◆ No.75: フランスの「千と千尋の神隠し」 (2006.12.3) ◆
昨日、「千と千尋の神隠し」のフランス語版DVDがかなりおもしろく、フランス語吹き替えバージョンと、フランス語字幕入りの日本語バージョンと、両方見てしまう。
そのせいで、昨日、かなり夜更かしをしてしまった。
登場人物が、みんなフランス語でしゃべっている。そうすると、なぜか、登場人物の性格までフランス人っぽくみえてくる。
今日も、夕食後、部分的に何箇所か見てみる。フランス語吹き替えと、フランス語字幕は(訳者が違うのか)同じではない。
日常会話でのフランス語、「そんな言い方しなくてもいいでしょう・・・」と思うことを言われることがよくある。(最近はそうでもないけど、滞在許可書関係の頃は頻繁にそういうシチュエーションに出くわした。「いいえ、だめです。帰ってください。」みたいな。)
日本人的には、それ、けっこう精神的なダメージを受けるのだが、でもそれ、そんなに悪気があって言っているのではない、と言う気もしてきた。
このDVD見ていて思ったのだけれど、日本語は感情を伝えるための言語で、論理を伝えるのには適していない。ヨーロッパ言語はその逆なんじゃないか、という気がしてきた。
日本語が「感情を伝えるための言語」だと思うのは、相手に何かを要求する場合「~していただけると助かります。」というような、相手の感情に訴えるような言い方をする。
こちらで、日本人のようにもごもご言っていると、相手は、「それで、あなたは私に何を望んでいるのですか?」と聞かれる。
きっと、「私はあなたに○○をしていただきたいです。」とはっきり言えばいいんだ。
「はい」か「いいえ」は相手が決めること。こちらが先回りして気を使う必要はない。
「はい」なら「メルシー」でよし。「いいえ」なら「なぜですか?」と聞けば、きっと理由が返ってくる。その理由によって、こちらは、ねばるべきか、あきらめるべきか判断すればよい。
日本語は、常に相手の感情をうかがいながら、そして、常に相手が自分の気持ちを察してくれることを期待しながら会話が進行する。
日本語、ひょっとしたら、かなり特殊な言語なのかもしれない。
こっちは、掃除機も、歯ブラシも、言葉も、ごつくて合理的だ。
DVD。裏側。
左:フランステレコムの解約通知書。
右:ナフテレコム(ADSL+電話)の入会規約。
こういう「契約」や「規約」のたぐいの書類、日本のはとても読みづらい独
特の文章だが、こちらはごく普通の文章で、単純明快でわかりやすい。
それで、『日本語は論理を伝えるのには適していない言語だ』と思った。
関係ないが、今日、近くのチーズ屋さんで買った、
めちゃくちゃうまいコンテチーズ。香りもいい。
●おまけ: 「千と千尋の神隠し」の日仏比較。
不思議の国(?)に迷い込で帰れなくなった千尋(10才)、生きていくために温泉旅館で働くことになる。ある日、先輩のリンと、激しく汚れた浴場の掃除を命じられる。いくらこすっても落ちないため、リンは薬湯で洗う必要があると判断する。(薬湯は、本来はお客の入浴用。) そこで、千尋が、番台に薬湯の札をもらいに行った場面。
【日本語】
番台:「そんなもったいないことができるか。」←いじめている
千尋:(しばらく突っ立っている)
番台:「いつまでいたって同じだ。戻れ戻れ。手でこすればいいんだ。手を使え、手を。」
千尋:「でも、あの、薬湯じゃないとだめだそうです。」←状況を察してくれと言っている
番台:「わからんやつだなぁ。」
【フランス語の訳】(ぶんげんの訳なので多少違っているかも)
番台:「論外だ。それは君にはもったいなすぎる。」←「ノー」の理由を述べている。
千尋:(しばらく突っ立っている)
番台:「ここにいても無駄だ。手でこすりなさい。不平を言わずに仕事に戻りなさい。」
千尋:「ムッシュー、お願いします。でも、薬湯が必要なのです。」←要求している
番台:「しかし、君、頭が固いね。」
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