ファースト・コンタクト 27



「できれば、次からはもう少し早く連絡がほしいな。きみに会えるというのに、花束一つ用意できなかった」
「――――――――な……ぜ………?」
 驚愕のあまり声を失ってただ呆然と目を瞠るティエリアに、当たり前だろうとグラハムは悠然と笑った。
「きみに会いたいと言われれば、私は世界の果てからでも飛んでくるよ?」
「―――――な…にを、馬鹿な…ことを……」
 ようやく出せた声は情けないほど掠れていて、冷笑を浮かべてやろうと思った唇は形作ることなく歪んでしまう。
「眼鏡をかけたきみも素敵だね。とても似合っているけれど、私はたとえレンズひとつでも、私ときみを隔てるものは許せないな」
 指先でそっと頬を撫でられ、その暖かさにティエリアは目の前の男が現実のものだと今更ながらに認識する。
「会いたかったよ、ティエリア。会いたくて、気が狂いそうだった」
 オリーブグリーンの瞳に熱っぽく告げられたかと思うと、伸ばされた両腕に強く抱き寄せられた。
 記憶と同じ力強い腕と温かなぬくもりに捕らえられ、ティエリアの張りつめた心がふっと緩んだ。こみ上げてくる感情が咽喉を焼き、瞳の奥が燃えるように熱くなってゆく。
「………っ」
 あんなに忘れようと諦めようと決心したのに、再会した瞬間、グラハムはそんなティエリアの決意をあっさりと崩してしまう。
 ひどい男だと、ティエリアは思った。
 言葉で態度でストレートに向かってきて、戸惑っている間に逃げ道を塞いでしまうのだ。これでは、心を誤魔化す隙もない。
 本当に、なんてひどい………。
 潤む瞳を隠すようにまぶたを閉じたティエリアは、おずおずと背中に手を回した。途端に僅かに肩を揺らしたグラハムに、さらにきつく抱きしめられる。
 もう認めなくてはならなくなった感情に、ティエリアはまぶたを震わせた。
 ―――――彼が、好きだ……。
 閉じたまぶたから涙が一つ零れ落ちる。
「………泣くほど私に会えて嬉しいのだと、少しは自惚れてもいいのかな?」
 ゆっくりと身体を離したグラハムは、ティエリアの頬を伝う涙のあとに気付くと、邪魔な眼鏡を取りさって指先で優しく慰撫してくれた。至近距離で注がれるオリーブグリーンのまなざしは蕩けるように甘く、この瞳にずっと見つめられたいと思ってしまうほど魅惑的だった。
「―――自惚れないでください。これは…ゴミが目に入っただけです」
 まなざしの呪縛から逃れるように顔を逸らしながら、恥らった仕種で憎まれ口を言うティエリアに、グラハムは苦笑を浮かべた。
「きみがそう言うのなら、そういうことにしておこう」
「だから、違うと…っ」
 やけに余裕なグラハムの態度が悔しくて視線を上げれば、真摯な光を宿したオリーブグリーンの瞳にぶつかった。その強いまなざしを間近に見たティエリアは息を飲んだ。
「……ティエリア」
 甘く束縛する響きを帯びた声に名を呼ばれ、身動きができなくなる。
「きみが好きだよ。初めて会ったときから、私の心はきみに捕らわれたままだ」
 両手でそっと頬を包まれる。振りほどかなくてはと頭の片隅で思うのに、緑の双玉に魅入られたように指一本動かせない。
「きみは? ティエリア、きみの気持ちが知りたい」
 重ねて問われて唇が戦慄いた。たった今、認めたばかりの感情を口にするのは気恥ずかしすぎる。けれど、まっすぐに注がれる熱い瞳にすべてを見透かされているような気がして、ティエリアは緑の呪縛から逃れるように目を逸らした。
「……………」
 俯いたまま答えないティエリアを再び腕の中に捕まえたグラハムは、静かに最後通牒を突きつける。
「答えてくれないのなら、私の都合のいいように解釈してしまうよ?」
 耳朶を擽る甘い魅惑のテノールに、ティエリアは彼が既に自分の気持ちに気付いていることを悟った。それなのに言わせようとするグラハムは本当に意地が悪い。
 だんまりを続けるティエリアに、先に根を上げたのは当然ながらグラハムの方だった。
「……きみの口から直接愛の言葉を聞きたかったけれど、恥ずかしがり屋のきみにはまだ早かったみたいだね。残念だが、この次に逢ったときのために取っておくよ」
 苦笑を滲ませた優しいまなざしでティエリアを見つめたグラハムは、その柔らかな唇をちょんと人差し指で突付いた。
「今度逢ったときは絶対に言ってもらうから、覚悟したまえ」
 オリーブグリーンの瞳をきらりと輝かせ、ノーブルでありながらワイルドな笑みを浮かべたグラハムを、ティエリアはきょとんと見上げた。次の瞬間、頬に朱を上らせたティエリアは、何の衒いもなくこんな台詞を吐く男を睨み付ける。
「……ティエリア」
 ぐいと腰を引かれ、囁きとともにゆっくりとグラハムの顔が下りてくる。
「な…っ!?」
 キスされる、と思った瞬間には唇に吐息を感じていた。反射的に身を強張らせたティエリアの唇に、グラハムの唇が重なる。
「……っ」
 触れただけのくちづけはすぐに離れ、呆然と瞳を瞠ったままのティエリアに、グラハムはやさしく諭すように言った。
「キスするときは、瞳を閉じるものだと教えただろう?」
 途端にワインレッドの瞳に羞恥が甦る。うろたえたティエリアは咄嗟に顔を逸らそうとするが、グラハムの手に阻まれて果たせない。
「ティエリア」
 息がかかるほどの近くで囁かれ、グラハムの顔が見れないティエリアは身を硬くしてぎゅっと目を瞑った。またくちづけられると身構えたのだが、唇の落ちた先はティエリアの予想外の場所だった。
「………?」
 眉間にそっとキスされたかと思うと、額に眦、頬に鼻の先と啄ばむようなキスを落とされる。擽ったいけれど労わるようなやさしいキスは、ティエリアの強張った心と身体を少しずつ解きほぐしてゆく。
 すっかり身体の緊張を解いたティエリアは、グラハムの胸に身を寄せた。キスで懐柔されたようで悔しくも恥ずかしいが、それでも心地よい腕の中から逃れる気にはなれなかった。
「ティエリア」
 うっとりするほどやさしい声で名を呼ばれ、うっすらと瞳を開け顔を上げるとすぐ傍に端正な甘いマスクがあった。愛しげに細められたオリーブグリーンの瞳がゆっくりと近付いてきて、ティエリアの桜色の唇にそっとくちづけが落とされる。
「……ん」
 啄ばむような軽いくちづけが情熱的なものへと変わってゆくのにさほど時間はかからなかった。待ち焦がれたと言ったその言葉どおり、グラハムの貪るような激しいくちづけにティエリアは翻弄される。
 やがて名残惜しげに唇が離されると、すっかり脱力したティエリアの身体をグラハムはいとおしげに抱きしめた。
「このままきみを離したくないな……」
 熱っぽく耳朶に囁かれ、ティエリアはぞくりと背を震わせた。魅惑のテノールは、いつもティエリアの意識を甘く絡め取る。
 のろのろと顔を上げれば、情欲の滲んだ熱いまなざしがあった。その強い瞳に吸い込まれるようにまぶたを閉じたティエリアの唇に、再びくちづけが落とされる。
 しばし二人は、時の経つのも忘れて熱い抱擁とくちづけに酔いしれた―――。