ファースト・コンタクト 24



 ユニオン軌道エレベーター通称「タワー」。南米アマゾン川上流にそびえ立つそれは、世界で一番最初に建造された軌道エレベーターである。
 ガンダムマイスターが宇宙へ上がる場合、通常であれば人革連の軌道エレベーター「天柱」を利用していた。ガンダムの機体をコロニー建設用資材に紛れ込ませてともに上がるため、資材コンテナのチェックが「タワー」より手薄な「天柱」を選択するのは当然のことだ。また、コロニー開発が一段落ついた「タワー」よりも、まだ開発途中の「天柱」の方がコロニー用資材に紛れ込ませて宇宙空間にコンテナを排出しやすいのも、「天柱」を利用する理由のひとつだった。
 だが、今回は予定外の行動のために「天柱」側のヴァーチェの手配が間に合わず、また一刻も早く宇宙へ上がりたいティエリアの希望もあって、彼自身は駐屯施設から一番近い「タワー」を使うことにした。いったんユニオンのコロニー内にある隠れ家に身を落ち着かせ、その後アレルヤとともに上がってくる「ヴァーチェ」を迎えに「天柱」に向かう手はずになっていた。
「…ティエリア。本当に一人で大丈夫? チケットに余裕があるんだから、やっぱり刹那と一緒に行った方がいいんじゃないか?」
 「タワー」の出発ロビーのソファに座ったティエリアを心配そうに覗き込んだアレルヤは、ここに着く直前まで何度となく繰り返した同じ台詞を口にする。それに対するティエリアの答えもまた、同じものだった。
「大丈夫です。トレインに初めて乗るわけでもあるまいし、一人で行けます。大体、わざわざ送ってもらう必要などなかったのに」
「そういうわけにはいかねえだろ。使い慣れた「天柱」とは違うんだ。何かあったら大変だろ?」
 傍らで見下ろすロックオンにぽんと頭を撫でられ、ティエリアは不機嫌そうに眉を顰めた。昨日、うっかり醜態を晒してしまってからというもの、こんなふうにロックオンに構われっぱなしなのだ。心配してくれているのはわかってはいるが、ティエリアとしては恥ずかしい気持ちが先に立ってしまって、素直に甘受することができずにいた。
 そんなティエリアを見て、ロックオンは顔を綻ばせる。
「ようやく元に戻ったようだな」
 安堵の混じった声音に視線を上げると、ロックオンとアレルヤはやわらかな笑みを浮かべていた。刹那は相変わらず無表情だけれども、なんとなく笑っているような気がする。
 昨日から三人に余計な気を遣わせてしまっている未熟な自分が歯がゆくて情けなくて、ティエリアは眉間にますます皺が寄せた。
「―――いい加減、過保護が過ぎると思いますが」
「俺らが構いたいんだからいいじゃねえか。おとなしく構われてろって」
 憎まれ口を叩いてそっぽを向いても、鷹揚に受け止められてはティエリアに勝ち目があるはずがなく、ロックオンの大きな手でくしゃくしゃっと頭を撫でられて、ティエリアは擽ったそうに首を竦めた。
 どうにもペースが崩されてしまう。以前なら苛立たしく感じたはずなのに、今は面映ゆいばかりで。この一ヶ月あまりの自身の心境の変化に、ティエリアは戸惑うばかりだ。
「向こうに着いたら、ミス・スメラギに連絡入れておけよ。何もないとは思うが、一応所在を知らせておかないとな」
 ロックオンの言葉に、はっとしたティエリアが顔を上げた。自分の我を通したことで、マイスターばかりでなく彼女のスケジュールの変更も余儀なくさせてしまったのだ。今更ながらに罪悪感が胸を過ぎり、自然と表情が曇る。
「……すみません。わたしが我儘を言ったばかりに、迷惑を掛けてしまって…」
「そんな顔すんなって。いいじゃねえか、これくらい我儘言ったって。刹那の命令違反に比べたら可愛いもんだぜ?」
 引き合いに出された刹那はやや気まずげに視線を泳がし、アレルヤは苦笑を浮かべた。
「ですが…」
「いいから気にすんなって。仲間なんだから、フォローするのは当たり前だろ? 遠慮はなしだ」
 ターコイズ・ブルーの瞳に宥めるように告げられたティエリアが小さく頷くと、破顔したロックオンによしよしとばかりにまた頭を撫でられる。それがなんとも擽ったくて、ティエリアは僅かに口元を綻ばせた。
「……そろそろ時間です」
 トレインの搭乗手続き開始のアナウンスが流れると、ティエリアはゆっくりソファから立ち上がった。
「搭乗ロビーまで送るよ、ティエリア」
 アレルヤの言葉に、流石にこれ以上は甘えが過ぎると思ったティエリアは静かに首を振った。
「いえ、ここまでで結構です」
 きっぱりと言い切るティエリアに、苦笑を滲ませたアレルヤは素直に引き下がる。
「僕も明後日上がるから。「天柱」で落ち合おう」
「気を付けて」
「着いたら俺らにも連絡寄こせよ」
 三者三様に告げられて、ティエリアは小さく頷き返した。
「行きます」



 搭乗ロビーに向かうティエリアの背中を見送った三人は、そのまま出口に向かった。トレインの出発までちゃんと見送りたいのは山々だったが、いい加減戻らないと整備主任のイアン・ヴァスティから雷を落とされるからだ。
「やべーな。予定時間を過ぎそうだ。急ぐぞ」
 時計で時間を確認したロックオンが顔を顰めると、アレルヤが揶揄するように笑った。
「絶対に間に合うように戻るからと言って出てきましたからね。遅れたりしたら、間違いなく怒鳴られますよ、ロックオン」
「間に合わせるさ、意地でもな」
 そう言うなり早足になるロックオンに、刹那と顔を見合わせたアレルヤは肩を竦めた。あっという間に引き離されそうになり、慌てて速度を上げかけたアレルヤだったが、視界の端を掠めた人影に思わず足を止めた。
「…あれ? 今の…」
 振り返って遠ざかる背後の人影に目を凝らす。
「どうした? アレルヤ」
 急に立ち止まったアレルヤを不審に思った刹那が声をかける。
「どこかで見た顔だと思ったんだけど…」
「知り合いか?」
「いや…。でも、どこかで会った気がするんだ」
 シルバーグレイの瞳を顰めて記憶の淵をさらってみるが、思い出せない。普段ならそこで諦めるところだが、妙に気にかかったアレルヤは、頭の中でもう一人の自分に問いかけてみる。
『ハレルヤは気付いた? 今の』
『ああ? 知るかよ、そんなもん。てめえの気のせいじゃねえか?』
 半ば予想していたこととはいえ、あっさり無碍にされてアレルヤは内心溜息を吐いた。
「おい。どうした?」
 怪訝そうにロックオンに声をかけられ、アレルヤは小さく頭を振った。
「…多分、僕の気のせいだね。行こう、刹那」
 なんとなく釈然としない思いを抱きつつも、アレルヤは刹那を促すとロックオンの後を追った。