>> 覚悟の炎
参ったな……こんなつもりじゃなかったんだが……。
ミスタはそう言いながら、地図を見ては頭を掻いた。
ジョルノに会いにやってきた、彼の異母兄弟・リキエル……。
彼はただ純粋に兄へ会いに来ただけだったのだが、その兄がマフィアのボスである、この事実が火種となり組織に歪みを生み出していた。
かねてからジョルノの、マフィアにしては「綺麗すぎる」やり方を拒んだ連中にとって、ジョルノの事情をあまり知らないリキエルの存在は格好の「餌」だったのだ。
ジョルノを慕い、また彼に忠誠を誓う組織の人間は多くいる。
だがジョルノはマフィアの世界にいるにはあまりにも眩しすぎたのだ。
光が強ければ、より影も深くなる。
自分の組織であれば、リキエルがやってきても「大丈夫」だろう……。
仲間たちを信頼しすぎたのが、ジョルノの第一の計算違いであった。
そしてリキエルという弟の存在を、ジョルノを快く思わない者……「裏切り者」に知られたのは第二の計算違いだ。
だがそこまではジョルノも「覚悟」していた。
覚悟した上でリキエルにもしもの事があった場合、安全に国外へ……アメリカへと戻す手続きは済んでいた。
ジョルノは弟に全てをうち明け、リキエルに故郷へ戻るよう願った。
だがそこに決定的な「計算違い」が生じる。
「大丈夫だってジョルノ兄さん。俺だって一応スタンド使いなんだしよぉ」
リキエルは帰らなかった。
「それにこういうのって、チャンスなんじゃねぇの? ……俺を餌にして兄さんをツブそうっていう奴見つけだせるんなら……俺、喜んで餌になってやるって!」
そして自ら囮になる事を提案し、イタリアに留まるといい出したのだ。
「まだピザも喰ってないのに逃げるように帰るなんて格好悪いしよぉー、大体、相手の方が悪いんだろ。どうして悪党相手に俺がコソコソしなきゃいけないんだよ、なぁ兄さん」
気の弱そうな所もあり、実際あまり心が強い方でもない。
極度の緊張に晒されると「発作」がおこる体質なのは相変わらずのはずだ。
それでもリキエルが故郷へ戻る事を拒否したのは、ジョルノの為に何かしたかった思いもあったのだろう。
だがそれ以上に、彼の中にも流れていたのだ。
ジョルノと同じ血が。
自らの覚悟へ殉じる血統が。
とはいえ、リキエルが狙われている事実が分かった以上、彼を一人にしておく訳にはいかない。
リキエルが「スタンド使い」だとはいえ、彼の能力は「ロッズ」という生き物を操るという特殊なもの……そのロッズも、このイタリアの地には二匹連れてきているのみで、リキエル曰く「この数だとすぐに相手を倒す事は出来ない」心許ない数だという。
だがあまりに物々しい護衛をつけるのも、かえって目立ってしまう。
(何より屈強な護衛数人に守られてだと、観光どころではないとリキエルに拒否もされた)
それらの事情で「単数のスタンド使いが護衛をするのがいいだろう」と結論がされ、案内役を買って出たのが今、地図と格闘している男……グイード・ミスタだった。
ミスタは組織で現在No.3にいる男で、ジョルノからの信頼も厚い。
また、本人曰く。
「この辺なら俺の庭みたいなもんだからよぉー、大丈夫大丈夫、俺に任せておけって!」
と、案内役の心得があると言わんばかりに立候補したので、ジョルノも彼に護衛を任せた訳だが……。
「あー、やっぱ違うみてぇだなぁー、おい、どういう事だよ……」
彼はさっきから地図より目を離そうとしない。
どうやら道に迷ってしまったようだ。
「あれほど自信満々だったのに、案外頼りねぇなぁ、ミスタ……」
「う、うるせぇな……今日は遠出だからな。こ、こんな事も……あるっ!」
だが少しの遠出で自分の知らない道が多いとはいえ、全く来た事のない訳でもない場所だ。
こんな所でイタリア生まれの自分が迷子になるなんて……。
ミスタはさも悔しそうに爪を囓ると、地図とにらめっこを続けた。
「なぁ、少し休もうぜミスタ? ……歩き疲れたし、喉も乾いてるだろ。ほら」
そう言いながら、リキエルがアイスカフェラテを差し出す。
露店で買ったそれはたっぷりの砂糖とミルクがとかしてある上、ホイップした生クリームまでのっている、どちらかといえば女子が好みそうな代物だ。
「いや、いい……」
見るだけで胸焼けしそうなカフェラテにうんざりするミスタだったが。
「遠慮しなくていーって! ほらほら、疲れた時には甘いモノって言うだろー……アレ本当らしいぜ? 糖分って脳に大事みたいだからな!」
無理矢理わたされ仕方なく一口飲めば、やけに口に残る甘さが口一杯に広がる。
……こんなに甘いのなら、かえって喉が乾くのではないか。
そう思ったが、糖分が脳にいい。というのは本当なのだろう。
染み渡る甘みはミスタをいくらか冷静にさせた。
……迷い込んだ道は、どうやら車は入れない人が並んで歩くのがやっとな程度の路地裏だった。
石畳に石造りの廃屋が多く、元々あまり人が来ない場所なのだろう。
ひっそりしており人の気配がない。
いや……人の気配が、なさすぎる。
道に迷っている事ばかりに気を取られていたが、ここは市中にしてはあまりに静かすぎた。
そうまるで……予め、人払いでもされているような……。
いや、実際も払いされているのではないだろうか。
自分たちを誘き出し狩る為に、敵の組織か、あるいは……。
『裏切り者のスタンド使い』が……。
「あぶねぇっ!」
ミスタがこの異様な現状を認識するのと、リキエルの肩に赤いレーザーポインタが触れるのはほとんど同時だっただろう。
彼はとっさに身を挺しリキエルを突き飛ばすよう地面へと伏せさせれば、間一髪。
キュゥンという鈍い音とともに、銃弾が飛び交う音か彼らの傍を駆け抜けた。
銃声だ。
狙撃されている。
その音で、ミスタは理解する。
道に迷った事も全てが「罠」だったのだ。
いつからかスタンド攻撃を受けて……ここに誘導されていたのだ。ミスタも知らないうちに。
「いつつ……何すんだよミスタ、ここ石畳だぜ。あーもー、コーヒー零れたし、勿体ねぇ……」
「うるせぇ! ……ここはヤベェぞリキエル……走れ!」
言うが早いか、ミスタは彼の手をとると半ば引きずるように走り出した。
……道は一本道だ。
幸い周囲の廃屋には隠れる場所がありそうだが、それでも相手は何処からか狙撃している。
隠れたつもりでも向こうからは丸見え、という可能性は高い。
相手の狙撃場所がわからない以上は、うかつな場所に隠れられないだろう……。
今はとにかく走り、狙撃手の的をそらす方がいい。
動く的が狙い辛い事は自ら銃をつかうミスタもよく心得ていた。
そして。
「リキエル、いいか。俺からはなれて、ジグザグに走れ!」
的が分散されていれば、より狙撃される確率は下がる……。
狙撃手のターゲットがリキエルだった場合は至極まずいが、それはそれ。
自分がリキエルの囮になるよう動けばいい事だ。
……巻き込んだのは自分なのだ、ミスタにはその覚悟があった。
だが。
「ダメだミスタ! ……この路地は狭すぎる……ジグザグに走ったって的だ! 何処かに隠れた方がまだマシだって!」
「だけど狙撃手が何処から狙ってるかわかんねぇんだから仕方ないだろ……見ろ、ここの廃屋はほとんど屋根が壊れてンだぞ……」
「……場所ならわかる」
そう言いながら、リキエルは自らの右手を伸ばす。
その腕にぼんやりと……やがて、はっきりと甲虫に似た装飾品のようなものが現れた。
ブレスレットにしては、あまりにもデカイ。
だが時計にしては文字盤らしいものはない奇妙な物体だが、どうやらこれがリキエルのスタンドらしい。
「これ、スカイ・ハイ……ロッズを操る俺のスタンドだ。ロッズは……人の体温に反応する。狙撃手ってのはよ……上から下を狙うのが定石、だろ?」
「……まぁ、な」
「だとしたら敵は上にいる……狙撃銃の有効範囲は……モノにもよるけど、ここは狭い路地だし大仰なものは持ち歩けないと思うから、せいぜい500m〜600mくらいだから……こ
の路地全体が狙撃手の猟場だと思う。だとしたら、その周囲は人払いしてるはず……高い場所に、不自然にいる人影が狙撃手なら、その場所……ロッズな ら、突き止められる」
リキエルのロッズ。
その能力は先日聞き、ミスタも概ね理解していた。
熱を喰うスタンドは、餌の気配に貪欲なようだ。
「たしかにそうだがよぉ……オマエがロッズを操れてもだ。何処を攻撃するかは……おまえが見てなきゃいけないだろ? 見えない所にいる相手をどうやってたおすってんだよ!」
「たしかに俺のスタンドは……俺が見てない場所では、精度が著しく落ちる。けど……それはミスタ、あんたのスタンドが解決してくれるさ」
「……?」
「そう、ピストルズだ……あんたのピストルズ……俺に預けてくれないか? 絶対に狙撃手の場所まで、アンタを案内してみせるから……」
リキエルの目に、光が宿る。
それはジョルノが「出来る」と確信した時にする覚悟の目だったら、ミスタは黙って頷き自らのスタンドを呼び出した。
・
・
・
身を隠したか……。
初撃で仕留められなかった事で、狙撃手は少し困惑しそして焦っていた。
最初の一撃で仕留められなければ標的の警戒心があがる事。
そして「襲撃」になれているマフィア連中はその後身を隠すのに長けている事を、狙撃手はよく心得ていたからだ。
案の定、僅かな物陰に標的は身を隠す。
写真でしか知らない、黒髪の男だ。
何をやっているかもよくわからないが、それは狙撃手には関係ない。
彼はただ撃ち、報酬を貰うだけ。
ただそれだけの男だった。
だが今回は「殺すな」という条件だったのが災いした。
殺すより生かす方が、彼にとっては難しいのだ。
やはり先に、お付きの男を殺してから仕留めた方がよかったか……。
だがまだ慌てる必要はない。
自分の居場所はまだわかってない。だが自分は、標的がどこに隠れたかは分かっている。
今この場所は電話もつかえないような「電磁波」を依頼主が出しているはずだ。
助けを呼ばれる心配もない。出てきた所を狙撃すればいいだけだ……。
そう思う男の周囲に、見慣れない「生き物」が飛び交っていた。
……蠅よりもすばしっこく、トンボより長い。
だがやたらと早い生き物だ。
虫が紛れ込んで来たのだろうか。
いや、今は虫なんかに気を取られている場合ではない……。
……ターゲットは的をそらすために、お付きだった男とわかれ、何もない空き家へと身を潜めた。
生憎この場所からは見えにくいが、それでも撃てない距離ではない。
威嚇射撃でもしてやれば、ノコノコ出てくるだろう。
お付きの男は何処にいったか知らないが、まだ路地には出ていないようだ。
ゆっくりかまえよう。
自分は、見付かるはずないのだから。
この路地に廃墟のような空き家はいくつもある。
ここから自分を見つけるのは困難だろう……。
そう考えていた男の背後から。
「こんな所にいやがったのか」
聞き慣れぬ、男の声がした。
驚いて振り返れば、そこにはあの「お付きの男」が……さっきまでターゲットの傍にいた男が立っていた。
腕にはリボルバーらしき拳銃をかまえ、その銃口はこちらを向いている。
いつの間に。
どうしてここがわかった。いや、いくらなんでも早すぎる……。
「くそっ!」
男はあわてて狙撃銃を向ける。
だが、狙撃銃は遠方から敵を攻撃するための銃だ。
狙撃場所を発見されれば……ほとんど無力に近い。
「あたるかよ、そんな長い銃によぉー」
銃を構える以前に、相手に間合いに入られてしまっていた。
すでにリボルバーが発射するには充分な間合いに……。
鈍い音がして、男が倒れる。
「……色々聞きたい事があるから、気絶させるだけにしておいてやったぜ」
狙撃銃は間合いに入れば、目の前にいるのは素手の男一人だ。
弾丸を使うのも惜しいと思ったミスタは、そのまま狙撃手を銃で殴って気絶させた。
「ミスター! ミスタやったなミスター!」
「俺が見つけてやったんだぜミスタぁー!」
「ミスタぁー!」
同時にピストルズたちが、次から次へとミスタの元へ戻ってきた。
……もしこの狙撃手が「スタンド使い」であったら、きっと聞こえていたのだろう。
奇妙な虫が自分の周囲を漂っていた時に、ピストルズたちの声が。
「見つけたぞミスタ! 狙撃手はここだ。ここだミスタ、早くこい、ミスタぁぁぁー」
「廃教会のステンドグラスだ! その裏にいるぞぉー早く伝えろォー!」
そう呼びつける小さな声が。
・
・
・
スタンドを預けてほしい。
その言葉にリキエルは、こう続けた。
「……俺のロッズだったら狙撃手の場所はわかる。さっき撃たれた時、相手は高い所から狙撃したのは間違いないし、ここは人払いもされてる。高い場所にいる奴が狙撃手だ」
「でもオマエのロッズだと居場所しかわからねぇだろ」
「だから、ミスタ。あんたのスタンドが必要なんだ……ピストルズなら……俺のロッズに乗れるよな?」
「あ……!」
「ロッズが熱で狙撃手探す。あとはピストルズの目で、声で、ミスタに教えてくれればいい。そうすれば……」
「狙撃手の場所がわかるのか!」
リキエルは頷く。
「……狙撃手がスタンド使いであっても……ミスタなら大丈夫だ。兄さんも、そう言ってた。だから……」
頼んだ……。
リキエルにそう言われ送り出されたが、作戦は思った以上にスムーズだった。
狙撃手は予想していたより近くにいたし、スタンド使いでもなかったようだ。
(もしスタンド使いだったらピストルズの存在にとっくに気付いていただろうし、ミスタが傍にいてもスタンドを出さなかった)
「しかしあっけなかったな……こいつ、何モンだ……」
気絶している狙撃手の横で、荷物をあさる。
免許証が出てきたが、知らない名前だ。少なくても組織のものではない、雇われの暗殺者だろうか。
写真ももっている……見覚えのある、リキエルの顔だ。
最初にレーザーポインタで狙われていたから薄々思っていたが、やはりこいつのターゲットはリキエルだったようだ。
「こいつはスタンド使いじゃなかったか……」
だが、自分はスタンド攻撃を受けていた。
そうじゃなければこんな路地に迷い込むはずはない……こいつはただの狙撃手、ただの暗殺者だ。
……だとしたら。
「しまった! この狙撃自体……俺をリキエルから引き離す罠か!」
分かっていたのだろう。
リキエルが何者かに狙撃されたとしたら……リキエルを逃がすにしても、狙撃手を倒すにしても、彼と離れて行動するのだろうという事を。
「くそ、気分悪ぃーぜ、全部相手の手の内かよっ……」
ミスタは慌てて来た道を戻る。
リキエルのスタンドは遠距離攻撃タイプ……厳密にえば、攻撃すらできないスタンドだ。
スタンド能力で自分の身を守る事さえ出来ないのだ。
「……リキエル」
焦る気持ちをおさえ、ミスタは懸命に走り出す。
乾いた足音が石畳に響いていた。
・
・
・
……覚悟はしていた。
だけど、やはりそうか……。
ミスタと離れ、ひとまず廃屋の影に隠れたリキエルの前に、一つの影が現れた。
高いヒールの音から、それがミスタでない事は分かる。
ミスタに「狙撃手を倒す」よう命令した時から敵が二人組である可能性は考えていた。
護衛であるミスタがいなくなれば、自分はほとんど丸腰なのだ。
そうなったら……せめてミスタが戻るまで自分の身を守らなければいけない。
そう思っていたし、覚悟もしていたつもりだが……。
「っぁ……はぁっ……」
指先が震え、呼吸が苦しくなる。
元より彼は極度の緊張には絶えられない、そういう身体なのだ。
「……狙撃手を準備しておけば、二手にわかれると思ってたわぁ」
指先を噛み、必死に震えを止めようとするリキエルの耳に、甲高い声が響く。
彼女は小声で呟いたつもりだったのだろうが、誰もいないこの場所ではよく聞こえる。
現れたのは、褐色の肌を持つ、艶やかな黒髪の女性だった。
緩やかなウェーブのかかった髪を一つに束ね、真っ赤なドレスで着飾っている姿はこんな廃屋にいるよりステージでフラメンコでも踊っている方が似合いそうである。
お世辞ではなく、美人といっていい顔立ちだろう。
だがよる年並みには勝てないのか、彼女の身体随所には衰えが見られ、彼女もまた自らの衰えと向き合おうとせず、ただ悪戯に若さを求めるような化粧が、せっかく美しい彼女をどこか醜悪にさせていた。
「あ……っぁ……」
リキエルは指先を強く噛み、呼吸を整える。
大丈夫、大丈夫だ……。
あの時神父様だって、自分には能力が「ある」と言ってくれた……。
……神父様を押し上げる為には使えなかったが、兄を守る為にはきっと使えるはずだ。
神父様を押し上げる為に戦ったあの時のように今度は、兄を守る為に戦う。
自分が決めた事なのだ、大丈夫だ、大丈夫……。
「すごい汗じゃないのボク? ……大丈夫かしら? おネェさんが背中さすってあげましょうか……」
彼女は親身になって心配するような、猫なで声を出して近づいてくる。
だがリキエルには分かる。
これは「偽善者」の声だ。心配しているフリをして実際の所自分を哀れみ、どこか蔑んで手を差し伸べる優越感だけ求め、自ら苦労が降りかかろうとするとさっとその手を引っ込める。
そんな偽善者の声だ。
若い頃からこの病に苦しめられていた彼は、そういう偽善者をいくらでも見てきた。
この女は……信用ならない。
精神力を振り絞り顔をあげれば、彼女の背後にぼんやりとした影が現れた。
平たい皿のような頭に、四方――それはちょうど、東西南北の位置を示しているようだった――についたガラス玉のような目。非道く猫背で、手足はまるでキャンディーのように捻れている。
そしてその指は一本だけ、まるでフェンシングで使う剣のように細く、長く伸びていた。
自分にはない「人間タイプ」のスタンドだ。
思わずそちらに目をやるリキエルの視線で、彼女も気付いたようだった。
「あら……どうやら貴方、見えてるみたいねこの子が……という事は、貴方も『スタンド使い』って事ね……」
しまったと思い視線を逸らした時は遅かった。
スタンド使いではあるが、そのスタンドで戦う事がほとんど無かったリキエルは、そういった駆け引きにおいてはとんと無頓着なのだ。
「うふふ……まぁいいわ。アナタでしょ、うちのボスの弟さん、ての……見せてくれないかしら、貴方のスタンドも……出さないの? それとももう出してるのかしら……?」
女性は赤い唇をやたらと弄りながら問いかける。
「……うちのボスはね。姿を見せた後でも慎重で……弱点らしい弱点を見せようとしない。スタンド能力だって知っている人も僅かなの。それで、弟さんがいるって話でしょ。アナタから何か聞けないかと思って……ネ。坊や。お姉さんに教えてくれないかしら? お兄さんの秘密……」
リキエルは無意識に、自分のスタンドを隠していた。
血縁にあるものは……例外も多いが、似通ったスタンドになる事も多い。
以前リキエル自身も戦ったジョリーンは、父親と近しいパワータイプのスタンドだというし、リキエル自身の兄弟達も「物語を現実にする」「過去の事実を掘り起こす」など、ない場所から何かを現すタイプのスタンドだ。
自分のスタンドを見せる事で、兄のスタンドその鱗片さえもこの女には悟らせたくなかった。
大丈夫だ。ミスタはきっと早く片づけてくれる。
後は時間を稼げばいい、大丈夫だ、大丈夫だ……。
二度、三度呼吸を置いて、リキエルは改めて彼女の方をむき直した。
距離は……5m程度だろうか。
ロッズが戻っていれば射程範囲だが……今のロッズの数では、彼女を一気に昏倒させるような真似は難しい。
それにミスタが戻ってくるまで、ロッズを戻す命令は出来ない。
ミスタが確実に狙撃手を倒すまで、あれは彼に預けているのだから。
「ミスタがよぉっ……言ってたぜ。こんな場所で迷うなんてありえねぇって何回もな……あんたのスタンド能力か。ミスタが迷ったのは」
「あら、最高幹部さんそんなに狼狽えてたの? 私……全然気付かなかったわ」
女はさも楽しそうにクスクスと笑う。
彼女のスタンドもまた、その背後で笑うような仕草を見せた。
「そ。あれは私のスタンドのせい……名前は『イノセント・ディレクション』効果はね……」
ゆらり。
影のように動いたスタンドがこちらに近づいてくる……。
どうやら近距離パワー型のスタンドのようだ。
慌てて距離をとろうとリキエルは背後に飛び退くが、それより先にスタンドの「爪」が彼の身体に迫っていた。
慌てて防御を試みるが、スタンド攻撃にはスタンドでしか防御のしようがない。
元より人間型のスタンドをもっていない彼に、その鋭い爪を避ける術などはなかった。
「あぐっ! ぁ……く……」
鈍い音の後、腹がじわりと痛み出す。
距離をとろうと思ったが、腕の皮一枚もっていかれたようだ。
しかし、傷は浅い。
この程度なら……。
そう思っていたリキエルの視界が、突如「回転」した。
「なぁっ……んだ、これっ……」
膝をつき、腕をつき……。
バランスをとろうとするが、思うように動けない。地球がひっくりかえるような激しい「目眩」だ。
「……わかったでしょ、坊や……私のスタンド、イノセント・ディレクションは……殴ったものの、方向感覚を奪う」
「方向感覚……だって?」
目の眩む世界のなかで、自分の身体を必死に支えながらリキエルは考えた。
つまり……ミスタの靴を殴っておいたか何かしたのか……。
この道にくるよう「方向感覚」を狂わせて……。
いや、靴ではなく地図を殴っておいたのかもしれない。
ミスタの地図は、最初から狂っていたのだ。この能力によって。
「目眩がする? たてないでしょ? 暴れないで……大人しくしてれば、これ以上の乱暴はしないわ。ボスの秘密を聞きたいし……アナタ、とっても可愛いですもの。ね」
女の声が遠くで響く。
あくまで自分は近寄らず、スタンドに全てやらせるつもりなのだろう。
回転する世界のなかでも、スタンドの影が傍にあるのは何とはなしに感じられた。
「……さ、もう一撃。いくわよ。……あなた、スタンドは出さないの? 私のイノセントちゃん、見えてるんでしょう……? ……アナタのスタンドも、ボスのスタンドのヒントになるかと思ったから、是非見ておきたいのだけれども……」
どうやら彼女の目的は自分の命ではないらしい。
だが、自分がそれを喋ってしまったら、きっとジョルノは困るだろう。
ジョルノは彼が尊敬する肉親であり、信頼出来る兄なのだ。
……守りたいと思った。
「神父様……」
胸で小さく十字を切る。
神は信じてないが、あの人は今でも信じている。今度こそ失いたくはない、あの人のように……。
リキエルは壁を背にして何とか立ち上がると、口に溜まった血の唾を吐き捨てた。
「……ねじくれてるなァ、アンタさ」
「何かしら、ボク……強がってもダメよぉ……?」
「このスタンドさぁ……人の感覚を狂わすとか。アンタの美的感覚とか性格とかねじくれてるからこういうスタンドになったのかなァと思うよなぁ……」
「何いって……」
「実際アンタそうだもんなぁ……ババアなのに、随分若作りでよ……えらい醜悪だぜ、アンタのツラ。そのスタンドみたいにな!」
人を怒らすのは言われもない罵倒ではない。
僅かに真実の混じった、悪意である。
リキエルの一言は、彼女を怒らすのに充分な毒を孕んでいた。
「……やってしまいなさいな、イノセント・ディレクション!」
彼女の意志と同時に、鈍いが、リキエルの身体にたたき込まれる。
捻れた世界に、鈍い痛みが突き刺さる……。
「口の利き方をわきまえなさい……この、クズが! クズが、クズがクズがクズがクズがよぉぉぉぉ!」
二度、三度……。
激しい拳が彼の身体を打ち据える。
「ぁっ……かぁっ……」
精一杯防御をしてみた。
だが元より腕程度しか守りきれないスタンドだ……相手のスピードに、パワーに押されるままただ殴り倒されるのみだった。
「……全く、生意気ばかり言ってくれたわねこの子はさぁ」
イノセント・ディレクションはリキエルの髪を掴んだまま持ち上げる。
「……がはっ!」
喉までこみ上げた血が口の中に溢れる感覚が分かった。
激しい痛みがある。
身体に鈍痛がはしる。
……だが、何て軽いんだろう。
この女のスタンドは……何て薄っぺらいんだろう……あの時自分の全身を打ち据えた、ジョリーンという娘に比べたら……。
「……へっ、へへ」
無意識に笑いがこみ上げてくる。
そうだ、この女は「薄っぺら」だ、覚悟に関してはジョリーンとは比べモノにならない。
そしてこの女に自分の覚悟が劣るはずがない。
「何よ……殴られすぎておかしくなっちゃったのかしら?」
「へへ……いや、やっぱババアのスタンドなんて、大した事ねーって……そう思っただけだぜ……」
「は?」
「……あんたの拳よりジョリーンの方がよっぽど強かったって事さばーさん。若い娘にゃ、勝てないんじゃねぇの?」
女の顔に見る見る青筋が浮かび上がってくる。
「貫きなさい、イノセント・ディレクション! ……その壁に、標本の蝶々みたいにしてやるがいいさ!」
女の怒号が辺りに響く。
それと同時に、鋭い痛みがリキエルの腹を貫いた。
「がはっ! ぁっ……」
爪は彼の身体を貫き、背後の壁まで撃ち抜いている。
まさに「標本の蝶々」のように、リキエルはその壁に打ち付けられた。
「急所は外してあるわよ。死んだりしないわ。でも……」
「げふっ! ぁ……」
「……もう二度とそんな下品な口、聞かない事ね。ぼうや?」
女はさも楽しそうに笑う。
完全にリキエルを串刺しに止めた事が……無様に壁に打ち据えられた姿がよほど嬉しかったのだろう。
その笑顔につられてるようにしてリキエルもまた。
「ふふ……あはは……」
唇から血を滴らせ、静かに笑っていたのだ。
どうして彼が笑っているのか、彼女には理解できなかっただろう。
痛みの末に気がふれたとでも思ったに違いない。
だが現実は違っていた。
彼はずっとこの攻撃を待っていたのだ。
方向感覚もわからず相手がどこにいるのかさえわからない自分でも……確実に相手を「捕らえる」この攻撃を。
「…………アンタみたいなビッチ臭ぇ奴なら……すぐキれて、そうするんじゃねぇかな、って……思ったんだよな……」
目のくらむ世界の中、リキエルは笑う。
自分の腹に食い込んだ針のような爪が、早々抜けない事は感覚で分かっていた。
「……スタンドはスタンドでしか攻撃できない……俺のスタンドはな……見ての通り、この腕時計程度の小さいモンだよ。だから……だからさ、攻撃するにはこいつで『殴る』しかねぇんだ……直接スタンドをこいつでぶん殴る、そうやるしかな……は、不便なもんだろ」
「ちょ、何いってん……」
「……あんたが俺を捕まえるのを待ってたんだよ! ……そうしねぇと……直接拳がたたき込めないもんなァ!」
リキエルは前を見据える。
視界は相変わらず歪んでいるが、相手の場所はわかっていた。
何せ相手はいま、自分の腹にその爪を突き立てているのだ。
自分と繋がっているのだから……。
「ちょ……まっ」
彼女は逃げだそうとするが、スタンドは壁にまで食い込み簡単には抜けそうにない。
だがスタンドを解除したら、体格はリキエルの方が上だ。女の自分が組み伏せられる可能性が高い……。
スタンドを解除するか。
このまま貫き続けるか、一瞬迷った彼女より先に動いたのはリキエルだった。
「逃げようったってそうはいかねぇからなそう、逃げようったってなぁ……」
一呼吸置いた後、リキエルは拳を振り上げる。
「無駄なんだよッ! 無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ぁぁぁぁぁっ!」
そして幾度も幾度も、ただ叫び繰り返し拳をたたき込む。
それは彼が荒んだ世界にいた頃に覚えた喧嘩の技であり、その後も鍛錬を続けて鍛え上げた拳のラッシュだ。
普通であれば、ただ拳をたたきつけるだけ。
人間の領域を出ない技にすぎないのだろうが……。
父の血が、その拳さえもただの凶器にかえる。
怒りと覚悟に充ちたリキエルのラッシュは、まさに父のそれに迫る勢いと人間が繰り出す速度をこえていた。
「ふぎゃぁあぁああぁっぁああ!」
女の甲高い叫びとともに、スタンドは粉みじんに砕け散る。
後にはすでに気絶し動かなくなった女の身体だけが残されていた。
「ふぅ……何とかなったかなァ」
リキエルは一つ溜め息をつくと、その場に座り込む。
「いてっ! いててて……」
同時に鈍い痛みが、彼の身体に襲いかかってきた。
……戦っている最中は痛みさえ感じなかったが、どうやら思っていた以上に打ち込まれていたらしい。
だが痛いなら、生きてる証拠だ。
彼は壁を背もたれにすると、深い呼吸をする。
廃屋には屋根がなく、青空が伺える。
これだけ打ちのめされたのに、これだけ痛い思いをしているのに、何故か彼の心には清々しい風が吹いていた。
「おいっ、リキエル。大丈夫だったかっ! ……って、これは」
それからしばらく後、ミスタが戻ってきた。
どうやらミスタも「うまくやって」くれたようだ。
狙撃手に狙われる心配は、もうないのだろう。
「……おかえりー、ミスタ」
「おかえりー……じゃねぇよ! 何だこれ、おまっ、腹からすげぇ血が出てるじゃねーかおい!」
「大丈夫、急所はずれてる……ってその年増ねーちゃんがいってたから、多分死にやしねぇよ……」
「急所はずれて……以前の問題だろ! おい! くそ……」
慌てるミスタと違って、リキエルは至極マイペースのままだった。
「大丈夫だって兄さんにかかれば治してくれるだろうし……てかミスタの権力とかで俺すぐ病院とかVIPでつれてってくれるんじゃねーの?」
「そうしてぇのは山々だけどよー……ここ、携帯電話入らねーんだよ! くそ……」
「えー……俺スゴイ血とか出てんだけど……」
「あーくそー……とりあえず傷見せてみろ!」
言われるがまま服を捲れば、ヘソのそばにもう一つ。
新しいへそが、背中まで貫通してる。
だがなるほど、血は思ったより出ていないし、急所が外れているのは本当のようだ。
「これなら病院まで持つだろうけど、念のためな……」
ミスタは自分の荷物からホッチキスを取り出すと、ぱちん、ぱちん。
まるで紙でも塞ぐように傷をつなぎ止める。
「ちょ、ミスタ! なんかぱちんぱちん言ってるんだけどっ、俺、紙束じゃねーんだけどっ!」
「うるせー! コレで結構持つもんだぜ? あとガムテープ巻いておくから、とりあえずこれで病院行くぞ。立てるか?」
「あぁ……」
差し出された手をとり、リキエルはゆるゆると立ち上がる。
「……楽しそうだなオマエ。こんな怪我してよー……何が楽しいんだ?」
「いや……俺のスタンドでも……スタンド使いって倒せるンだなぁと思ってさ……こういうの、負けた事しかねぇから……俺……」
「何いってんだ……とにかく早く戻るぞ!」
「はぁい……」
ミスタの身体にもたれながら、リキエルはゆっくり歩き出す。
非道い傷だが、リキエルはそれでも笑っていた。
自分でも兄のように「出来る」こと。
彼はただそれが、それだけの事が、妙にくすぐったくて嬉しかったのだ。
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「何やってるんですかリキエルっ!」
病院についたとたん、リキエルは手術室へ運び込まれた。
それから数時間の手術を終え、目覚めた時傍にいたのは兄であるジョルノだった。
兄さん、おはよう。
そういった直後に帰ってきた言葉は、おはようの挨拶ではなく激しいジョルノの怒りだった。
「一歩間違えたら死んでたかもしれないんですよ……それなのに……」
唇を噛みしめ俯くジョルノは表情こそあまり変えなかったが、それでも相当に心配していたのが伺える。
後にミスタ曰く。
『あんなに感情を露わにして怒っているジョルノはほとんど見た事がない』
との事だから、どれだけ彼がジョルノを心配させたかがわかるだろう。
「ジョルノ兄さん、そのっ……悪かった。謝るって、ゴメン」
その剣幕に押され、リキエルは思わず謝る。
「……でも俺、どうしてもあいつには負けられなかった。あいつに負けたら、兄さんのその黄金のような覚悟を汚されちまうようで……俺、それがどうしても許せなかったから」
リキエルはジョルノを見据える。
真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに。
「だから俺は覚悟を決めたんだぜ、兄さん。貴方を、守る為に」
ジョルノは暫く黙って彼の顔を見ていたが、やがて一つ溜め息をつくと。
「やれやれ……これはどんなお説教をしても無駄みたいだね……無駄な事は嫌いなんだぼくは」
「へへ……」
そう言った後、しっかりとリキエルの身体を抱きしめた。
「でも、もう無茶はしないで……ゆっくりと休んでくれよ? これ以上何かあったら」
「んっ……わかったわかった! わかってるって兄さん心配しないでくれよ……」
「……約束ですよ?」
「あっ……あぁ」
ジョルノの腕が、リキエルの頭を撫でる。
外は暗くなり始めていたが、兄弟の時間はゆっくりと流れているようだった。
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数日後。
結局リキエルは、イタリア観光などほとんど出来ないまま病院で過ごす事になった。
傷は思ったより深く動くのが危険な状態だったのだ。
ようやく傷が塞がりはじめた頃、リキエルはもう故郷に帰る日となっていた。
「……悪かったねリキエル。ほとんど観光も出来ず。すっかり巻き込んでしまったみたいで」
「何言ってるんだよ兄さん。俺、結構ハードで楽しかったぜ」
空港まで見送り――実際は護衛にも近いのだが――にきていたジョルノを前に、リキエルは笑う。
「兄さんと会えてたしロッズも紹介する事が出来たし……ミスタ面白かったし、トリッシュのコンサートにも行けたし……ウマイもんも結構食えたし……なっ」
本当に楽しかったのだろう、彼の笑顔に偽りの色は見えない。
完治しきれない傷を与えてしまった負い目がジョルノにあったが、それさえリキエルにとっては「兄の為に尽くす事が出来た」という「良い思い出」になっているようだった。
「……そうか」
「あぁ! 兄さん、またメールするから返事くれるよな……?」
「……あぁ」
「俺また、旅行した写真とか送るよ。あと、次くる時はイタリア語もうちょっと覚えてくる……あのフーゴさんって人は英語も流暢だったけど、ミスタの方は半分くらいしか言ってる事わかんなかったもんな」
「うん……そうだね。そう……」
今度いつあえるのだろうか。
ひょっとしたらもう会えないんじゃないだろうか……ジョルノはそれだけ危険な仕事をしているし、リキエルもまたDIOの息子として逃れられない宿命が待っている。
そんな不安が、ない訳じゃあない。
「じゃあな兄さん。さよならじゃないぜ……行ってきます!」
「あぁ……行ってらっしゃい」
だけどそれでも、彼らは笑顔で手を振った。
お互いを思い合うこの強い意志があればきっと、また出会う事も出来るだろう。
小さくなっていく弟の背中を眺めながら、ジョルノは漠然とそんな事を思っていた。
来た時より、幾分か大きく思える彼の背中を眺めながら……。
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「いっちゃったぜ、いいのかジョルノ?」
小さくなっていく飛行機を眺めて、ミスタがいう。
「ホントは可愛い弟と一緒にいたかったんじゃねぇの?」
組織に勧誘し、リキエルを傍において活動する事が出来れば、ジョルノはより信頼できるパートナーを得る事が出来るだろう。
リキエルなら幹部になれる。
それだけの覚悟と力を身につけはじめているとジョルノは感じていた。だけれども。
「……自分の可愛い弟に、こんな汚い真似させられませんよ」
それは半分は真実で、半分は嘘だ。
一緒にいたい気持ちはある、だがリキエルは彼の生き方をしてほしい。
そんな願いが、ジョルノにはあった。
「ふーん、そうか……」
ミスタは空を見上げる。
すでに飛び去った飛行機は影もなく、ただ長い飛行機雲を残すのみだった。