ファースト・コンタクト 23



 「残念ながら空振りだったね」
 カスタムフラッグから降りたグラハムは、出迎えたカタギリに自嘲げに肩を竦めた。
 ガンダム出現の報を受け急遽カスタムフラッグで出撃したものの、発見ポイントに到着したとき既にガンダムの機影はどこにもなく、諦めきれずにその後も領域ぎりぎりのかなり広範囲に渡って独自に捜索をしたが結局見つからず、グラハムは落胆とともに基地に帰投したのだった。
「ガンダムの飛行速度を考えれば、追いつけないのはわかってはいたが、行方すら掴ませてもらえなかったのは悔しいな」
「偵察機が発見したのは恐らく移動中だったのだろうけど、どこに向かったのかな。ま、少なくともユニオン領内でないことは確かだね」
「人革連かAEUか、それとも第三国の紛争地帯…か。何れにせよ、私が直接手が出せないところに現れるのは口惜しいよ」
 本来ならば自国にガンダムが現れないこと歓迎すべきところなのだが、真剣に悔しがっているグラハムにカタギリは苦笑を浮かべた。
「まったく。きみのガンダムに対する情熱には恐れ入るね。まるで恋でもしているようだよ」
「そうかもしれないな」
 カタギリの軽口にグラハムはにやりと口角を上げて応えた。子供のように無邪気でありながらその奥に猛禽類の獰猛さを孕んだオリーブグリーンの瞳がきらりと輝く。
 初めて会ったときから心を奪われた存在―――それがガンダムだった。
 その性能に興味を抱き、二度直接対峙して圧倒的な戦闘能力を肌で感じて、グラハムの眠っていた闘争心に火が点いた。
 世界が三つの国家群の支配に落ち着いて以来、多少の諍いは起きても殆どが外交的手段で解決してしまい、三大国家群間での直接的戦闘は皆無だった。いかにフラッグファイターとはいえ、模擬戦闘や同盟国への軍事的支援が精々ともなれば、フラッグの性能をフル活用して敵と戦うことなど望むべくもないことだ。
 フラッグのトップファイターとしての実力に裏打ちされたグラハムの矜持はいつも対等に戦える相手を欲していたが、叶えられることのない現状に次第に苛立ちと焦燥がつのり、自暴自棄になりかけたことも一度や二度ではなかった。我慢弱いと自ら公言するグラハムであったから、溜まった鬱憤の捌け口に相当のやんちゃもした。
 そんな燻った状態でいたグラハムの目の前に、突如として現れた待ち焦がれた敵。フラッグよりも優れた機体性能を持つ、ソレスタルビーイングのモビルスーツガンダム。
 強大な敵に挑み、死力を尽くして戦い、この手で倒すことこそ武人の本懐。その究極的なグラハムの欲求をガンダムならば満たしてくれる。そう思うと、身体が震えるほどの歓喜に包まれた。
 他の誰にも渡さない。ガンダムを倒すのはフラッグのトップファイターたる自分だと、そう信じて疑わない。初めて心の底から自分を満足させる相手が出現したのだ。これを神の与えたもうた好機と呼ばずしてなんと呼ぼう。実質無神論者であるグラハムだったが、このときばかりは神に感謝したい気持ちだった。
 この、身を焦がすほどの執着に「恋」と名付けるのならば、それでも構わないとグラハムは思う。心を捕らわれた、という意味でなら同じなのだから。
 けれど、正しく「恋」と呼ぶべき存在ならば、現在進行形で抱いている相手がいる。ガンダムと同様、ひと目で心惹かれた稀有な美貌の持ち主……。
 ―――――ティエリア。
 ガンダムに抱く執着がMSパイロットの闘争本能からくるのであれば、ティエリアに抱いているそれはひどく感情的で原始的な人間の本能に帰するものだろう。情熱のベクトルの方向は違えど、今グラハムの心を等しく占めているのはこの二人だった。どちらがより強くとはすぐには甲乙つけ難いくらいに。
「―――――これも二股をかけているというのだろうか…?」
「何か言ったかい?」
 ひとりごちたグラハムに、カタギリがきょとんとしたまなざしを向ける。
「―――いや。私も案外、気が多い人間なのかなと思ってね」
「………今更それをきみが言うのかい?」
 今まで散々綺麗な花々の間を渡り歩いてきたくせにと意地悪げに揶揄されると、身に覚えのありすぎるグラハムはあっさりと降参してみせる。
「まあ、否定はしない。だが、本気になれる相手がいなかったのだから、それも仕方ないだろう?」
 悪びれないどころか自身の悪行を肯定してしまう緑の瞳の貴公子に、カタギリは深い溜息を吐いた。
「……よく今まできみが後ろから刺されなかったものだと思うよ、僕は」
「そんなわけないだろう? なにしろきみも知っているとおり、私は振られてばかりだからね」
 悪戯っぽく笑うグラハムは、露ほどの痛手も受けているようには見えなかった。先程本気でないと告げたとおり、ただ上辺だけ通り過ぎていった彼女達に幾許かの感傷も抱かなかったらしい。
「―――やれやれ。今のところ、きみを本気にさせることができるのは、ガンダムだけということか。きみらしいといえばらしいけれど、友人としてはもう少し情緒面の成長を望みたいものだねえ」
 薄情な友人を憂慮するカタギリに、グラハムはあっさりと告げた。
「―――いるよ」
「え?」
「本気の相手」
「えええっっ!?!?」
 心底驚いたように瞠目するカタギリを眇めつつ、グラハムは芝居がかったように眉を顰めた。
「失礼だな。そんなに驚くことか?」
「……いや、だっていつの間に……」
 まだ呆然としているカタギリにグラハムは人の悪そうな笑みを浮かべた。
「自分でも気付かぬうちに堕ちているのが恋というものだろう?」
「………は?」
 予期せぬことを告げられたカタギリが間の抜けた声を出す。その表情に溜飲を下げたグラハムは愉快げに笑った。
「まったく。人生は意外性の連続だな。しかし、だからこそ楽しい。そう思わないか? カタギリ」
 常になく楽しそうに輝かせるオリーブグリーンの瞳を、カタギリはなんともいえない複雑な心中で眺めた。