは、最後の最後まで一所懸命生き続けようとした彼女の思い、それほどまでにみんなと一緒に生きていたかった彼女の思いのあらわれだったと思いました。 今、名古屋のホスピスに肺癌の末期で入院している僕の父は、癌が脳に転移したらしく、年明けからボケが一挙に進行し、今が何時でここが何処であれが誰かわからなくなりつつあります。そんな父を見ていて、死とは人格そのものを失っていくことなのだと痛感しています。 宇宙の深い闇に向かって秒速30万qで遠ざかっていく自分の人生を、どう生きようとしているのか。いま共に生きている人と語り合いたい、語り合える機会がほしいと思いませんか。 |
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つづく | |||
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■ 幾重にも積み上げられた人生の基礎 |
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この冬休み、宮良先生から与えられ課題に少しでも取り組んでみたい人の為に、今上映中の映画と、何冊かの本を紹介します。 映画は、クリント・イーストウッド監督の『硫黄島からの手紙』。本当は2部作の1作目『父たちの星条旗』とセットで観てほしいところですが、残念ながら。今は『硫黄島からの手紙』しか上映していません。『硫黄島からの手紙』では、君が入ったあの沖縄の壕とそっくりの穴倉が舞台になっています。 ……そして、お薦めの本は次の4冊です。 |
硫黄島からの手紙 |
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父たちの星条旗 |
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□ 『憲法が変わっても戦争にならないと思っている人のための本』 日本評論社・高橋哲哉・斎藤貴男【編著】は、日本が世界第4位の軍事大国(424億ドル≒5兆円)であり、日本が負担している米軍基地の費用は35億ドル(約4000億円)だということなどがイラストで示されていたり、憲法や平和維持に関して君が抱く疑問に、Q&A方式で分かりやすく応えてくれる便利な本です。 □ 『戦争で得たものは憲法だけだ』 七つ森書館・落合恵子・佐高信【編】は、「憲法行脚の会」のメッセージ集。会の呼びかけ人は、落合恵子・香山リカ・姜尚中・斎藤貴男・佐高信・辛淑玉・城山三郎・高橋哲哉・高良鉄美・土井たか子・三木睦子・森永卓郎など。名前を聞いたことがある人が、何を訴えているの知るのも大切なこと。 □ 『憲法九条は仏の願い』 明石書店・念仏者九条の会【編】は、本願寺関係の人たちで作っている「念仏者九条の会」の訴えがまとめられています。会の目的は「憲法第9条の改悪反対の活動を行い、改悪阻止をめざす。」会の活動は「1.本願寺教団に対して、念仏者として、憲法第9条の改悪反対の声明を出すことを求める。 2.本願寺教団の僧侶・門徒に対し、憲法第9条の改悪反対の声を広げる活動を行う。」など。 □ 『これが憲法だ』 長谷部恭男、杉田敦【著】は最近創刊された「朝日新書」の一冊。 |
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★ 下は、諸富祥彦著『「孤独」のちから』(海竜社刊)で紹介されていた、ゲシュタルト療法の創始者フレデリック・パールズの詩「ゲシュタルトの祈り」です。 | |||
ゲシュタルトの祈り
わたしはわたしのことをして、あなたはあなたのことをする。 わたしはあなたの期待に応えるために、この世にいるわけではない。 あなたはわたしの期待に応えるために、この世にいるわけではない。 あなたはあなた、わたしはわたし。 もし偶然におたがいが出会えれば、それは素晴らしいこと。 もし出会わなければ、それはそれで仕方がないこと。 |
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似た題名の本に斎藤孝著『孤独のチカラ』(PARCO出版)があります。これらの本が教えてくれるのは、孤独の効用。 | |||
孤独を恐れるのではなく、孤独と親しむことでこそ、 自分とじっくり向き合い、世の中をゆったりと眺め、 人と深い絆を結ぶことができるのでしょう。 |
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追伸:2学期間、保護者の皆様の温かなご支援・ご協力ありがとうございました。 | |||
つづく | |||
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■ 日本の曲がり角で、君はどこに足を踏み出すのか |
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また、指定校推薦内定後、大学に提出する志望理由書や小論文がうまく書けないといって相談に来る人もいます。その一人に、ある私大の法学部に指定校推薦の内定をもらったものの、志望理由書を書く段になって、その大学の法学部になぜ進もうとしているの考え込んでしまった人がいました。何度も志望書を書き直す中で彼女がたどり着いたのは、法学部で国際法を勉強して、国際連合の職員となり、世界中で援助を必要としている子ども達のために働きたいという願いでした。 人と語り人に思いを伝えようとすることで、自分自身とちゃんと向き合うことができる。そこで初めて自分の夢の輪郭をはっきり描くことができることもあるのだ、ということを改めて感じました。 |
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「愛国心」を売り物にした新教育基本法が成立するのと同時に、防衛庁を「防衛省」に格上げする法案が成立して、「海外派兵」が自衛隊の正規の活動となりつつある今、地球人の一人として国の平和よりも人の平和を築く希望を抱き続け、地球のどこに住もうと愛しい人と安心な暮らしたいと願う人は、ぜひ最上敏樹の岩波新書『いま平和とは 人権と人道をめぐる9話』を読んで下さい。その終りの2話は「絶望から和解へ 人を閉じ込めてはならない」と「隣人との平和 自分を閉じ込めてはならない」です。 |
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保護者の皆様への報告とお願い |
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■ 被害者の辛さや痛みへの共感と、加害者の立ち直りのための援助を お嬢さんからお聞き及びのことと思いますが、今週月曜、盗難が再発してしまいました。(中略) 被害にあった現金は通学のための定期代でした。子どもを学校に通わせるために親が一所懸命に働いてやり繰りしながら渡した大切なお金です。被害者の生徒やその家族の方が受けたショックや腹立ちの声を聞くにつれ、「管理不行き届きで遺憾です」では済まされない思いでいたたまれません。 再発防止には、同じ教室に暮す者として、被害を他人事とせず、その痛みや辛さに深く共感することが不可欠です。ご家庭でも、子を学校にやる親の思いの切なさを語って下されば幸いです。 ただ、一番深刻なことは、加害者が人を傷つけた罪の意識を抱かないまま(あるいは罪悪感に責められたまま)過ごしていること。そして一緒に暮らしていながら、それに気付くことも罪悪感を共有することもできないまま過ごしている加害者の家族がいることです。罪を犯した事情や心情を一番身近な家族にも話すことができず、更生のチャンスを得ることない加害者は、これからどう生きていくのか。それを思うと、またいたたまれない思いにかられます。 加害者が大人であれば言うに及ばず、20歳に満たない「少年法」の保護を受ける子どもだとしても、教室での空き巣行為は、置き引きや万引き同様「刑法」に定められた窃盗罪に問われる罪であることに変わりはありません。 |
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これを再確認した上で、加害者自身が罪を自覚し、加害者自身が抱えている問題を解決していく道筋を見付けて行くことができるよう、お気付きのことがあれば、ぜひご相談、ご協力下さい。 |
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追補:世間の大人や子どもの「いじめ」も、次のような罪に当る行為であることを忘れずにいたいものです |
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つづく | |
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■ 「愛」の対義語は、憎しみではなく「無関心」 |
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先週、ヤン・ヨンヒ(梁英姫)監督のドキュメンタリー映画『ディア・ピョンヤン』を観ました。舞台は、区民の約4分の1、約3万人の在日コリアンが暮らす大阪市生野区と北朝鮮の首都ピョンヤン、そして二つの国を繋ぐ万景峰(マンギョンボン)号。ヨンヒの父は北朝鮮を「祖国」に選んだ在日コリアンで朝鮮総連の活動メンバー。ヨンヒの兄達は、父の薦めで一度も見たことのない北朝鮮に「地上の楽園」を求めて「帰国」し、両親と日本に残ったヨンヒは朝鮮学校に通った。ヨンヒは陽気な父を愛しつつも、北朝鮮の実情を知るにつれ、「祖国」に忠誠を捧げようとする父の価値観に疑問を抱き始めて反抗し、家を出てNYに渡った。帰国後、映画監督となったヨンヒは、失われた父や家族との絆を繋ぎ直そうと、自らまわすカメラで父の素顔を追いはじめる。 |
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悪いのは、私が「コリアンなんです」と答えると、「ああ、あちらの方ね、ごめんなさいね」と、まるで相手を透明人間のように見えなかったことにするパターン。これは非常に失礼な態度です。人間は他者に無視された時、最も傷つくもの。相手がいくら知らない民族だからといっても、きちんと見なくてはなりません。私は「自分と違う者と出会った時に、どう接するか」で、人の真価が問われると思うのです。 日本でも、世の中は違う者同士がいっぱい集まって成り立っていて、自分から見て違う人がいるように、自分も相手から見たら違う人なんだということを、当たり前のように教えられたらいいのになあと思います。 |
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■ 保護者会&クラス懇談会の報告 |
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裏面 |
これまでの教育基本法 | 国会で審議中の「改正」案 | ||
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つづく | |||
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■ 将来を考えることは 今すべきことを見付けること |
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と、うたわれた『教育基本法』を「改正」するのではなく、その理想の実現に向けて努力を続けることでしょう。その第一は、誰かにとって都合のよい画一化を安易に容認することではなく、粘り強く多様性を尊重し続けていくことだと思います。 |
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先日、生野慈朗監督の映画『手紙』(出演:山田孝之・沢尻エリカ・玉山鉄二、原作:東野圭吾)を観ました。熱く重い映画でした。映画館を出た足ですぐ本屋に寄り、原作を買って読みました。 死んだ両親の代りに家計を支えていた兄は体を壊して失業し、弟の学費を得るために空き巣に入った先で思わず老婦人を殺してしまう。服役した兄が刑務所から毎月送り続けた手紙は、思いもよらぬ形で弟の生活を壊する一方、弟を見守り続けた少女の手紙は、生きる道しるべと苦難に立ち向かう勇気をつかむきっかけを与えてくれた。弟は、新たな人生の一歩を踏み出すために…… |
東野圭吾 文春文庫 |
映画では、人物設定やストーリーが原作と変えられていますが、右に紹介した小説の「核」の部分(文春文庫P317〜322の一部を抜粋)は映画でもズシリと来ました。僕は東野圭吾の主張に全面的には同意できません。ただ、この作品と出会えたことで、罪や差別や自殺について考えを深めることができました。 いま自分を取りまいている息苦しい現実を断ち切ろうとするのではなく、いま生きているここから、自分と命を繋ぐ人との関わりをつむいでいけたら、何かが変わるかもしれない。ただ、それには自分を支えてくれている人の存在に気付き、それを大切に思えるだけの心のゆとりが必要なのかもしれません。 |
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2年1組の保護者の皆様へ |
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つづく | |
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