由美子は夏休みで横浜から来ているいとこの和江と、 完成しかかっている朝里川の公園に行ってみることにしました。

2人ともつばの広い麦わら帽をかぶり、 肩から下げたお揃いの真赤なポシェットには、 口に入れると冷たさが広がる不思議なあめと、 ワーッと大声を出したくなるような酸っぱいレモンの味のあめが入っていました。

公園はせみが息もつかず鳴いているのに、 目を閉じるたくなるほど静かな感じです。 2人のほかは誰もいません。 吹き出た汗がつながって、 時々ツーッとこめかみを流れます。

川の向う岸近くに、 魚が上れるように作った階段があり、 その上り口が大きな石一つ分ほどくぼみになっていて、 おだやかに水が回っていました。

2人が草の茂みから出ようとした時、 川岸の上の方から、ちょんちょんと走って来た、よもぎ色のしましま猫二匹。

「ここなんだよ。ここもいいとこだろ?」

「大丈夫かい?誰も見ていないかい?」

大きい方の猫は、四回背伸びしてまわりを確かめました。

「いいよ。大丈夫だ」

「おい、だめだよ。みつからない……」

「お前はいつもそうだよな、どれどれ」

大きな猫は小さな猫のあごの下あたりを両手で撫でるようにしていましたが、

「あった、あった、しっかりつまんでや」

と教えていました。小さい猫は、

「ありがとう」

と言って、ズ・ズ・ズウと小さな手でチャックのあのつまみらしいものを、 お腹へ向けて下げました。うすいピンクのお腹が見えると、

「いいぞ」

とひとり言をいって、今度は左の肩の力をぐっと抜き、 そのチャックの開いた口からピンクの手と腕を出しました。 あとは、わりあい簡単に右の手と腕、両足を出しました。 小さな猫は脱いだ毛皮をマントのように後ろに垂らして、最後に頭と顔の毛皮を、そ・そうっと脱いだのでした。

大きな猫はさっさと慣れた手つきで毛皮を脱ぎ、 かんかん照りの大きな岩の影の所へたたんで置きました。 足の部分が上にのらないように中へ押し込んでおきました。

「やった!」

「やったね」

毛皮を脱いだ二匹の猫、小さい方はうすいピンク、 大きい方はクリーム色です。ほっそりした筋肉だけになってしまった猫は、 頭が大きくて重くて、ぐらぐらしているように見えました。 目は鼻の上でつながっているようにも見えるし、目じりの方は耳の生えぎわまでいっていて、 まるで大きな金ぶちのメガネをかけているようでした。

やがて、嬉しそうにでんぐり返しをした二匹は、右手と右手を合わせて

「ポン!」

左手と左手を合わせて

「パン!」

と叩き合って、あのくぼみの水の中へ、とぽーんと入ってしまいました。

豆みたいに可愛らしい耳のついた頭が、時々水から出たり入ったりしています。

「もう上るよ」

「うん、おれも上る。冷たくてもう駄目だ。頭の中がしびれて来たーー」

小さい猫は肌のピンクがさび色になって震えていました。 大きい猫も黄土色になっていて、水の冷たさがしみ込んでいるのがよく分かります。

二匹はよたよたと草原の方へ行き、大の字になって寝てから、ごろごろところがりました。

「水をよく拭けよ。でも草を体につけないように、ちゃんと見ろよ」

「わかったよ」

この後、二匹は海水浴に行った人間の大人のような手早さで毛皮を着ました。

「しましまの毛並が横一本ずつ揃うように気をつけてチャックを閉じるんだよ。 息を止めて……腹を引っ込めな。腹の皮をチャックにはさんじゃうぞ」

「うん、わかった。体が冷えているうちにやるのは大変だよね。特に指が言うことを聞かないーー。」

やがて二匹は普通の猫になって、岩の影になっている所に座りました。 ていねいに毛づくろいしているのが見えます。

「今日みたいな暑い日は、このやり方が一番さ。 川水で冷えた体が、暖まって前のように熱くほてって来るまでには夕方になるからね」

「ほんと、ほんと」

小さい猫はまだ震えてが止まらなくて、もっとしゃべりたいのですが、言葉になりません。大きい猫は、

「猫の中でも、よもぎのしましま猫だけ、神様がコンシールチャックを付けてくれたのさ。 上からは絶対分からんようになっている。 しかも特製だから、金属でもプラスチックでもない、 アキレス腱のような強い繊維で出来ているんだな。 チャックを下げてつまみを見つければ、簡単に毛皮が脱げるというわけさ。 でも、どういうわけか何にも知らないで年を取って死んでしまう仲間がたくさんいるんだ」

また、今度は声をひそめて

「この事は黒猫がいる限り、絶対秘密にするんだぞ。 黒い色は熱を吸収するから、今日みたいなかんかん照りは、黒猫たちにとって地獄のはずだからね。 ここだけの話だけれど、神様がちょっと間違えたような気がしているよ」

小さい猫はまじめに、

「チャックをもらった日は、きっと今日みたいに暑かったんだよ。だとすると黒猫は出てこれないもの」

「なるほど、なるほど」

すごい話です。

「じゃあ、また誘うからね。チャックの事は、チャックだぜ」

大きい猫は口に真一文字に手を当ててから、夏草のむんむんする茂みの中に入って行き見えなくなりました。 それから小さい猫は岩につかまりながら逆立ちをして全身をゆすり、目のまわりから最後の川の水を何滴か出しました。

由美子と和江は、『小さい猫を何とかして捕まえたい。あごの下やお腹をさわってチャックの事を確かめたい。』 と思って、川の中に静かに入って行きました。 でも小さい猫はすぐに気がついて、小さな手で目をこすりながら、赤壁の見える高台の方に一目散に走っていってしまいました。

由美子と和江は川の真中で、昼下がりのぎらぎら輝く太陽に頭の中まですっかり熱くなっているのに、 動くのを忘れて立っていました。

和江は横浜に帰ってから由美子に手紙を書きました。その中で、

『……、こちらの猫達はこの暑さの中でも毛皮をしっかりと身に付けていて脱ごうとしませんし、 (それがわかるのです。朝里川の猫の動作で学習しましたから。)仲間同士もあまり交流がないようです。 これはあるいは誰にも見られないような安全な場所がないからなのかも知れませんね。 私は朝里川公園で見つけたつるんつるんの猫の事が忘れられません。 面白かったね!楽しかったね!』

とここの所だけ太い字で書かれていました。 由美子もあの猫達のことは、抜けるように青かった空や、 暑さとともに忘れることはないだろうと思いました。 それから、手紙には書いていなかった猫達の話合い……。 和江はわかっていたのかどうか、今度会った時、しっかり聞いてみようと思いました。