女子校に未来はあるか | |
男女共学化の中で、女子校には未来はないのでしょうか? この問題を考える視点として、次の3つを押さえてみてはどうでしょうか。
しかし、一方で社会に現前として存在する男女間のダブルスタンダード(男はよくても、女はだめと言うような二重基準)が存在しています。男女平等の掛け声の中で、男女の生物学的な差異に基づく女性(母性)保護が軽んじられていきながら、男女差別が因習や常識として、あるいは経済効率として根強く残っているのが現実です。 学校教育の場でも、進路選択や科目選択、大学の学部による男女比などに、多くのジェンダーバイアス(性別による偏り)があり、それらが「男女の特性」と言った非科学的な言葉で容認されているのも事実です。 「良妻賢母育成」や「お嬢さん学校」を目指す女子校は一部の特殊な学校法人によって守られていくのでしょうが、これからは、こうした性差別を乗り越えるだけの力と闘う術を学ぶことのできる女子校が、女子校として生き残っていく社会的価値を有するのではないでしょうか。 特に私学の場合、それぞれの学校に「建学の精神」があり、その多くが、仏教やキリスト教などの宗教がベースになっています。ところが、広告やパンフレットには「宗教による人格形成」「心の教育」を謳いながらも、「女子校」であることと同時に「宗教系の学校」であることを実質的に薄めていく傾向を見せている学校もあります。 「女子校は流行らない。宗教はウサン臭くてシンキ臭く見られる」と、自らのアイデンティティーを見失い、目先の進学実績に目を奪われた女子校の末路は想像がつきます。 カトリックであれ、仏教であれ、女性に対する差別の歴史を持っています。それを乗り越え、宗教が導き出しうる人間解放・女性解放の道を示すことが、女子の宗教系学校に求められる社会的価値ではないでしょうか。 公教育を担う学校であれば、公私の区別なく現代的な課題にどう対応し、学校をどう社会に開かれた場にしていくのかと言うことが求められます。男女の区別なく高い学歴や教養や技術を身につけていけるような学力保証をすることも、大きな課題の一つです。国際化、情報化、IT革命と次々に押し寄せる課題への迅速な対応は不可欠です。 しかし、その全てが男女平等な社会ではなく、男女不平等な社会の中で、女子に身につけさせる課題だと言う認識が必要でしょう。みずからが「女子」の教育機関であるという自覚を失った時、生徒や保護者の女子校離れを加速させることになります。 学校の主役は学びの主体=生徒達であることを再認識し、これからの社会で女性が人生を切り開く力をしっかり付けていくことを自信を持って標榜できる女子校こそが、伝統を重ねていけるのではないでしょうか。 また、大学などを併せ持つ総合学園の場合、大学との連携をどう築くのかと言う課題を抜きにして、安定した経営基盤を求めることは困難でしょう。公立高校の中でさえ、「冬季進学講習」を受験勉強に絞らず、複数の大学と連携した学習の場にしていることに、もっと学んでもよいのではないでしょうか。 次に紹介するのは『毎日教育メールNo.754』(2005年3月11日送信)からの抜粋です。一時の女子大生ブーム≠ニは違う、この静かな女子大人気は、どんな形であれ女性の自立を支えていこうとする学校が求められていることをしめしているようです。
|
|
2005/03/11一部改訂 | |
図書紹介 | |
|
|
サイト紹介 | |
|
|
記事紹介 | |
管理人の研究紀要へもどうぞ | |
教育と性の棚の目録にもどる |