ファースト・コンタクト 09



「そういえば、きみの連れにはここにいることを連絡したのか?」
「……あ」
 デザートのソルベの冷たさと爽やかな甘さに舌鼓を打っていたティエリアは、グラハムの言葉にテーマパークでロックオン達と別れたままだったことを思い出した。想定外の出来事ばかり起こったせいとはいえ、今の今まですっかり忘れていた自分が信じられない。あり得ない失態に、ティエリアはなかば茫然と目を瞠った。
「もちろん、ここに泊まっていってくれてもわたしは一向に構わない。だが、もしきみが気にするのならば送っていくよ?」
 デザートはパスして食後のコーヒーを味わっていたグラハムが訊いてくる。オリーブグリーンの瞳に静かに見つめられ気恥ずかしくなったティエリアは、視線を避けるように俯いた。
 頭ではすぐにでも帰るべきだとわかっている。いきなり襲われかけたばかりだし、第一見ず知らずの人間、しかも軍関係者と思われる人間と長時間一緒にいるべきではないことも。けれど、出すべき答えが決まっているのに、何故か即答することを躊躇ってしまう。そんな自分にティエリアは動揺を隠せない。
 答えることができずに俯いたままでいるティエリアに、向かいに座るグラハムが小さく笑った。
「…溶けるよ?」
「………」
 はっとして皿に視線を向けると、溶けかけたソルベが微妙に形を崩していた。迷っていた自身の心を見透かされたようでバツが悪くなったティエリアは、無言でスプーンを口に運び始める。その間にも上目遣いでこっそり探りを入れると優雅な仕種でコーヒーを楽しんでいるグラハムがいて、余裕めいたその態度が面白くないティエリアはひっそりと眉を顰めた。
 デザートを終えたティエリアのもとにコーヒーが運ばれてきたタイミングを見計らって、グラハムが口を開いた。
「泊まるにせよ帰るにせよ、一度連絡を入れておいた方がいい。余計なお節介だとは思うが、心配をかけたままではきみも落ち着かないだろう?」
 その言葉にティエリアは素直に頷く。
 ああ見えて責任感の強いロックオンのことだから、きっとアレルヤと刹那と一緒にいなくなった自分を捜しただろう。別に来たくて来たわけではなかったが、だからといって迷惑をかけたままでいいというものではない。それが自身の失態からくるものならば尚更。
 とはいえ、今朝起き抜けのところを攫われるように連れ出されため、携帯端末も財布もなにもかも部屋に置いてきてしまった。流石に宿泊しているホテルの名前とルームナンバーは憶えているので、フロントに連絡して向こうのホテルに取り次いでもらうしかない。
 次々に露呈する自分のあり得ない失態に、ティエリアは眩暈を起こしそうになった。記憶にあるかぎりでもっとも最悪な一日になることは間違いないだろう。
 その最たるものは目の前のこの男だ―――。
 最悪な一日の原因といっても過言でない彼を、知らずうちに恨みがましい目で見据えていたらしい。視線を感じたグラハムが苦笑を滲ませながら言った。
「そんなふうに情熱的に見つめられると照れてしまうよ。それとも、私の忍耐力を試している?」
「戯言を」
 吐き捨てるように言って睨みつけると、目の前の男は鷹揚に笑ってみせた。
「怒った貌も美人だとはさっきも言ったかな? きみを前にすると、陳腐な台詞しか言えない自分が情けないね」
「よくもそんな歯の浮くような台詞を平気で口にできますね」
「こう見えて私は軍属だからね。悠長に構えていて召集がかかったり、最悪任地から還ってこれなくなったら心残りだろう? そういうことのないように、口説くときは言葉を惜しまずストレートに告げるようにしてるのさ」
「それはまた随分と立派なポリシーですね」
 呆れたように言いながら、ティエリアは自分のカンが当たったことに内心舌打ちした。
 ―――やはり軍人だったか。
 とすれば早々に帰った方がいいだろう。軍属といっているが所属も階級もわからないのだ。情報収集は王留美らエージェントが行うものだから、実行部隊の自分がすべきことではない。第一、迂闊に近付きすぎて正体がバレるような危険を冒す真似はできなかった。
 これ以上深入りする前にグラハムの正体に気付いてよかったと、一抹の寂しさを感じながらそう思ったその直後、ティエリアは自身の思考が信じられずに硬直した。深入りなんて思うこと自体、彼に対して関心を持っていると認めたも同じことではないか。仮にも自分を襲った男に対して何をばかなと否定しようとして、彼の行為に驚き戸惑いはしたものの嫌悪は感じなかったことに改めて気付き愕然とする。
 会ったばかりの男にキスされてそれを嫌悪しないなんて、私はそんなふしだらな人間だったのか…っ。
 動揺のあまりうろたえそうになる自身をなんとか静めようと膝の上のナプキンをぎゅっと握り締め俯いたティエリアの様子に気付いたグラハムが怪訝そうに声をかける。
「ティエリア? どうかしたのか?」
 その声にはっとして顔を上げたティエリアだったが、心配げなまなざしで自分を見つめるグラハムの顔をまともに見ることができず、視線を逸らしながら「なんでもありません」と答えた。
「なんでもないようには見えないな。顔色が悪い。気分が悪いのなら、部屋に戻るかい?」
 自分を気遣うその言葉に何と答えるべきか迷ったティエリアだったが、数拍後に小さな声で承諾の意を返した。
「……ええ」
 自分の中の何かが変わってしまうような、そんな漠然とした予感めいたものを感じながら。