ファースト・コンタクト 02



 ―――――最悪だ……。
 他人の好奇な視線に晒されたせいで、ざわざわと全身の神経がささくれ立ったようで悪寒が止まらない。
 込み上げる吐き気を何とか堪えながら、ティエリアは油断すると覚束なくなりそうな足を一歩一歩慎重に動かしていた。
 人間嫌いなティエリアにとって、見知らぬ人間が多く集まるこんな所は決して近寄りたくない場所だった。それをロックオンに連れ出されて、挙句の果てにこの体たらく。元凶の彼を忌々しく思いながらも、この醜態を晒してしまった責は自身にあることは自覚しているので、苛々ばかりが募ってゆく。
 そんなティエリアの様子がおかしいことに気付いた男は、立ち止まって顔を覗き込んだ。
「大丈夫か? どこか具合でも…」
 先程までの気丈さが嘘のように弱々しく俯いているティエリアに、男は心配げな眼差しを向けた。気配を感じて上げたワインレッドの視線が男の双眸を捕える。
 綺麗なオリーブグリーンの瞳―――。
 一瞬、その瞳に吸い込まれそうになったティエリアは、はっと我に返ると、ゆるゆると頭を振った。
「………大…丈夫、です…」
 蒼白な顔であえぐように声を絞り出すティエリアに、男は眉を顰めた。
「大丈夫なんて顔色じゃないな。どこか静かなところでゆっくり休んだ方がいい」
 そう言って周囲を見回すが、生憎ベンチはすべて塞がっていた。空いているベンチを探して歩き回るのは避けたいところだし、カフェやレストランも到底ゆっくり休めるものじゃない。自分の肩を支えるように抱きながら思案する様子の男に視線を向けたティエリアは、小さく息を吐いた。
「………放っておいてくださって、結構です。すぐに治りますから……」
「具合が悪そうなきみをこのまま放っておけと? できない相談だな」
 きっぱりと言い切った男は、少し迷うような表情を見せた後、ティエリアの肩を抱いた掌に力を込めた。
「少し歩けるか?」
「ええ、まあ…」
「近くのホテルを取ろう。もしきみがよければ、そこで休むといい」
「………」
 思いもかけぬ提案に、ティエリアは瞳を伏せて逡巡する。どこの誰かもわからない人間とホテルになどのこのこ行ってもいいものかどうか。普段の彼ならば即座にNOと答えるだろう。だが、今のティエリアはひどく疲弊していて、とにかく他人の気配のない場所へ行って身体を休めたかった。
 たっぷり数分は迷った後、ティエリアは辛抱強く応えを待っていた男に視線を上げた。オリーブグリーンの瞳は心配そうに揺れていて、そこには何の他意も感じられなかった。
「………貴方が迷惑でなければ、お願いできますか?」
 紡がれた言葉に、男の貌に安堵の色が浮かんだ。
「喜んで」
 そう言って男は、ティエリアを気遣いながらゆっくり歩き出した。





 男に促されて連れて行かれた先は、テーマパークに併設されているティエリアでさえ名前の知っている高級ホテルだった。
 落ち着いた雰囲気のロビーのソファに座らされたティエリアは、チェックインのために真っ直ぐフロントに向かった男の背中を目で追った。
予約もしていないのにこんな時間に部屋など取れるのだろうかと訝しんだが、それは杞憂だったらしい。
 男がフロントマンに二言三言何かを告げると、慇懃なフロントマンの態度ががらりと変わった。まるで賓客でももてなすかのように、恭しく応対している。
 ―――この男、何者だ…?
 優雅な身のこなしは上流社会の人間を思わせるが、隙のないしぐさはもっと違う種類の人間を連想させる。ピンと伸ばされた背筋といい、機敏な動作といい、この男、まさか軍人…?
 ティエリアが考え込んでいると、ベルマンの案内を片手で断った男がカードキーを手に戻ってきた。
「待たせてしまったかな?」
 差し伸ばされた手をさりげなく無視したティエリアは静かに立ち上がる。
「いえ、別に…。それより、随分とお顔が広いようですね」
「そうでもないさ。たまたま私の叔父を知っていただけの話で、私自身の力ではない」
 そう言って自嘲する男をティエリアは訝しげに見遣った。先程までの自信に満ち溢れたオリーブグリーンの瞳に、暗い翳りのようなものが過ぎった気がしたからだ。
「では、行こうか」
 何事もなかったかのようにエスコートする男の隣を歩きつつ、ティエリアは自分でも説明できない興味をこの男に覚えはじめているのを感じていた。