ファースト・コンタクト 31



 その日、グラハム・エーカーは朝からずっと幸せな気分でいっぱいだった。
 グラハムが上機嫌な理由は明快至極。昨夜見た夢の中に、彼の愛しい恋人が出てきたからだ。
 カスタムフラッグの夜間飛行訓練中もそれは変わらず、浮かれた気分のせいでいつもよりも三割増のスピードで飛行中に飛行形態からの空中変形ができてしまったのだから、恋愛パワーの威力のすごさにしみじみ感じ入ってしまったほどだ。
 夢に現れたティエリアは、絶世の美貌と称しても足りないくらいの綺麗な顔で微笑みかけてくると、とんでもない悪態を吐いてグラハムを手厳しく振ってくれたのだ。
 普通ならば落ち込むなりなんなりするところだろうが、ティエリアの可憐な唇から紡ぎだされる言葉ならば、たとえどんな罵詈雑言でも天上の調べのごとく耳に心地よく聞こえてしまうグラハムであるから、物理的な距離のせいで現実には逢えない分、夢の中とはいえ逢えて単純に嬉しかっただけだ。
 そういえば以前カタギリから聞いたことがある。日本の古い物語に「かぐや姫」という月から降りてきた美女と時の皇帝とのラブストーリーがあると。コロニーに居住しているティエリアと、地上にいる自分とで少し境遇が似ている気がする。その物語は悲しい結末で終わるそうだが、自分達は違う。たとえ思うように逢えなくても、彼に対する想いが褪せることなどないのだから。
 コロニーにいる想い人は、そろそろ自分の送ったメールを読んでくれた頃だろうか。
 ティエリアからの返信は多くはなく、しかも短いうえに素っ気ないが、人付き合いをまったくしたことのない彼が一生懸命返してくれるものなのだ。たとえ一言だけであろうとも、グラハムにとって何よりの宝だった。もちろん、ティエリアからの返信メールはすべて保存している。
 今度はなんと返事をよこしてくれるだろうか。もしもティエリアも夢に見てくれていたら、即座に軌道エレベータに乗って、ティエリアの居住するコロニーに逢いに行ってしまいそうだ。
「今日は随分とご機嫌でしたね、中尉。何かいいことでもあったのですか?」
 訓練を終えてフラッグから降りると、先に帰投していたワード・メイスンに出迎えられた。
「ああ。私の心を揺るがす出来事がね」
 タオルを受け取って汗を拭いていると、もう一人のフラッグファイターであるダリル・ダッジが興味深そうに聞いてきた。
「ひょっとして、噂の恋人となにかあったんですか?」
「おい。まだ訓練中だぞ。プライベートな質問はよせ」
 生真面目なハワードに窘められて顔を曇らせるダリルに、グラハムは小さく笑った。
「構わないさ。第一、そろそろ終わりの時間だ。技術チームにいいデータが提供できてよかったよ」
 機体の整備を整備兵に依頼すると、グラハムは二人を伴ってパイロットルームへ向かった。
「それにしても、中尉の高い操作技術には惚れ惚れしました。流石はトップファイター」
 心酔した様子で興奮したように語るダリルの隣で、ハワードが興味深そうな視線を寄越してくる。
「確かに、いつも以上にのっていましたね。ダリルじゃありませんが、何かいいことに関係するんですか?」
「私自身、驚いているよ。まったく、うまくいっているときの恋愛パワーは素晴らしいな」
 我ながら単純だとグラハムが苦笑すると、ダリルが早速食いついてきた。
「やっぱりそうなんですか!」
 ユニオン軍の中でも恋多き男の代名詞とやっかまれているグラハムだったが、彼と親しいダリルやハワードは、グラハムが交際している恋人に夢中になっている姿など一度も見たことはなかった。
 勝手に熱を上げられ、言い寄られて断ることなく交際し、その後根っからの軍人であるグラハムについていけなくなって皆離れてゆくのだ。
 だから、こんなふうに言わば浮かれているグラハムを見るのは二人とも初めてで、そうなると彼を夢中にさせている恋人に俄然興味が湧いてくる。
「中尉! 中尉の恋人は、一体どんな人なんですか? やっぱり美人なんですよね?」
 好奇心に目を輝かせながらダリルが聞いてくる。
「極上の美人、といっておこうか。つれない人だが、そこがまたたまらなくてね。口説いて口説いて、やっと恋人にしてもらったよ」
「中尉ほどの人がですか?」
 驚いたように目を瞠るハワードにグラハムは頷いた。
「ああ。ひとめで心惹かれて、さらにその気高さに心を奪われた。彼以上の存在は、この世のどこにもいないよ。本当に手に入れられたことを神に感謝したいほどだ」
「そうですか……って、彼っ!?」
「ああ。『彼だ』よ」
 熱烈なグラハムの言葉に半ばあてられていたハワードだったが、聞き捨てならない単語を耳にして思わず目を剥いた。ダリルも唖然とした表情でグラハムを見ている。
 確かグラハムのセクシャリティはノーマルだったはずだ。それが、いつの間に宗旨変えしたのか。
 絶句している二人に、グラハムは悪戯っぽく笑った。
「まったく、二人とも揃いも揃ってカタギリと同じ反応をするな。私の恋人が男性なのがそんなに意外か?」
「……いえ、あの……はい。そうです」
「まあ、当の私でさえ想像もしなかったことだから、君達が驚くのも無理はない。だが、恋とは堕ちるもので、そこに性別を持ち込むなどナンセンスだ。そうは思わないか?」
「はあ……」
 敬愛する上官の突然のカミングアウトに、二人とも戸惑いの色を隠せない。なんと返答すればいいのかと迷っていると、ふいに訪問者が現れた。
「いやはや、きみには恐れ入るよ。こんなとんでもない数字を叩き出すんだから、きみの恋愛パワーの威力は末恐ろしいね」
 顔を覗かせた技術顧問のビリー・カタギリが、肩を竦めながらグラハムを揶揄する。
「その様子だと、いいデータが取れたようだな、カタギリ」
「このうえなくね。このデータを元に、エイフマン教授にカスタムフラッグのチューンを依頼するよ」
「それは楽しみだ」
 何事もなかったかのように会話する上官達を茫然と見ている彼らに気付いたカタギリが、怪訝そうに二人に視線を向けた。
「どうしたんだい? 二人ともそんな顔をして。はは、さてはグラハムの惚気話にあてられたな?」
「……はあ」
 珍しく気の抜けた返事を返すハワードに、カタギリが苦笑を深くする。
「やれやれ、気の毒に。グラハムは遠慮というものがないからね。僕も慣れるまで閉口させられたよ」
「人聞きの悪い。私は自分の気持ちを正直に話したまでだ」
「きみの場合、相手がどう取るかまったく考えないからね。まったく、正直すぎるのも考えものだ」
「そうやってすぐに人を悪者にする気か? ひどい男だよ、きみは」
 気の置けない友人同士の軽口の応酬にすっかり毒気の抜けたハワードとダリルは、互いに顔を見合わせて苦笑を浮かべあった。
「驚いたが、中尉らしいといえば、らしいかもしれないな」
「ああ」
 彼らの尊敬すべき上官のグラハム・エーカーは、常識にとらわれることのない人だということをすっかり失念していたのだ。
「何か言ったか?」
 耳ざといグラハムが聞き返してくる。
「中尉の絶好調の源ならば、喜んで応援しようと話していたんです」
 ハワードが答えると、グラハムは満足そうに笑った。
「そうか。きみたちにそう言ってもらえると私も嬉しいよ」
「理解のある部下を持って幸せだね、グラハム。でも、だからといって際限なく惚気るのはやめた方がいいよ。第一、彼らに気の毒だ」
 カタギリの忠告にグラハムは肩を竦めて返した。
「善処しよう」