ファースト・コンタクト
28 「――――――――こんな……、信じられない…っ!」 ティエリア・アーデは、かつてないほどの後悔に襲われていた。 まさか自分があんな恥ずかしい真似をしてしまうなんて。いくら思いもかけずにグラハムと再会して彼のペースに流されてしまったとはいえ、公衆の面前で抱擁を交わしあったばかりかくちづけをするなど、万死に値するありえない失態だった。 いっそ気付かぬままだったら、まだマシだったのだ。ところが、何度目かのくちづけが終わり、乱れた呼吸を整えようとしてグラハムの肩に顔を伏せた途端、ティエリアは好奇に満ちた多数の視線を感じとった。はっとして周囲の気配を探ると、通路を歩く人達が足を止めて自分達を見ていたのだ。 そこでティエリアは、ここがどこなのかようやく思い出した。その瞬間、この場から消え去りたいほどの羞恥に襲われ、頭の中が真っ白になってしまった。 とにかくこの場を離れなければと、慌ててグラハムを押し退けて逃げ出したティエリアだったが、搭乗ロビーに着いたところで彼に捕まり、そのままティーラウンジへ連れ込まれたのだった。 「そんなに気にしなくてもいいじゃないか?」 向かいに座るグラハムは飄々としたもので、ティエリアは苛立たしげにきつく睨み付ける。 「よくありませんっ! 貴方には羞恥心というものがないんですかっ!?」 「まあ、確かに少しサービス過剰だったことは否めないが、久しぶりに逢えた恋人同士の熱い抱擁を邪魔するような無粋な輩はいなかっただろう?」 グラハムのあまりの羞恥のなさに、ティエリアの精神は焼き切れそうになる。 「誰が恋人同士なんですかっ!? 誰がっ! 大体、人前であんなことをするなんて、恥知らずにも程がありますっ!」 「きみを抱きしめたくなるのもくちづけたくなるのも、みんなきみが魅力的なせいだ。それを一ヶ月以上も逢えずに我慢していたんだから、少しくらい箍が外れても仕方ないじゃないか」 悪びれるどころか自身の行いを肯定してしまうグラハムに、これ以上何を言っても埒が明かないと悟ったティエリアは、気を静めるために深い溜息を吐いた。 「―――わたしと貴方とでは価値観がだいぶ違うようですね。どうやら、貴方との付き合い方を考えなければならないようです」 「ティエリア…。そんな冷たいことを言わないでくれ」 情けない仕種で上目遣いに抗議してくるグラハムをティエリアは一笑に付した。 「自業自得です」 冷たく切り捨てられてさぞや落胆してみせると思ったのに、意外にもグラハムは苦笑を浮かべるのみだった。 「手厳しいな。だが、その方がきみらしい」 「…え?」 「物憂げなきみもいいが、私としてはやはり今のようにつれないきみの方が好きだな。毎回口説く楽しみを味わえて退屈しないよ」 まるでゲームを楽しむかのように軽い調子で告げられて、ティエリアは不快そうに眉を顰めた。自然と声も憤りを孕んで低くなる。 「……ミスター・エーカー。ふざけるのもいい加減にしてください」 口説く楽しみなどと、どう考えても真剣だとは思えない。やはり先程の告白も抱擁もくちづけも、グラハムにとっては遊びの延長にすぎないのではないか。だから人前であんな恥ずかしいことも平気でできるし、悪びれもしないのだ。 「グラハム、だよ、ティエリア。やっと恋人同士になったのに、ファーストネームで呼ばれないのは悲しいよ」 さも切なそうに眉を寄せ肩を落としてみせるグラハムを、ティエリアはきつく睨み付けた。 「だから、誰が恋人同士なんですかっ!?」 「勿論、私ときみだよ」 「…っ!」 平然と答えるグラハムに、どうせ遊びのくせに!と咽喉まで出かかった言葉をティエリアは無理やり飲み込んだ。いくらなんでもそんなことを言うのは女々しすぎて、プライドが許さない。 「……そう思うのは貴方の勝手ですが、わたしは貴方と恋人になったつもりはありません」 「ひどいな、ティエリア。さっきはあんなに愛を確かめあったのに」 「だから、貴方のおふざけにこれ以上付き合っていられな…っ!」 昂ぶりすぎた感情に言葉が詰まる。鼻の奥がツンと痛くなり、視界がみるみるうちに曇ってゆくのがわかる。 「……っ」 「――!」 まずいと思ったティエリアは、咄嗟に目を瞑り俯いた。膝の上に置いた手をぎゅっと握り締めて、涙が零れそうになるのを懸命に堪えていると、ふわりと暖かい腕に抱きしめられた。 「―――すまない、ティエリア。意地悪が過ぎたようだ」 いつの間にか隣に移動してきたグラハムが、肩口に顔をうずめたティエリアの髪を優しく撫でながら謝罪の言葉を口にする。 「でもきみも悪いんだよ? 私の心を疑ったりするから」 「……先に退屈しないなんて言ったのは、貴方でしょうっ!」 涙声で詰ると、グラハムは心底弱ったような声で言った。 「そういう意味で言ったんじゃないんだが…失言だったよ。本当にすまない。頼むから泣かないでくれないか。きみに泣かれると、私はどうしたらいいのかわからなくなる」 「……………」 「ティエリア?」 すっかりうろたえて、恐る恐るといった様子で窺ってくるグラハムにティエリアは少しばかり溜飲を下げるが、曲がった機嫌はそう簡単には直らない。 「ならば、どういうつもりだったのですか?」 「きみにつれなくされると、なんとか振り向かせたくて必死になるんだ。どうやって口説こうと考えるだけで楽しくなる。こんなことは初めてだよ」 「…まるでゲームですね。わたしのことも遊びとしか思えません」 「ゲームなどではない! もちろん、遊びでもない。確かに私はゲームめいた恋愛を楽しんで、あまり誉められたような行状でなかったことは否定しない。けれど、きみに対しては違う! きみは私が初めて本気になった存在だ。この気持ちだけは疑わないでくれないか?」 必死に掻き口説くグラハムは、自らの想いの強さを伝えるかのようにティエリアを抱く腕に力を込める。そのぬくもりに包まれていると尖った心が少しずつ和いできて、ティエリアは次第に気持ちが落ち着いてくるのを感じた。それでも、すぐに許してやるのはやはり業腹なので、しばらくグラハムの出方を窺うことにする。 「…ティエリア。私が悪かったから、どうか機嫌を直してくれ。お願いだ。もうきみが嫌がることはしないと誓うよ」 形振り構わず許しを乞うてくるグラハムに、流石のティエリアもだんだんほだされてくる。確かに許しがたい行いだし言葉であるが、ティエリアの方も流されてしまった後ろめたさはあるので、怒りもそう長くは続かない。 仕方ないと溜息を吐いたティエリアは、静かに告げた。 「……もういいです。わたしも大人げなかったですから」 「ティエリア!」 嬉しそうな声で名を呼んだグラハムは、身体を離すと満面の笑みで見つめてきた。 「ありがとう、ティエリア。もう二度ときみを悲しませないことを誓うよ!」 「………」 オリーブグリーンの瞳がまっすぐに見つめてくる。子供のように無邪気な輝きを浮かべる双眸に、思わずティエリアは苦笑を滲ませた。 「―――いい加減衆人環視のこの状況をなんとかしたいのですが……」 ティーラウンジの端に座っているため、いくら先程の場所よりも目立たないとはいえ、個室でない限り当然他人の目に触れる。事実ちらほらと向けられてくる好奇の視線に気分が悪くなってくる。 「…え? ああ。でも、邪魔する無粋者はいないし、あまり気にすることはないんじゃないか?」 「………」 ティエリアの心も知らずにあっさりと流したグラハムに、ティエリアはこめかみにピクリと青筋を立てた。 「何より、今はきみから離れたくないよ。きみだってそうだろう?」 「―――ミスター・エーカー」 「いやだな、ティエリア。グラハムと呼んでくれ」 地のように低い声で名を呼ばれても懲りるような彼ではなかったが、朗らかな笑みを浮かべながらティエリアを見つめた途端、その冷ややかなまなざしの前で凍りついた。 「わたしは先程、羞恥のないことは嫌だと申し上げましたよね?」 「…あ、ああ」 「ならば、これ以上悪ふざけはやめてください。いい加減にしないと、本気で怒りますよ」 ワインレッドの瞳を眇めてぴしゃりと釘を刺すと、グラハムは不承不承といった様子でティエリアから離れた。 「…きみにならいくらでも怒られたいものだが、これ以上調子に乗ると本気で嫌がられそうだ」 「何か仰いましたか?」 「…いや、何も」 にこやかに微笑みながら嘯くグラハムを横目で睨んだティエリアは、溜息を吐くとすっかり冷めてしまった紅茶を口に運んでその不味さに眉を顰めた。 「そういえば、何故きみがここに?」 「その台詞、そのままそっくり貴方にお返ししますよ。軍服を着ているところを見ると、勤務時間中じゃないんですか?」 「軍服姿の私に惚れ直した? だとしたら嬉しいな」 悪戯っぽく瞳を輝かせて覗き込んでくるグラハムに、ティエリアは冷たく言い放った。 「自信過剰ですね。その辺の十把一絡げの人間ならともかく、何故わたしが」 「ということは、客観的に見てきみも格好いいと思ってくれるわけだね。嬉しいな」 「…っ!」 にこにこと思わせぶりな笑みを浮かべながら顔を覗き込んでくるグラハムに、ティエリアはかあっと頬に血を上らせた。この失礼な男を罵ってやりたいのに、適当な言葉が思い浮かばない。 「…自惚れがすぎますっ!」 悔し紛れに吐き捨てて顔を背けるが、目ざといグラハムが赤く染まった頬を見逃すはずがなく、意味ありげに向けられる視線にいたたまれなくなる。そんなティエリアの緊張に気付いたのか、グラハムがふっと吐息交じりの笑みを浮かべた。 「ここへはトレインに乗る上司を送ってきたんだ。でも、本当は非番だったから、今日はこれでお役ごめんになる。ティエリア、きみは?」 「わたしは…コロニーに帰るところです」 「コロニー? ティエリア。きみ、コロニー居住者なのか?」 驚いたように目を瞠るグラハムに、ティエリアは躊躇いがちに頷いた。 「…ええ」 「やっときみに逢えたというのに、もう離れなくてはならないのか…!」 「………」 茫然と呟くグラハムの横顔は愁いを帯びていて、その顔を見るのが辛くなったティエリアはそっと視線を外した。 「トレインの時間は?」 「乗るはずだったトレインがトラブルで発車中止になってしまったので、振り替えのトレインの準備待ちです」 「ああ。あれに乗るはずだったのか…。と、いうことは、トレインが通常どおり発車していれば、今こうしてきみに会うことはなかったということか。やはり私ときみは運命の赤い糸に結ばれているようだな」 強いまなざしに自信たっぷりに告げられ、ティエリアは瞳を瞠った。 確かに、非番であるグラハムが上司を送ってこなかったら、トレインにトラブルが発生しなかったら、自分達は会うことはなかっただろう。偶然と一言では片付けることのできない何かがあるような気がするが、運命とは少し大袈裟ではないか? それに、赤い糸って何のことだろう…? 密かに首を傾げるティエリアに気付かないグラハムは、熱に浮かされたように滑らかに言い募る。 「偶然同じ時、同じ場所に居合わせても、僅かでもタイミングが外れたらきみと再会できなかっただろう。こうしてきみに逢えて、運命の女神の粋な計らいに感謝したいところだが、人を喜ばせておいて突き落とすとは、彼女は存外意地が悪いらしい。それとも、これも二人に課せられた試練かな?」 「一体何の試練ですか…」 呆れ気味に視線を送ると、グラハムは我が意を得たりとでもいうようににやりと笑った。 「もちろん、私ときみの愛の試練だよ。遠く地上と宇宙に離れてしまっても、私の愛は変わらないよ」 ティエリアの右手を捧げるように取ったグラハムは、その甲に恭しくくちづけた。そのまま上目遣いに見上げてくるオリーブグリーンの熱い視線に魅入られたように、ティエリアはその手を振り払うことができない。 「私達に残された逢瀬の時間はあまりにも短いようだ。せめてこのひととき、きみとともにいたい」 きみは?と真摯なまなざしに問われ、ティエリアは恥ずかしげに頷いた。今更虚勢を張ることは無意味なことに思えたし、なによりグラハムに逢いたかったのはティエリアも同じだったから。別れがたい気持ちも一緒だった。 「…ティエリア」 嬉しそうに笑ったグラハムは、腕を伸ばしてティエリアの細い肩を引き寄せた。本当は抱きしめたかったのだが、恥ずかしがり屋の恋人を慮って我慢する。すると、おずおずとティエリアが頭を凭れてきて、思いもかけない僥倖にグラハムは満面の笑みを浮かべた。 「東洋にはこんな伝説がある。その昔、地上に降りてきた天女に恋をした男が、愛しい人を天に帰さないように彼女の纏っていた羽衣を隠してしまった。羽衣をなくした天女は天に帰ることができず、そのまま地上に留まったそうだ。私もきみを宇宙へ帰さないように、羽衣を隠してしまいたいよ。そうすれば、きみとずっと一緒にいられるのに」 「―――ミスター…」 「グラハムとは呼んでくれないのかい?」 寂しげに返されて、ティエリアは困ったように俯いた。ファーストネームで呼んでも構わないとは思うのだが、どうしても恥ずかしさが先に立ってしまって口にできないのだ。 「本当にきみは恥ずかしがり屋だね。仕方ない。今度逢ったときの宿題にしておこう」 「今度…?」 きょとんとして聞き返したティエリアに、グラハムは大袈裟に嘆いてみせた。 「まさかもう逢わないなんて言うんじゃないだろうね!? 私をここまで夢中にさせておいて、それはないよ」 「………」 グラハムに逢えたことだけで満足していたティエリアは、この先のことなど考えもしなかったのが正直なところだった。彼のことは諦めなくてはいけないと思っていたせいもあるのだが、なにしろ「好き」という感情を抱いたのが初めてだったから、その感情だけで手一杯になっていたティエリアにそんな余裕などあるはずがない。 半ば茫然とするティエリアの心を読んだのか、グラハムは愛しげに瞳を和ませて言った。 「きみが好きだよ、ティエリア。私の恋人になってくれないか?」 ―――恋人……。 軽く目を瞠りながら、頭の中でぼんやりとその単語を復唱したティエリアは、その言葉の意味に今更気付いたかのように頬を赤く染めた。咄嗟に俯いたものの、逃す気のないグラハムに追いかけられる。 「…ダメかい?」 顔を覗き込まれ、うろたえたティエリアは慌てて顔を背けた。 人の気持ちなどお構いなしで強引に自分のペースに巻き込んでしまうくせに、そんなふうに不安そうな瞳で見つめてくるのは反則だ。まるでこちらが悪いことをしているような気になってしまうではないか。 これがグラハムの手管なのかもしれないと疑う思いは完全に払拭されてはいなかったが、告げられた言葉を嬉しいと感じてしまう気持ちの方が強かった。 それでも素直に頷くにはまだ恐くて、視線を合わせられないまま口を吐いた言葉はせめてもの抵抗だった。 「―――貴方も随分と物好きですね」 「そうかい? 私としてはこの上なく趣味がいいと自尊しているんだが?」 「悪趣味の間違いじゃないんですか?」 憎まれ口を叩くティエリアにグラハムは困ったように吐息を零した。 「きみを手に入れられるのならば、私は道化にだってなるよ? この場で跪いてきみに愛を乞うことも厭わない」 「…っ」 その声音に本気さを感じとったティエリアは、はっとしてグラハムに顔を向けた。彼ならやりかねないと思ったからだ。 「ようやくこちらを向いてくれたね」 確信犯の笑みに迎えられて、グラハムの術中に嵌まったことを悟ったティエリアは内心舌打ちした。まんまと引っかかってしまった自分が悔しくて堪らない。 「私は本気だよ? なんなら、今ここでやってみようか?」 「ミスター!」 そう言って立ち上がろうとするグラハムを、慌ててティエリアは引き止める。人前でこれ以上恥を晒すなど、とんでもなかった。 「――貴方には負けました」 ティエリアは諦めたように深い溜息を吐いた。 「わたしは他人と付き合ったことがないので、つまらなくても責任はもてませんよ?」 「ティエリアっ!」 「…っ!」 言うが早いか抱きついてくるグラハムを受け止め損ねたティエリアは、そのままソファの背もたれに倒れこんだ。 「ありがとう、ティエリア! 一生大切にするよ!」 頬を紅潮させながら全身で歓喜を示すグラハムに、何が彼をそんなに喜ばせたのかわからないティエリアは、一瞬呆気にとられた。それでもこんなに嬉しそうな彼を見ていると自分までもなんだか嬉しくなってくるから不思議だ。目元を和ませ、その背に腕を伸ばしかけて――また周囲の視線を感じた。 「ちょっ、…ミスター」 グラハムの身体をなんとか押し退けようとするが、力任せに抱きしめられて如何ともし難い。何度か抗ってみるが、梃子でも動かないとわかると、諦めたティエリアは抵抗を止めて身体の力を抜いた。 不躾な他人の視線はティエリアの気分を逆撫でするが、何故かグラハムに抱きしめられていると不快さもすっとどこかへ消えてしまう気がする。 彼に毒されてしまったのだろうか…?と、心の中でひとりごちるティエリアの口元にやわらかな微笑が浮かんでいることに、彼自身気付いてはいなかった。 「それでは」 トレインの搭乗口前で立ち止まったティエリアが隣に立つグラハムに視線を移すと、グラハムは寂しそうな笑みを滲ませながら言った。 「きみに逢えない寂しさでこの胸が潰れる前に、今度は私が逢いに行くよ」 「…軍人さんがそんなことでいいんですか?」 「軍人である前に、きみに恋する一人の男だよ」 熱っぽく見つめてくるグラハムに、咄嗟に顔を背けたティエリアは呆れたように吐き捨てた。 「…馬鹿なことを」 憎まれ口を叩いても、目元をほんのり赤く染めていてはグラハムを調子づかせるだけたっだ。 「ティエリア…」 耳元で愛しそうに名を呼んだグラハムは、おずおずと振り向いたティエリアの顎を指先で捕らえると、すかさず唇を重ねた。もう一方の腕で腰を引き寄せ、胸の中に抱きしめる。驚いたティエリアが抗議の声を上げる前に、くちづけを深くして抵抗を封じた。 「……っ!」 嵐のようなくちづけの後、我に返ったティエリアはグラハムを平手で叩くが、当のグラハムは避けることなく甘んじて受け止めた。 「きみに叩かれるのは、これで二度目だな」 笑いを含んだ声に揶揄されて、ティエリアは柳眉を顰めた。 「お望みならば、もう二、三発差し上げてもよろしいですが?」 「きみから与えられるものならば、それがなんであれ私は喜んで甘受するよ? でも、どうせならキスの方が嬉しいな」 「……戯言を」 臆面もなく言い切るグラハムにティエリアの方が恥ずかしくなってくる。この男はどうしてこういつも直截なのだろう。やはり選択を間違えたかと溜息を付くと、ふいにグラハムに抱きしめられた。 「ミスター!」 抗うティエリアに、グラハムは乞うように囁いた。 「頼むからじっとしていてくれ。次に逢うときまできみのぬくもりを憶えていたいんだ」 らしくもなく弱気なことを言うグラハムの背中に、ティエリアは宥めるように腕を回した。 「……気がすみましたか?」 「…ああ。でも、もう少しこのままでいたい」 「仕方がないですね」 やはり彼に毒されているなと思いつつ、抱きついてくるグラハムを何故か可愛く思えてしまったティエリアは、おとなしく身をまかせた。 やがてその抱擁が解かれたのは、出発を告げる無粋なアナウンスだった。 「……名残惜しいが、仕方がない。気を付けて行っておいで」 ゆっくりと身体を離したグラハムは、ティエリアの唇に触れるだけのキスを送る。咄嗟に目を瞠ったティエリアは、けれど返すはずの抗議の言葉を口にせずに、代わりにはにかんだ笑みを浮かべた。その笑みに目を奪われたグラハムの左の頬に、柔らかな唇が押し当てられる。 「…っ!?」 「行ってきます」 悪戯っぽく艶やかに笑ったティエリアは、身を翻してトレインの中に消えてゆく。その背中をグラハムは茫然と見送るしかない。 ティエリアの唇の感触が残る頬に手のひらを当てたグラハムは、まいったと苦笑を浮かべた。 「―――まったく。きみはどこまでわたしを夢中にさせれば気が済むんだ、ティエリア」 今度逢ったときはこのキスのお礼を是非しなければと心に誓いながら、グラハムは恋人を乗せたトレインが出発するのを見つめていた。 |