誤字・脱字があるのはわかっていますが、直すのが面倒ですので、適当に読み流してくだされ。

( 奇妙な出会い:歌舞っているゾ。コイツラ。 )


不思議なゲームだなあ。
このエイブって奴(ゲーム)は。

いわゆる教科書どおりのゲームらしくないゲームだよなあ。
本気(マジ)なのか不真面目なのか。
しかし、アンチを感じるよなあ。このゲームの作風。
歌舞ているというか。そう装っていると言うか。

このゲームは、
本流に対する亜流ではなさそうだ。
支持層は異なるが、両対局ともメジャーである。
つまり亜流ではないわけよ。
このオモシロさがわからない人お断り的な自己満足的な作り方じゃない。
しかも超一流。
そうなれば、このゲームは亜流じゃなく、新しい本流っていうことか。
いやこのレベルは本流を超えている。
まさにシュムペーターの言う’創造的破壊’って言うんだよ。
きっと。
つまり、ゲームをイノベートしたいって言う明らかにそう意識をもって
このゲームは精緻に作られているような気がした。
それでもって過度にアーチスティックでそして歯切れが良くスマートだ。
当時(‘99)幼稚園だった長男に買ってやった中古ゲーム。
だだのテレビゲームなのに。GCの動画は下手なB級映画より凄いし。
‘97の作品。
嘘だあ?。
今でも十分見るに耐えるジャン。
息子は映像ではなく、ゲーム自身のパズルを解くおもしろさに夢中であったが。
邦題"Abe a GOGO"。(原題:Abe's Oddysee)
その息子も今年の8月で11才になる。その子の父親である私は42才である。
大体、このゲームを作ってた会社自体わけわからない名前だし。
Oddworld Inhabitants。
そもそも英和辞書に載ってない。
Oddworld ?。
Odd。 変わった。奇妙な。
World。世界。それとも宇宙。
Inhabitants。 住民。 住む人。
‘変わった-世界に-住む人-社。’....“奇妙な世界の住民”社。
なんじゃ。こんな名前の会社って。いったい、どんな会社なんだ。
どんな人たちがこのゲームを創ったんだろうか?
ある意味、ゲームはお子様たちのためにあるそう言うお約束事に対する挑戦のような強気さを感じた。
そんな自分の好奇心を駆り立てるインスピレーションと裏腹に‘多分、売れてないんだろうなあ。こんな変なゲームって’と心の中ではそう思っていた。
しかし、自分のインスピレーションほど当てにならない物はないようだ。
このシリーズは世界中で300万本以上セールしていたのだ。
そりゃ、老舗のファイナル・何とかとかマリオ云々に比べりゃ、ビック・セールでは決してないけど。
しかし裏を返せば、数あるゲーム山からこのゲームを善(よ)しとして選び、そして購入した人達が世界に300万人以上いることは、奇跡に等しく、世の中まんざら捨てたものでもないし、このゲームを愛する人たち。
つまり自分と同じ穴のムジナが300万人もいるかと思うと嬉しくなった。感動ものである。
発売当時、日本のゲーマーの中にも、直感的にこのゲームの持つ何とも言い表せない奇妙さに気が付いていた感性豊かな人達は確かなにいた。
今もネット上に残る数少ない評論やコメント、雑感、日記....。からその足跡を見つけ出すことができる。

たとえば、伊藤さん笠原さんほげさん。そして当時ゲーム批評の編集に携わっていた  元編集長斎藤亜弓さん。
そして今も当時このゲームをプレイした時に感じた何かモヤモヤした不思議な感覚を書き綴っているnororiさん。

また、私たち家族のようにたまたま発売後中古で買ってプレイし、このゲームの出会えて良かったと思った人たち。
またグラフィカルな側面からまたゲーム自身の持つ本来の楽しさからニコさん里石さんなどこのゲームを楽しんだ人たちもいる。

ともあれ、もうこのゲームと付き合って7年が過ぎた。

この“奇妙な世界の住民”社。
そうOddworldの創設者であり現在も共同代表者は、Lorne Lanning(ローン・ラニング)SherryMcKenna(シャーリー・マッケーナ女史である。
Oddworldの創設の創立は‘94まで遡る。
記念すべき、第一作目が産声をあげる3年も前のことであった。

Lorne Lanning(ローン・ラニング)とSherryMcKenna(シャーリー・マッケーナ女史)。
アメリカのゲーム業界でこのふたりを知らないものなら、それはモグリ。そのくらいこの二人
は有名である。
そこで、今回はXbox公式サイトでのインタビュー記事を訳しながら、彼らのゲーム観が少しでも垣間見られればいいなあって勝手な思い込みで、触れることにした。
サブタイトル・注釈は私の独断で追加しているのでご理解くだされ。

インタビュー;
共同経営者Lorne Lanning(ローン・ラニング)とSherryMcKenna(シャーリー・マッケーナ女史と共に

(才能だけでは生きて行けないハリウッド)

ハリウッドは、言わば厳しいところだ。
たとえ、あなたは、素晴らしい視点や深く精通し、そして芸術性を持ち合わせていても、資金を調達しょうとすることは容易ではないのですから。
(正に)それは、Lorne LanningとSherryMcKenna女史がCGアニメーション映画会社を立ち上げる夢を実現するに当たり、障害となっていました。
SherryMcKenna女史は(当時を振り返って)、“彼(Lorne)は実際にゲーム会社を創りたいと切望している中の一人でしたが、私は映画人の一人に過ぎませんでした。“ ”でも、私たちはCGで映画を創ることで数百万ドルの必要な資金を調達するのがどれ程難しいことなのかは知っていたわ。“と語っています。
彼(Lorne)は、“僕たちがCGでの映画を創ることを可能にするには、まずゲーム開発会社を立ち上げることは一つの手段なんだ。“と私に話しました。

(21世紀のアート・フォームそれはビデオ・ゲーム)

(しかしながら)彼女は当初はまったく(彼の言うことには)取合いませんでした。しかし、彼は粘りに粘りましたました。
“ビデオゲームはまさに21世紀の芸術形式(art form)となって行くことをあなたは理解しなければならないんだ。”と彼は言いました。
(それでも)彼女は取合いませんでした。彼女は当時のありがちなビデオ・ゲームのシューティングや暴力(的表現)のすべてに満足していませんでした。“そうね。彼が私を納得させるのには彼此2年はかかったんですよ。”彼は常に私に言い続けたわ。“僕を信頼して。僕たちがその(ビデオゲームはまさに21世紀の芸術モデル)考え方をベースにし、ファン層を築きあげた時こそ、僕たちは、このすべての世界観(宇宙観)を創り上げ、そしてその世界を創れるんだ”って....。(この個所の訳は適当)
それでも、彼女は半信半疑でいました。
“(何言ってるの)まだ90年代に入ったばっかりじゃないの。(現実を)理解しなさいよ。あなたの言うコンテンツでいったい何なのよ!?”と

(創造性の一欠片もない商業広告業界)

当時、彼女はRhythm&HuesStudios
(アメリカ屈指の広告制作会社。特にCGに特化している映画製作も行い、ご存知、スチュワート・リトルなんかもこの会社が担当していた。)の副社長兼制作総指揮担当者であり、彼(Lorne)は特別企画クリエイティブディレクターでした。
(当時の依頼主の)大企業といえば、彼等のもとに訪れ、そして、“これこそが、私たちがあなた方にしてほしいことだ。”と言い、兎角、大企業は予算を握っていて、大企業は全く余地なくすべての意思決定をするのが常でした。
“それこそが大企業の黄金律なのよ”と彼女は述べています。
“資金と支配を握っている連中は、その黄金律自体はそれ(作品?指示語のそれがハッキリしない。)を台無しにしたわ”
“わたしが何故そうなるの?”と意見をしょうとも言うなら、大企業は“そりゃ、我々が金を払っている依頼主だからさ。”と答えるのが当たり前でしたから。“
“本当に(大企業の傲慢さには)うんざりしていましたわ。”

(暴力反対!頑固一徹・女傑:シャーリー・マッケナー)

時は熟した時....
彼(Lorne)がシャーリーを心から説き伏せたことに気付いた時、彼(Lorne)は、彼女が本当に強い信念を持ち合わせたいたことを知りました。それは、彼女の持ち合わせている創造性やゲームにおける暴力に対する彼女の持論だけではなく、企業経営のノウハウなども。
そして彼女もまた一点のくもりもなく、同意したのでした。(意訳)
“わたしはね。人が働きたい、そしてすばらしい時間を過ごせる、更に心から楽しめるそんな会社をあなたが創ろうことができることを、従業員たち(コニュニティー)に証明したいのよ。”
(あえてemployersという単語を使っていない所に注目!)
“そして、それが楽しめない、またくだらないものとなる時を除いて、わたしはのどんなにそれが難しく、困難なことになろうとまったく厭わないわよ。”
しかし、彼女がどんなに会社経営に関して時間を費やしてもまた求めても、(そんなある意味で厳しいOddworldという職場にも)大笑いすることはあるのです。
彼女はゲーム・シリーズの中で、エイブに起こったエピソードについて話してくれました。
“その時、(開発)チームは、エイブの表現に過度に暴力的になっていると(根っからの暴力嫌いの)わたしが感じているのではないかと(ともすれば、ボツになってしまうのではないかと)開発チームは、ハラハラしていたわ。[と言うのも、エイブがぷっ叩かれるシーンが含まれていたからなのです。]
私はそれを見るや否や、(まあ)と大笑いしたわ!。
(もちろん)そのシーンはお釈迦にならず、(the bit got to stay in;書いていたプログラムのその個所のビット数はそのまま残った。独特の言いまわし)
(その場の)開発チームの安堵のため息を聞くことができたでしょう。
(ゴージャスな容姿とは裏腹に彼女の仕事に強烈に取組む姿勢・経営手腕・従業員への徹底した健康管理などや暴力表現に対する彼女の持論は、アメリカのゲーム業界では有名です。一般的にOddworldシリーズが残酷で暗い雰囲気を持ち、グロいゲームとして日本では評されてはいますが、ゲームコンセプトの根幹には暴力(的表現)を否定し、主人公・エイブには決して武器を持たせてはいけないという約束事があり、言わば、逆説的意味合いを持たせている点が堪らなくイカシテるってかんじませんか?。
‘じゃあ武器を持たずにどうやって相手に対抗するのか?’思案する開発者たちの苦心は、エイブの唯一の武器がオナラになったり、間接的に敵をやっつけるための手だてとしてのチャント(祈り)を生み出していったさすが!Oddworld!!と唸らせる所以です。
いずれにせよ、彼女の信念を曲げない、妥協を許さない、彼女の側面がうかがえるエピソードですね。
ただ、この記事をはじめて読んで訳したとしても、このような背景がわからなければどこがオモシロイいのかはチンプンカンプンでそんなマドロッコシいゲームなんてゲームじゃないっていばそうかもしれませんが。
また、彼女の数あるインタビュー記事を読んでいると職場で頑張っている女性の待遇向上にも尽力しています。とにかく女傑っていう大姉御って言うかスゴイ人です。)

(Making game of God: ゲーム創りのカリスマ:その名はLorne Lanning )


一方、Lorne関心はゲームにより以上のものを求めることです。彼にとって、最も大切なことは、如何にあなたがそのゲームをやり終えた後の結果としての達成感、何か(モヤモヤとした)ものの一握りの感じ、そしてあなたのまわりの世界にある期待しているある一種の新しい発見を感情に織り込みゲームを創りあげることです。時間や諸々の制約の上に、彼はまだ彼の求めているゲームには達していません。

彼はマーサ・グレアムの引用を我々に参照してくれました。

(マーサ・グレアムは、アメリカの現代舞踊の創始者の一人として知られています。
彼女の舞踊は、当初は前衛芸術として受け取られていましたが、
身体による表現の革新者として今でも多くの人々に影響を与えています。)

"
芸術家とは言うものは喜ばないのです。どんな時でも其処には満足っていうものは存在しません。
そこにあるものは、より私たちをウキウキさせまた前々と進める‘奇妙(queer)で’神がかった不満、と神聖な不安しかないのです。
"
彼の話しを聴くことは、魔法にかかったように素晴らしい。
あなたは、Oddworldで働いているすべての人の取組み姿勢に彼の(ゲームに対する)ビジョンのの影響がどれほどのものかを知るでしょう。
彼らはLorne Lanningの為に働いているのではなく、彼と共に働いているのです。
そこには一種の大きな連帯感が存在しています。
Lorneは、Oddworldの(提供する)ゲーム−ゲームは心を豊かにし、楽しくなることを享受する。−ゴールは、一つの世界(観)、物語、そして惚れ惚れするキャラクター、を創ることである。と言います。
それは、単にゲームを制作することではないのです。
インタビューが終る時、いつも彼によって語られます。
彼は躊躇することなく熱く語り、そして人生における彼のゲーム観、哲学、またそれ以外の彼の創造性について分かち合うだろうこと。
しかし、ここには彼の話しの中には、チックっと刺す(何か)があります。:それは、あなた方自身の考えかたや関連付けされている文明や環境に対するメッセージを送ることについてです。
盲目的に生活を送ることだけでなく、それと関係づけまたそれと関わり合う世界に対する認識。
これこそ、ビデオゲームの大きな使命なのです。
彼の思慮深い話しを聞いたあと、あなた方はたった今始まったばかりの彼のビジョンに満ち溢れたその旅を経験するでしょう。

(彼らの提供するゲームのメッセージは常に現代社会に対するアイロニーがメッセージとして織り込まれています。資本主義、食物連鎖・環境汚染、行き過ぎたバイオテクノロジー、マスメディア・大衆消費、暴力、機械文明などなど…、しかし、それをしかめっ面をしながら、ダイレクトに表現するのではなく、彼らならではの一流のしゃれっ気たっぷりの味付けでつくりあげてくれます。そこが何ともおませなゲーマーに絶大な人気を得ている所以であり、またそのしゃれっ気は社会全体を全否定するのではなく、笑い飛ばせるだけの彼らの人間味溢れる暖かさも同時に持ち合わせている点に我々は救われる。そのようなバランス感覚が心地よい。

しかし、時にそのしゃれっ気は批判の対象となることもある。
GIGnews.comの2003/11月の彼らに対するチャットによるインタビュー記事の中で、以下のやり取り
が興味深かったので紹介しておきましょう。

司会:
数年前のこと、あるコメディアンがいった。彼はソファーに寝転んで、ビールを飲みながら、深夜テレビ放送をボーッと見ていた。そしてある番組に両腕のない男が足でギターを弾いていた。これを見たコメディアンは、コメディアンのすべてが’(悪意に満ちてとても笑えない)なんてこったい’って思うだろうよって。
正直に言いましょう。私はOddworldの表現の中にその多くを読み取ます。そして、私は、確かに’なってこったい’っている感情を抱き始めるのです。きっと、あなた方は少なくともある種の’高貴な悪意’を持っている。(もしくは)そう言う意識があるでしょ。ビックマックやナイキやリトニー・スピアーズやハミングをしながらドライブをするフルーツの匂いたっぷりのSan Luis Obispoの人(Oddworldはカリフォルニア州の北部の片田舎に位置する。)、それとも何かに対して嗾(け)しかけるでしょ?
高貴って和らげながらも、かなりストレートに攻撃的な質問を浴びせ掛けてる
メラニー・カーボン女史(司会)


Lorne Lanning:
そうとも、私は根っからの(軽蔑される)南部生まれの(教養のない)白人さ。
(いきなり、切り返す)
(ここからは真顔でカッコよく)私は毛針用の釣竿を川にまったりと糸を垂らし過ごことが好きです。
ジープに乗ってよく行く釣り友達が私に言いました。
”なあ、ローン、いまでも南部人らしさがあなたに残っていることを神に感謝しろよ”って。
私は’魚に対する再教育’を実践しています。
マスを釣り上げ、その時にマスにこう話すんです。
”そうさ。気を付けるんだよ。あんたを仕掛けに引っかける次の釣り人は、悔しい思いをするはずさ。だからさ。もっと賢くお成り。そして長生きしろよ。って。(逃がしてやるのです。)
(マスに再教育することで、次の釣り人を釣らさないようにする意地悪)
ってっまあ、わたしのような南部人の悪意っていうものはこの程度なものですから。
ほかの悪意かって?
そおりゃ、ここでは言えないさ。
(最高の切替えしで、タフな質問をクリアー)

SherryMckenna:
おお!映画好きで(俗な)雑誌やWestWingやGilmoreGirlsとその仲間たちのような(俗な)ドラマ好きの誰か以外と私を勘違いしていらっしゃるじゃありません?
もしあなたは、私の友達に”わたしが”高貴”だ”ってことを言いでもすれば、あなたは彼らの笑うを止めることはできなかったと思うわよ。
(これまた、やんわりと質問を一蹴した))

Lorneの神経質なサインとSherryの豪快なサインが対照的!



Munch Money
Lorne Lanning's odyssey through Oddworld led to greeener pastures