近頃は午後の日ざしがとても強くなって、春の近いことがわかります。
でも、茶の間の窓から見える山並みは、まだ真白で冬のまま。 土の中からの声を雪が一生懸命におさえて、「まだ冬、まだ冬」といっています。
三月になってから吹雪があったり、雪が40センチメートル降ったりしておどろきましたが、もう慣れたものです。 皆だまって雪かきをし、ブルドーザーの入った後は、近所総出でそれぞれの家の前の雪を片付けました。 皆明るい顔なのは、すぐそこに春がきているからでしょう。
今朝お父さんは、水色の入ったネクタイをしめながら、「春の小川は、さらさら行くよ」を鼻歌で歌っていました。
子供達も元気に学校へと飛び出して行きました。
お母さんは、一つ大きく深呼吸をして掃除機を出し、今日のはじまりとばかりにスイッチを入れました。
お母さんも春を待っています。
去年張り足した芝生はうまく根づいたかしら。 花壇の縁に植えたベコニアは、とうとう家に入れてやらなかったけれど、どうなったかなぁ。 そうそう星置のおばさんにもらったかわいい”ほうの木”は、今年元気に葉の数を 増やしてくれるのかー。 めいの厚子ちゃんにウエディングドレスを縫ってあげたので十月はとても忙しく、気がついた時は雪が降っていて……、 やっぱり冬囲いをしてやるべきだったのよね。
掃除機の手を休めて庭を眺めたお母さんは、雪の山から突き出ているライラックの枝の若芽を見て、心がおどりました。
掃除を終えたお母さんは、洗濯物をたたみはじめました。
昨日は大きなものの洗濯日だったので、ソファは山盛りになっています。
テレビをつけたらニュースをやっていました。 お母さんが最近のニュースで心配しているのは、何といってもアフリカのソマリアや、ボスニア・ヘルツェコビナの被災民の事でした。 胸の深い所に針がささっているような痛みがあります。
今日はとくに現地の様子がくわしく報道されて、画面もあちこちのテントを写し出し、 飢えて力なく、疲れ果ててうつろな目をしてうずくまる人達を、近くから、遠くから何度も見せてくれていました。
暑いのに加えて、彼方につらなる木のない山々のなだらかな線が、死のような静けさをたたえていて何とも不気味です。
画面は、一人の男の子とお母さんを大写しにしました。
お母さんは泥と砂のこびりついたやせた手をし、しゃがんだ男の子の頭に手をのせながら、――けれど、 その手のことも忘れているような様子で遠くの地平線をぼんやり見ていました。
迷彩色の服を着た兵隊が汗をキラキラさせながら銃を片手に画面を早足に横切りました。
お母さんは、手にしていたバスタオルをたたんで前のに重ね、 「この報道番組はしっかり見なくてはいけない」と思いながらタオルケットに手をのばしました。
その時、突然テレビが”ガガ――ッ”と大きな音をたてて画面が暗くなり、 音も出なくなってしまったので、お母さんはあわてて立ち上がると、画面がすぐにもとに戻りました。 ホッと安心して仕事を続けようと座りかけたら、
「あらっ」
タオルケットのおおきなひだの中で何か動きました。 お母さんがおそるおそるのぞいてびっくり。 テレビの中のヘルツェコビナの男の子が、力なく焦点の定まらない目を一杯に見開いて座っているではありませんか。
「まあ――、まあ。これはこれは……まあ」
お母さんは思わずタオルケットごと男の子を抱きました。
何という軽さ。
「どうして……、どうして……」
お母さんはあまりの事に体のふるえが止まりません。
男の子の細く縮れた黒褐色の頭は、泥と砂でぎっしりつまり、手の爪も形よく切ってあるのに泥がつまっています。 又、右の手首にも小さなトゲがささっていて、そのまわりが固くはれていました。 よく見ると目のまわりもただれはじめていました。男の子は泣きません。 うつろな目でお母さんを見ているだけなのです。
「待っててね」
お母さんはそっとタオルケットの男の子をソファによりかからせて、薬とホータイを持ってきました。
毛抜きでトゲを取りていねいに薬をつけてホータイを巻きました。 男の子は泣きませんでした。お母さんは男の子が少しいやがったように思いましたがかまわず目薬をつけると、 長いまつ毛からあふれた薬が涙といっしょに大きな雨の粒のようになって、ほおに散らばっていきました。
それから暖かいタオルで静かに顔を拭き、牛乳をカップに入れて持ってくると、半分ほど飲ませることができました。
男の子は生後1年三、四ヶ月くらいでしょうか。乾ききってひび割れたようになっている口に、白い牛乳が入っていった時、
「そうそう、お上手よ。そうやって……」
お母さんは嬉しくて思わず涙がこぼれました。
お母さんは、しわしわの弱々しい手をやさしくにぎりしめてから、 かぜを引かないようにタオルケットでくるみ直し、やさしく抱き上げました。
男の子は、じっとお母さんを見つめていましたが、
「マ……」といいました。その顔は確かに笑いを含んでいます。
お母さんは、少し落ち着いてきました。
お母さんは、机の上のリボンの箱から美しいピンクと赤とオレンジの糸を出して三つ網にし、 それを男の子の左手に取れないように結びました。
「『マ……』って何のことでしょう。きっとヨーロッパの言葉の何かなのでしょうね。」 と、ひとり言をいいながらタオルケットのぼうやをやさしくゆすりはじめました。 お母さんはまるで地球上の子供達を全部腕の中に抱いているような、すばらしいやさしさにあふれ、 そのうちにとうとう眠ってしまいました。
「お母さん、お母さん。マママのマッ」
一年生の直樹君が学校から帰ってきたのです。
「はいはい。お帰りなさーい」
目が覚めたお母さんのひざには、おくるみ形のタオルケットがあるばかり。 お母さんがそれをそっと抱くようにして立ち上がると、ヘルツェコビナの砂と泥と火薬の煙の匂い、 そして、あの男の子のかすかなぬくもりがありました。
お母さんは恵子お姉ちゃんの習字のカバンから半紙を一枚もらって床に置き、 タオルケットを手で撫でながら静かにゆらしました。
パラパラ、パラパラ、パラパラ、パラパラ。 落ちた砂と泥は一ヶ所にまとめ、三角に折って四角に折って、折って折ってその端をセロテープで止めました。
お母さんは、宝石箱にしまう前に、”1994.3.5”と書きました。
夕ご飯の支度を しながら、お母さんの心は昼の出来事で一杯です。 玉ねぎを切って―――、ではなく、お母さんは、本当に泣いていました。
「あのぼうやはどうしちゃったの。どうやって私の家に来ることができたかもわからないのに、 いなくなったからヘルツェコビナに帰れたなんて思えないじゃないの」
お母さんの不安はだんだん高まっていきました。
夜のニュースは、家族がみんなで見ました。 オリンピックのこと、大変な交通事故のことなどのほかに、少しだけヘルツェコビナのことが出ました。
「あっ、あのぼうや……」
お母さんの目はテレビに釘づけになりました。 昼間、家に来たあの男の子が、左の手首にかわいい三つ網のひもをつけたまま、 何事もなかったようにほんとうのお母さんに抱かれているではありませんか。
「よ、か、った―――。帰れたのね……」
「お母さん、何言ってるの。ヘン、ヘン」
恵子お姉ちゃんが、とても真剣にへんなことを言っているお母さんがおかしくて、わけを知りたがっています。
「何日かしてからね……。ゆっくりお話するから……」
お母さんは、真面目な顔でそう言って、テレビから目を離しません。 ともかくもよかったのです。小さな子供は、お母さんのそばが一番だからです。たとえ戦争中でも、食べ物が不足していても、 着るものがなくても、住む家がなくても――――。 そしてお母さんはたのしみに待っている春がとてもぜいたくに感じられ、できれば冬のままでいいとさえ思いました。
ぼうやのお母さん
あなたが幸せに思うとき
私も幸せになりましょう
あなたが悲しんでいるのに
あなたが飢えているのに
あなたの子供達に
あなたがしてあげたいことが
何一つできないのに
同じ母親の私が
どうして幸せといえるでしょう
ぼうやのお母さん
あなたが幸せに思うとき
その時
私も幸せになりましょう
生きて 生きて
生きて下さい
お母さんの心の声がとどいたのでしょうか。テレビの中のぼうやのお母さんが、 チラッとこちらをみたように思いました。