> 対話







 「ウェスト博士、おまえはどこまで知っていたんだ」

 ギン・シラヌイの問いかけに、ウェスト博士は冷めた視線を向ける。
 ウェスト博士、そうよばれた男はしばらく黙ったまま、気球艇の窓に目を向けていた。

 永遠とも思える時を雪のさなかにあった銀嵐ノ霊峰から吹きつける激しい雪つぶては時々大きく気球艇を揺らす。

 ややあってウェストは唇をぬらしながら、ゆるゆると語り始めた。


 「結論からいえば……ぼくは 【すべて】 を、そう、最初からすべてを観測していたよ」


 巫女を連れ去り、巨人の心臓を奪って逃亡したワールウィンド……。
 アシュレイを中心とした冒険者チーム「さばみそ」はワールウィンドの乗る気球艇を追いかけていた。

 激しい蒸気をあげながら、気球艇のエンジンが唸る。


 「……知っていて、ワールウィンドを泳がしていたというのか」


 さらなるギンの問いかけに、ウェストは小さく嘆息をついた。


 「ギンくん、君は【観測者】を少し過大評価しすぎてるよ」


 そう言いながらウェストは、膝に乗せた杖を弄ぶ。
 普段はルーン術式を編むために使っている杖は鈍い色に輝いていた。


 「観測者は……世界の情報を端的な 【データ】 としてしか、とらえてないんだよ。たとえば……」


 と、いいながらウェストは気球艇の窓へと目をやる。
 少しずつ、銀嵐ノ霊峰から遠ざかり新たな大地へ向かおうとしているのだろう……厳しい雪が幾分か和らいでいくように見えた。


 「たとえばそう……ぼくは、【観測者】として巨人の心臓が守護者……ホムラミズチがいる事を知っていた。その耐久力が、【観測者】たちの計測した数値では……およそ21300程度だという事も知っていた。でも、それは所詮数値化したデータでしかないんだ。実際に、自分で術式を編み、あるいは剣をもち、あるいは弓をつがえて、実際に戦った『経験』と、ただデータで読んでしった『知識』には大きな差異が出る……」


 動力部から激しく蒸気が吹き出る音がした。


 「アシュレイ! あんまり速度上げすぎんじゃねぇ……ワールウィンドを追いかけるのは大事だが、この気球艇だって万能じゃねぇんだ! ……あんまり速度あげると、動力が火ィ吹いちまうぞ!」


 揺れる気球艇には、いつまでたっても慣れないのだろう。
 ヨハンは恐れが幾分か混じった声を操縦席へと投げかけた。


 「わかってる! でも……いま、ワールウィンドを見失う訳にはいかない!」


 操縦席では、アシュレイが慣れた様子で舵を取る。
 その隣には、まっすぐに前を見据えるアレッサが寄り添っていた。


 「がんばって、がんばって気球艇さん……シウアンちゃんを助けないと……それに、ワールウィンドさんにも……なんでこんな事したのか聞かないと……」


 祈るように手をあわせ、それから幾度も 「がんばって、がんばって」 とアレッサはつぶやき始める。


 「……みんな、必死になって巫女を助けようとしている」


 ギンは仲間たちの姿を瞳に映す。


 「この努力が実るのか、それとも無に帰すのかも、おまえはすでに知っているんだな」


 確かめるように問いかければ、ウェストは否定も肯定もせずただうつむいて杖を撫でるばかりだった。


 「ここに来てもだんまりか、ウェスト。いや、西園寺馨博士」


 西園寺馨。そうよばれ、ウェストはばつの悪そうな顔を向ける。


 「観測者とか、ウェスト博士なんてくすぐったい呼ばれ方はともかく、本名を呼ぶのはやめてくれないかなぁ……半ば忘れかけた名前だったんだから」


 しったことか。
 ギンは唇だけでそうつぶやくと、ウェストの襟をつかんだ。


 「すべて煙に巻こうとするな……知っているならこの茶番を終わらす方法も分かっているんだろう? さぁ、おまえの知っている最適解を提示しろ……できるだろう? 【観測者】は世界のすべてを知っている存在なんだからな」


 大柄なギンに裾をもちあげられ、ウェストの身体はほとんどつま先立ちになる。
 普通なら首を締め上げられ、息もできなくなる事だろう。だがウェストはさして息苦しいといった様子も見せず、その顔には笑みが張り付いていた。


 「だから、ギンくん。君は、【観測者】を万能視しすぎだよ……ぼくら【観測者】は、データを読む事こそできるが、それを書き換える事はできない。生み出された因果をねじ曲げる事は、観測者でも……もっと強大な力をもつ、そう【神】でさえ不可能なんだよ」


 ウェストはわずかに笑い声をあげる。


 「だけどそう、心配しなくてもいい……もはや【観測軸】は動き出してる……すべての物事がきっかけとなった【大因果】がいま収束し、観測されようとしている……賽は投げられた、ってやつだよ。あとはその成り行きを見守るだけだ……」


 動力室から蒸気があがる音がする。
 雪原を抜け、吹雪が和らいで緑の大地が眼前にまで迫る。


 「だれも悲しまなくてすむように、大因果を……収束し、観測する方法は……きっともう、一つしかないんだろうなぁ」


 ウェストはぽつりとつぶやく。
 鉛色の雲がいま、開けようとしていた。




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