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 暴風雨による些細な食料不足と、しゃっくりの語源について


2001年1月27日、関東では大きな低気圧が沿岸を通過したために天候が大いに荒れた。横浜では15センチの積雪だったという。私が住むあたりは、関東広域が雪で混乱しているときに限って、雪が降らない。いつものことだ。逆に、このあたりで雪が降るときは、まわりでは全然降っていない。それだけ山で田舎で僻地だということだ。外界から隔離され時代からもとり残された山懐の隠れ里。丹沢大山山麓、神奈川県の平塚市と秦野市にまたがるこのあたり一帯を、大根という。知人は、私の住むこの地域を指して"へらつか"と呼ぶ。蔑称である。

外界が大雪で大混乱であったこの日、我らが"へらつか"は、まる一日、もの凄い暴風雨に見舞われた。ベニー松山氏によるWizardryの背景物語でいうところの、魔神Maelific(マイルフィック)が惹き起こしたすっさまじい暴風雨で世界中の街という街が壊滅したという、例のおそろしい天変地異だ。

ともかく、そんなおっかないすさまじいお天気だったので、私はまったく外に出ることが出来なかった。これは即ち、本日の食料を調達できないことを意味した。まったく命にかかわる大災厄である。

数日前に、いざというときのための保存食(1こ100円)を大量に買い込んでいたことが幸いした。今日こそ、いざというときだ。なんとなく高級品で、かつ栄養素に乏しいのが、一人暮らし者のいう「保存食」の定番、これを食べ尽くすことになった。なんとももったいないが、身体の維持のためである。

一日の食事は、8枚切りの食パンが1枚か2枚と、バナナ2本(本日の最重要食材)と、カップラーメン「日清中華[担々麺]」(なかなかリアルな再現性だが、サイズが小さい)、それに東鳩「ハーベスト[セサミ]」(ゴマ増量、カルシウム・マグネシウム入り超薄焼き仕上げ)が少々と、ブルボン「ラテショコラ」(キットカットの高級なようなもの)がたった1本。

こうして書くとなかなか充実したメニューのようだが、そのとおりである。が、おなかいっぱいには決してならぬ。体も心もますますはらぺこ、おなかとせなかがくっついて離れぬ。食べ物にありつけただけまだよかったのだが、この程度の食事でおっかない暴風雨をしのいだわけだから、夜中寝るときとか朝起きたときとか、とてもひもじく、さみしい思いをした。

そんなわけで、翌日は、嵐のあとのさわやかなお天気の下を、とても栄養の足らない身体でふらふらと歩き、「つる家」という定食屋(職場の者は飲み屋だと云ってきかぬ。新潟のお酒を置いている)に向かった。久しぶりだ。ともかく栄養を摂らねばならなかった。

サバの味噌煮定食を頼んだ。この定食屋のご飯は、デフォルトでどんぶり山盛り一杯である。すばらしい。定食には、そのメニュー(たとえばサバの味噌煮)の一皿に、具沢山の味噌汁、お新香、冷奴がついてくる。野沢菜の漬物がたくさんに、味噌汁のなかも白菜がいっぱいだし、サバの味噌煮は大きいし、ご飯はどんぶり山盛り一杯だし、お茶は大山・丹沢の天然水で淹れてあるし……。こんなにすばらしい食事がいただけるなんて、ありがたいなぁ。と、妙に素直に心の底から感謝してしまったのであった。

それで、ありがたく食べ始めたのだが、一人で黙々と食べている間というのは、もの思いに耽っているものだ。そんなときに、お店で働いている女の子が、店のおやじと楽しく話していて、笑った。

ことばで修飾して表現するなら、「しゃくりあげるような笑い声」だな。と、思索に耽っていた脳が内心の声でつぶやいた。そのとたん、ふと、ひらめいたのだ。

しゃっくり、って、しゃくりあげるから、しゃっくりっていうのか!

なんということだこんなに簡素単純平明なことにいまのいままで気がつかずに生きてきたとは否気づこうともしなかったそんな真理に触れることもなく徒に天真爛漫に生きてきてしまった二十数年間もこのまぬけに晴れた脳天気な青空のように! 本日は晴天ナリ! ああ愚かしい恥ずかしいそれにしても憎っくきは定食屋の娘ああ憎い憎いよくもあんなへんてこな笑いかたをしてくれたものだ定食屋でこんなに恥をかかされるとは思いもしなかった一生の不覚ダそれにしても素敵な食事をありがとう命拾いしたヨああ憎い憎い憎たらしい否々屹度自分が恥ずかしいんだ徒恥ずかしいだけなんだたったそれだけのことなんだ。しゃっくり。ああ、しゃっくり。よりによってしゃっくり。

21世紀なのに。つるつると光沢のあるまるい建造物の合間を縫うように空中に透明な交通チューブがぐにゃぐにゃとのたうちその中を未来カーが時速370キロくらいで飛び廻る、ここは21世紀なのに。それなのに。嵐のあとのさわやかな青空に、定食屋でしゃっくり。

それだけ山で田舎で僻地だということだ。外界から隔離され時代からもとり残された山懐の隠れ里。丹沢大山山麓、神奈川県の平塚市と秦野市にまたがるこのあたり一帯を、大根という。知人は、私の住むこの地域を指して"へらつか"と呼ぶ。蔑称である。ああそうだ。世界じゅうが21世紀でも、ここだけは21世紀ではない。ここは"へらつか"だったんだ。忘れてた。

納得し、私はとても晴れがましい気持ちで家路についた。満腹だった。

(了)


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