ファースト・コンタクト
19 『WINNER!』 シミュレーションマシンのコックピット内のモニターに映し出された戦闘終了を告げる文字を見て、グラハム・エーカーは不機嫌そうに眉を顰めた。そのまま憮然とした表情でマシンのコックピットから降りたグラハムを、ビリー・カタギリが柔和な笑顔で出迎える。 「おやあ? シュミレーションマシンの過去最高得点を更新したってのに、うちのエースは随分と不機嫌だねえ」 「所詮は擬似戦闘だ。こんなものでいくら点を取ったところで、実際の戦闘に役立ちはしない」 オリーブグリーンの瞳を冷ややかに細めながら吐き捨てたグラハムに、カタギリは肩を竦めてみせた。 「そりゃそうだけどね。でも折角苦労して作った大事なマシンなんだ。八つ当たりで壊したりしないでくれよ?」 常にない乱暴な――というより無茶苦茶な操縦の理由を正確に予測したうえで当て擦る悪友を、グラハムは横目で睨んだ。 これだからこの男は油断できない。人の悪い彼にこれ以上の言質は取らせまいとグラハムは唇を引き結ぶが、カタギリはこれで解放するつもりはなかったらしく、レンズ越しにちらりと思わせぶりな視線を向けてきた。嫌な予感がして思わず身構えたグラハムの耳に、予想通り意地の悪い質問が届く。 「ところで、グラハム。例の彼とは、その後どうなっているんだい?」 何を言われても無反応でいようと構えていたのだが、ストレートに核心を突かれたせいで思わず眉をぴくりと動かしてしまう。 「……………」 マッドサイエンティストにあと一歩足りないだけのカタギリにとって、自ら手がけたマシンはわが子も同然で、どうやら先程の乱暴な扱いにかなり気分を害しているらしい。酷使されたうえに酷評されたマシンの意趣返しをする気なのは疑うべき余地はないだろう。 そんな理由でプライベートに干渉されたくはないと非難のまなざしを向けてもカタギリはまったく意に介した様子もなく、平気でグラハムの神経を逆撫でる言葉を口にする。 「その様子では、どうやらあまりはかばかしくはないようだね。百戦錬磨のきみにしては珍しい」 いくらカタギリでもこの台詞は許しがたい。グラハムがオリーブグリーンの双眸に怒気を滲ませると、カタギリはふっと口元を緩めてみせた。 「苛々するのもわかるけど、モノに当たるのはやめた方がいいと思うよ。まあ、人に当たるよりはマシだけれどね」 嫌味なくらい図星を指すカタギリが忌々しく、いっそ怒鳴りつけてやろうかと口を開きかけるが、それでは彼の挑発にまんまと乗ってしまうことになる。寸でのところで堪えたグラハムは、深く息を吐いて激しかけた自身を抑え込んだ。 「……わかっている」 苦々しく呟いたグラハムは、これ以上の無益な口論を避けるように視線を逸らすと、無言のままテストルームを後にした。 悪友にああも容易く付け込まれた無様な己がひどく腹立たしい。最近の自分は妙に苛々して余裕がないことは自覚してはいたが、これほどの醜態を晒してしまうとは思わなかった。 ソレスタルビーイングの武力介入もテロリストの攻撃もなく待機状態なのは幸いだった。もしスクランブルがかけられて緊急出撃したとき、平常心で操縦桿を握れるかどうか自分でもあまり自信がない。 その原因がたった一人の人間に起因しているなど、以前の自分ならばとても考えられないことだった。人であれものであれ、何かに執着することなど皆無だった自分が、初めて心を奪われた存在―――それがティエリア・アーデだ。 ヴァイオレットの髪にワインレッドの瞳を持つ稀有な美貌を目にしたときから、グラハムの心は彼に捕らわれたままだった。 二ヶ月ほど前、テーマパークのカフェで初めて会った彼にひとめぼれをした。気分の悪くなった彼をホテルで休ませ、会話を重ねるうちに、見目麗しい外見ばかりでなく彼の気高さや気丈さ、そしてほんの少し垣間見えた脆さにますます惹きつけられた。 己の腕の中で可憐に鳴いたティエリアのしどけない姿を思い出すたび、胸が熱くなる。他人の熱を知らない真っ白な彼に、快楽を教えることに背徳めいた悦びを感じた。もっとも、手淫だけで意識を飛ばした無垢すぎるティエリアに、流石に最後まで致すことはできなかったが。 別れ際、彼のアドレスを聞かず自分のアドレスだけを渡したのは、ティエリアの方から連絡をくれると確信していたからだ。ティエリアの中に確かに自分という存在を刻み込めたと思ったし、そして何より、プライドの高い彼が好意を抱かない相手に触れることを赦すわけがない。そう思うのはグラハムの傲慢でも不遜でもないはずだ。 ところが―――。 そんなグラハムを嘲笑うかのように、その後ティエリアからは何の連絡もない。 初めの一週間は晩熟の彼のことだから恥ずかしがっているのだろうと思っていた。それが二週間、三週間、一ヶ月と何の連絡もないまま過ぎ、二ヶ月になろうとした今では余裕は焦燥に変わっていた。 ティエリアも自分に好意を寄せてくれたと思ったのは、思い上がりだったのだろうか…? いつにない弱気な心がグラハムの心に影を落とす。今まで己が直感を疑ったことも外れたこともなかったが、今度ばかりは自信がない。稀代の道化者と成り果てるかもしれない自分に、グラハムの口元に昏い笑みが浮かんだ。 もしそうならば、ここまで自分を惑わせた責任を是が非にもティエリアに取ってもらわなければ。彼の行方を掴むのは広い砂漠に落ちた小石を捜すような途方もないことだが、決して不可能ではないはずだ。彼に繋がる一つ一つの事柄を辿っていけば―――――。 その時。ふいに、ある一つの可能性がグラハムの脳裏を過ぎった。 ―――もしかして…、あの男が邪魔をしているのか? オリーブグリーンの双眸が大きく瞠られ、次いで忌々しげに顰められた。 ロックオンと呼ばれていた、ティエリアの同僚。電話のモニター越しに初めて顔を会わせたあの男は、自分に対してひどい侮辱の言葉を投げつけてきた。下世話な人間だと罵られたあの屈辱は未だに忘れることができない。 あの男がティエリアにどのような思いを抱いているかなど、自分を敵視したあの目を見ればすぐわかった。そんな男がティエリアのすぐ傍にいると思うだけで、激しい嫉妬に身を焦がしそうだ。 恋敵の邪魔をするのは定石中の定石とはいえ、もしあの男がなんらかの妨害をしているのだとしたら、ただではおかない。如何なる手段を用いても相応の報復をしてやると、グラハムは深く心に誓った。 とはいえ、何の手がかりもない今は、どんなに焦れても待つしかないのだが。 「―――待つ身というものは、つらいものなのだな。初めて知ったよ、ティエリア。本当にきみは色々なことを私に教えてくれる」 形の良い唇に苦笑が滲む。眦は先程とは打って変わって穏やかで愛しげに細められた。 自分が他人を、しかも恋敵に嫉妬する日がくるなんて、思いもよらなかった。これもすべてティエリアに出会えばこそ生まれたものだと思うと、彼への愛しさが増してきて今すぐにでも会いたくなる。 いっそのこと、主義を曲げて情報部の知人に極秘に依頼してみようか。こうなったら手段など構っていられない。このまま手を拱いていて、あの男にティエリアを奪われるようなことになったら堪らないからだ。 そんなふうに恋する男と化したグラハムが考えを巡らせていると、突然携帯端末が鳴った。無粋なアラームに僅かに眉を顰めながらも、素早く取り出し通信をオンにする。 「私だ」 『偵察隊からの報告です。太平洋上空にガンダムが現れました』 通信士の言葉に、オリーブグリーンの瞳が鋭く光った。 「すぐに戻る」 短く返答し通信を切ったグラハムは、即座にフラッグの格納庫へと向かう。その顔からは甘やかな気配は完全に消え失せ、エリート然とした険しい軍人のそれへと変わっていた。 「このタイミングで現れるとは。人の恋路の邪魔をするつもりなのか? ガンダム」 軽口を叩きながらも、グラハムの意識は既にガンダムへと飛んでいた。過去二回の接触では、青いガンダムにまんまと逃げられている。同じ失敗を三度繰り返しては、グラハム・エーカーの名が廃るというものだ。 「今度こそ、逃しはしない。覚悟したまえ、ガンダム!」 固い決意を帯びた緑の双眸が、獲物を目の前にした狩人のように愉悦に細められた。 |