激しい吹雪の中をさと子が家に帰ると、おばあちゃんが玄関の庭でほうきを持って待っていてくれました。

「おお、おお、頑張ったね。外はひどかったでしょ。オーバーに雪がぎっしりつまっているよーー。それ、それ」

おばあちゃんはニコニコしながらコートの雪を前から後ろから、 サッ、サッ、サッ、と手際よく払ってくれました。時々ほうきの先がさと子のほおに当たります。

「おばあちゃん、もういい、もういいよ。ありがとう」

さと子はコートを脱ぎながら、

「まきおばちゃんがよろしくってーー、おばあちゃんに遊びに来てくださいって……」

「はいはい。ありがとう。雪さんがおさまったら明日でも明後日でも行ってみまひょ」

こんな元気なおばあちゃんが二日経った朝、まだ暗いうちに大きな声で、

「はいはい。今行きます。待ってください。はい、今参りますよ」

と言いながら、いつもとは違う速さで押入れからきれいな紫のちりめん風呂敷を出し、

「やっぱり、この方がいいわね」

と言って、アレヨアレヨという間にその風呂敷に着替えの着物や帯、足袋などを入れてくるくると巻き、 ひょいと肩にのせて両端を胸の前で結びました。

「両手を空けておかないと足元があぶないからね……。手に何か持っていたら、 転びそうになってもつかまる事が出来ないものね。さと子ちゃん、そんな顔しないの。ちょっと行ってくるからね。 家を出た角のところでまっているの」

「おばあちゃん、誰が待っているの」

「さあね、逢ってみないとわからないんだけれど……、あまりお待たせしたら失礼でしょ。ちょっと行ってくるからね」

さと子は何かが起こっているらしいとわかると黙って起き出し、寝巻きの上にカーディガンを着て、 おばあちゃんの後からついて行きました。

さと子は仲良しのおばあちゃんとは、一緒の部屋でした。

廊下に出ると、お兄さん、お姉さん、お母さんが、

「どうしたの、おばあちゃん、どこへ行くの、誰か来たの」

と言いながら、それぞれの部屋から出て来ました。それには全然気にも止めず、 おばあちゃんはもう玄関のしき台の前で、はいて行く靴を探していました。

「外は雪が積もっているから靴の方がいいんだけど……」

と言いながら、おばあちゃんは部屋から出たままの勢いで下駄箱の下をのぞいたからたまりません。 頭から前のめりにごろんと転んでしまいました。さと子が後に来ていたのですが間に合いませんでした。

「あーっ、いたた……」

「おばあちゃん、大丈夫。わたしにつかまって……」

「あ、いたっ、いたーーっ。さと子ちゃんありがと。おばあちゃんは大丈夫だから、早く表に行って、 今行きますからって言って来てーー、あ、いたた、た」

おばあちゃんは手をついてしき台にはい上がり、頭からすり抜けていった風呂敷包みを引き寄せました。

外から戻って来たさと子は、

「おばあちゃん、外は誰もいなかったよ。角のところまで行ってみたけれど、 シーンとして雪の上には足跡も無かったーー。大丈夫なの、おばあちゃん」

「はい、もう大丈夫。わたしがノロノロしていたから間に合わなかったの。申し訳ない事をしてしまってーー」

「誰も来ないのに……。来なかったのに申し訳ないなんて……。おばあちゃん、夢でもみたんだろうか」

「いいえ、夢なんかじゃないよ」

「待っていた人って、皆が知ってる人」

「それが分かったら、その方に電話しますよ。わからないの」

「……、……」

「おばあちゃん分かったーー。そういうのを”もうろくたかった”って言うんでしょう。きっとそれだと思うけれど……」

「もうろく。もうろく」

おばあちゃんはフーッと一つ大きなため息をついたと思ったら、

「もうろくねえ。そうかもねえ。やっぱり年だしねえーー。駄目かねえ。もうろくねえ。立派ないいお声の方だったよ……。変だねぇーー。 さと子ちゃん、雲の上には足あともついていなかったっていってた……ね……」

「うん、そうだよ。おばあちゃん」

「分からないねえ。どうしたんだろうか」

こんなことがあってから家の人達は、おばあちゃんに前よりずっとやさしくなりました。 例えばおばあちゃんが何か頼んだ時、以前のように

「ちょっと待ってね」

と言わなくなったのです。誰かが必ず、すっと立ちました。

三学期の終業式の日、さと子は苦手だった算数と社会が上がって、先生に励まされ、 六年生になるのは明日からだっていいのにと思いながら、うきうきして家に帰って来ました。 何て気持ちのよい午後でしょう。

「ただ今」

大きな声で茶の間のドアを開けると、お母さんが、

「しずかにーー」

と、口に手をあてています。見れば茶の間のいつもの場所におばあちゃんがいません。

お母さんは黙って奥の部屋を指しました。 そして、せっせとスズランの模様の入ったかわいいメリンスの布で長い座布団のようなものを作っていました。

「おばあちゃん、どうしたの、かぜなの」

「いいや。何だか横になりたくてね……。それだけなんだけれど……」

ちゃんと話はできるのですが、さと子がドキッとする程おばあちゃんは寂しい顔をしていました。

後でお母さんは、

「お昼ごはんの時お箸の使い方がおかしくなってね。それに自分ではきちんと座っているつもりなのに左側に倒れていくの。 お母さんはびっくりして、とりあえずみかんの入った箱にバスタオルを掛けて脇の下に置いてみたんだけど……。 おばあちゃんね、”わたし変だねえ”って笑ってて、お母さんには、それがとても有難かったけれどーー、」

と心配そうでした。さと子が家に帰る少し前にお医者様が帰り、診断はお母さんが思っていたとおり、 ”老衰”だったそうです。

おばあちゃんは時計の振り子に合わせるように、どんどん痩せ、力が無くなって行きました。 氷のかけらを美味しそうに口の中でゆっくり転がしているだけで一日が終わりました。

お母さんはお姉さんに手伝ってもらって、メリンスの布でできた細長い座ぶとんをおばあちゃんの背中と腰に当たるように敷き込みました。お母さんはやさしく、

「随分楽になったでしょう。さと子の小さい時の着物で作ったから元気になりますよ。 おばあちゃん、今度は氷でなく食べ物を口に入れましょ」

「はい、はい。ありがと」

おばあちゃんはすっかり細く薄くなった手をゆっくり布団から出して、入れ歯を外し紙に包んでさと子に渡しました。

「もういらないしね。口の中もやせてきて、入れ歯がじゃまなの」

「はい」

入れ歯を外したおばあちゃんは魔法がかかった様に、あっと思う間にしぼんで、顔が半分ぐらいになってしまいました。

「さと子ちゃん、心配しなくていいのーー。ちっとも心配ないーー。順番なのね。 神様が決めた順番に従うだけーー。ただそれだけの事なのーー。おばあちゃんは幸せ……で……言うこ……となし」

言葉の半分から目をつぶり、微笑みながらゆっくり言って、おばあちゃんは寝てしまいました。美しい大きな木も、 秋になってやがて枯れてゆくように、大好きなおばあちゃんも今その時を迎えているのだと、 さと子は不思議な安らかさの中でじっと座っていました。

夜明け前に一度目を覚ましたおばあちゃんは、お母さんから湯冷ましをもらって、

「静かだね、外は晴れているのにーー。……。……。お母さ……ん、苦しんだからお祈り……して……。 おね……がい。ありが……とう」

と言って、何度も大切そうに深く息をしながら静かにこの世を去って行きました。

さと子は激しい吹雪も、昼下がりの穏やかなぼたん雪も、冴え渡る月の下の雪の原も、 四月の解けかけた汚い雪でさえ嬉しいのです。おばあちゃんを思い出すからです。

そしてあの最後の時、きっといつかの方がおばあちゃんを迎えに来たのでしょうとも思っています。

日が経つにつれて悲しさが少しずつ薄らいで行くと、さと子の中でおばあちゃんが元気に活動を始めました。 友達とけんかしそうになって困った時、学校の授業時間でどうしても分からなくて目の前が暗くなり始めた時など、 おばあちゃんの美しい笑顔がすごいスピードで、さと子にエネルギーを渡して行くのでした。

さと子はおばあちゃんのいない部屋が寂しくて、時々大声を上げて泣きますが、 このような事があって子供は大人になって行くのではないかと、心の深いところで感じ始めています。