ファースト・コンタクト 18



 ミーティングルームでスメラギ・李・ノリエガからミッションプランの説明を受けていたロックオン・ストラトスは、彼の右隣で同じく彼女の話に耳を傾けているティエリアの顔をちらりと盗み見た。
 整いすぎているからこそ作り物めいて見えるその白皙の美貌は張り詰めたように硬く、切れ長のワインレッドの瞳には険しい光が宿っていた。
 あらゆる感情を冷徹な意思の力で抑え込むヴェーダの申し子は、初めて会ったときから無表情の仮面を被っていた。ロックオンが親しくなろうと何度となく歩み寄ってみても素気なく振られ、その度にまたアプローチをかけるの繰り返し。アレルヤに半ば呆れられながらも、懐かない仔猫を手懐けるかのようなスリルと高揚感にロックオンの胸は躍っていた。
 その涙ぐましい努力の成果か、無表情なティエリアに少しずつではあるが感情が表に現れはじめてきて、ロックオンとしても嬉しかった。もっと色々な表情を見たくて、わざとちょっかいをかけてみたりもした。主に呆れたり怒ったりする表情だが、以前の能面のように取り澄ました冷たい顔よりはずっとよかった。そのうち絶対に笑わせてやると、密かに心に誓っていた。
 だが、そんなロックオンの思惑は予測不可能な事態によって崩れてしまった。
 ―――グラハム・エーカー。
 その名を思い出すだけで苦い思いがこみ上げて来る。
 エリート然したユニオンのトップファイターとは、初対面にもかかわらず電話のモニター越しに激しくやりあった。
 ティエリアをホテルに連れ込んだことを正当化したばかりか、自分を下世話な人間と侮蔑してきた。それだけでも許せないというのに、よりによってティエリアに手を出したのだ。ティエリアの白い華奢な首筋に挑発するかのように付けられたキスマークを見た瞬間、身体中の血が沸騰するかのような目も眩むほどの怒りに捕らわれた。既の所で抑え込んで、ティエリアを糾弾しなかったあの時の自分を褒めてやりたいくらいだった。
 あれから、一ヶ月あまり―――。
 注意深くティエリアを見守ってきたロックオンは、彼が思い悩んでいることに気付いていた。今までなら綺麗に抑え込んでいた心の揺れを隠しきれず、そのことにティエリアがひどく動揺していることにも。何が原因かなど言わずと知れたことだ。
 できることならあんな男のことなどさっさと忘れてほしいのだが、ティエリアの様子を見る限りそれはまだ難しいようだ。そんな彼を黙って見つめれば見つめるほど、ロックオンの心に少しずつ苛立ちが募ってゆく。
 どうして俺じゃダメなんだと。あんな男のことなんかとっとと忘れて俺を見ろと、口にしたくなる。
 そんな自分を誤魔化すように、あくまでもスキンシップの域をはみ出さない範囲でティエリアを構い続けてきたが、それもそろそろ限界に近付いてきている気がする。
 ガンダムマイスターのリーダーとしての責任から抑え込んできたティエリアへの想いが、ふとした瞬間溢れそうになるのだ。その華奢な身体を抱きしめて、宥めてやりたい衝動をもう何度抑え込んだことか。
 そんなロックオンの思いを嘲笑うかのように、ここ数日ティエリアの様子がおかしくなった。今まで以上に無表情に磨きがかかったというか、自分の周りに見えない壁を張り巡らせて他人を一切拒絶するようになったのだ。だが、それは思いつめた人間の悲愴な決意の表れのようにロックオンには思われ、ティエリアの繊細な心の悲鳴が聞こえてくるようで胸が痛んだ。
 ティエリアを傷付けるすべてのことから彼を守ってやりたい。そのためには自分は何だってできるだろう。
 そう―――。その原因を自分の手で取り除くことも。
 ロックオンの瞳に剣呑な光が宿る。
「―――――ロックオン?」
 ふいに声をかけられ、我に返ったロックオンは慌ててスメラギ・李・ノリエガに視線を移した。
「……わりい。ちょっと考え事をしていた」
「貴方がぼんやりするなんて珍しいわね。何かあった?」
「いや。久しぶりのミッションだからな。少しばかりナーバスになったかな?」
 ロックオンが口元に苦笑を滲ませながら嘯いてみせると、スメラギ・李・ノリエガはひょいと肩を竦めただけだった。下手な言い訳など、敏い彼女にはバレバレのようだ。
 内心やれやれと思いながら横目でティエリアを見やると、非難めいたまなざしを向けられた。口に出しては言わないが、大切なミッションプランの説明の最中にぼんやりするなんてと、冷たいワインレッドの双眸が詰っている。
 俺って実はかなりの貧乏くじ引いてんのかねえ……。
 ティエリアのことを考えていたのに、当の相手から非難されては流石に立つ瀬がない。少しばかりへこんだ気分のままアレルヤに視線を向ければ、温厚な彼はドンマイというように微笑んでみせた。その笑みに少しだけ勇気付けられたような気がして、ロックオンは下降していた気分を浮上させる。
 色々考えなければならないことは多々あるが、今は与えられたミッションを完遂することだけに意識を向けよう。すべてはその後のことだ。
 ただ一つ確固たることは、今までずっと見守ってきたティエリアを、みすみす他の誰かに渡す気はないことだった。素直にいい兄貴役なぞ演じるつもりは微塵もないし、そこまでお人好しでも間抜けでもない。譬えティエリア自身がそれを望んだとしても、大人しく引き下がる気など毛頭なかった。
 ライバルが現れて自覚するなんざ、鈍いにも程があるがな。
 ターコイズブルーの双眸がすっと細められる。地上にいるあの男へと頭の中で照準を合わせながら、ロックオンは獰猛な笑みを口元に浮かべた。
 ティエリアは誰にも渡さねえ。特に、てめえには!
 脳裏で引いた想像のトリガーはやがて現実のものとなることを、ロックオンは正確に予測していた。