ファースト・コンタクト 12



「ミスターエーカー!」
 突然背後から聞こえた声に、ティエリアが慌てて振り返る。
「すまない、ティエリア。ノックをしても返事がなかったものだから、ひょっとしてまた具合が悪くなったのではと思って承諾も得ずにドアを開けてしまった。電話中に失礼してしまった無作法を許してくれるかい?」
 申し訳なさそうな表情を浮かべるグラハムに、ティエリアは小さく頷いて答えた。
「いえ、大丈夫です。それより、私の方こそお借りしているのに長電話ですみません」
「そんなことは気にしないでくれていいよ。私の配慮が足りないせいで心配をかけてしまっただろうから、時間など気にせずゆっくり話してくれたまえ」
「ありがとうございます」
 そんな二人のやりとりをモニター越しに見ていたロックオンは眉を顰めた。
 真っ直ぐにティエリアに注がれる金髪の男のまなざしは甘やかで、振り返って彼を見上げるティエリアもその表情は窺えないものの、警戒している様子は微塵も感じられなかった。他人と一線どころでなく距離を置くあのティエリアが、とても会ったばかりの人間に対する態度とは思えない。
 ロックオンの脳裏を嫌な予感が掠め、その焦りに突き動かされるかのように口を開いていた。
「ティエリア!」
 名を呼ぶとはっとしたようにティエリアが自身の方へ向き直った。
『なんですか?』
 硬質な美貌がロックオンを見つめてくる。いつもと変わらないその様子に杞憂だったかと苦笑しかけたその時、背後の男の姿が視界の端を掠めた。思わず視線を向けると、挑戦的なオリーブグリーンのまなざしとぶつかった。
 ……野郎。上等じゃねえか!
 ロックオンも負けじと男を睨みつける。
『……ロックオン?』
「―――ティエリア。そいつは誰だ?」
 視線は男を捕えたままでロックオンが低い声で訊ねると、ティエリアはようやく気付いたかのように男を紹介しようとする。
『この人は―――』
『グラハム・エーカーだ。私のことを聞きたいのならば、回りくどいことをせずに直接私に問えばいいだろう』
 口を開きかけたティエリアを遮るようにテノールが割って入ってくる。ロックオンが険しい視線を向けて不快感を顕にすると、男は嘲笑を浮かべて言った。
『それとも、ティエリアを介さなければ話もできないのか? きみは』
「なんだとっ!?」
 流石に黙っていられなくてロックオンが噛み付いた。
「言ってくれるじゃねーか、このナンパ野郎!」
『ナンパ野郎とは聞き捨てならならない暴言だな』
 男が不愉快そうに眉を顰めると、ロックオンは挑発めいた笑みを浮かべて言い放つ。
「そのとおりだろうが。カフェから強引にティエリアを連れ出したと思ったらホテルに連れ込んで。おまけにフロントに口止めまでしやがって、姑息にも程がある」
『ますます聞き捨てならないな。きみはティエリアから何を聞いた? 自分の思い込みで人を卑下するのはやめたまえ。第一、私はフロントに口止めなどしていない。もしきみが拒まれたのだとしたら、それはきみを見てのフロントの判断だろう』
「てめえ…っ!」
 馬鹿にされて激昂したロックオンが鋭く男を睨みつける。これがモニター越しでなかったら、恐らく掴みかかっていただろう。いつも飄々とした態度を崩さないロックオンの珍しい姿に、ティエリアもアレルヤも刹那も半ば茫然と見つめていた。
「じゃあ、エーカーさんよ。あんたは何の下心もなしにティエリアの世話をやいたって言うのかよ」
『当たり前だ。私がそんな下世話な人間ではない。侮辱するにも程がある!』
 余裕めいた表情を崩さなかった男が腹立たしげに吐き捨てる。それを見たロックオンは嘲笑うように言った。
「残念ながら、俺はあんたのことをこれっぽっちも知らないんでね。信用しろって方が無理だ。ただ一つ言えることは、あんたは疑われたって仕方がないことをやったってことだよ。自業自得だぜ」
『貴様…っ!』
 ロックオンの言葉にプライドが傷付けられたのだろう。眼光鋭く睨みつけたグラハムが声を荒げる。受けて立ったロックオンもその視線を真っ向から受け止めて、二人の間に見えない火花が散った。
『……人の善意を歪んで解釈することしかできないようでは、きみの程度が知れるな。自分がそうだからといって他人も同じだとは思わないことだ』
「何だって!?」
『その発想の貧困さが、きみの人間性を如実に表しているってことだよ』
「いい度胸してるじゃねえか。そこまでコケにされたのは俺も初めてだぜ。ただで済むとは思うなよ」
『その台詞、そっくりきみに返そう』
 ピリピリと肌を刺すような緊張感が部屋に漂う。険悪なムードに口を挟みたくてもできずにいたアレルヤだったが、流石に一触即発の気配の二人に、このままではまずいと思ってロックオンを止めにかかる。
「ちょっと、ロックオン。落ち着いてください」
「うるせえな、アレルヤ! 俺はこいつに文句を言ってやらねえと気がすまねえんだよ!」
 ところが、完全に頭に血が昇っているロックオンはアレルヤの制止も聞かない。それでもアレルヤは辛抱強く宥めにかかる。
「だからって、電話越しに言い争っても仕方がないでしょう。確かにこの人には僕も言いたいことは山程ありますが、こうしてティエリアは無事だったんだから、少し冷静になって話をしてください」
「何だ、アレルヤ。おまえはこいつの肩を持つのか?」
「持つわけないでしょう。ただ僕はもう少し冷静になってくださいと言ってるだけです」
「俺は冷静だぜ? このうえなくな」
 そんな好戦的な目をしてどこが冷静なんですかと、心の中で溜息を吐いたアレルヤは、もう自分の手には負えないとティエリアに助けを求める。
「ティエリア、きみからも何か言ってくれないか」
 アレルヤに話を振られ、ティエリアは柳眉を顰めた。
『―――私の存在を無視して、好き勝手なことばかり言っているこの二人に何を言えと?』
 抑揚を抑えた口調だが、その声音は刺すほどに冷たい。
『そんなに言い争いがしたいのなら、思う存分二人でやればいいでしょう。別に止めませんから、どうぞお好きに』
 凍るようなワインレッドのまなざしがグラハムとロックオンを交互に睨め付ける。ここでようやくティエリアが静かに怒っていることに気付いた二人は、息を飲んで不機嫌なオーラを纏わせた麗人を見つめた。
「……ティエリア」
『話がそれだけなら失礼する。明日の朝には帰りますから、よろしく』
 素っ気なく言い置いたティエリアは、返事も待たずにモニターの前から立ち去った。
『ティエリア!』
 その後をグラハムが慌てて追いかける。
「おい、ちょっと待てよ! ティエリア!」
 視界から消えてしまった二人を引き止めようとロックオンが声をかけるが、もとより止められるはずがない。茫然とモニターを見つめる彼に、アレルヤが思案げに声をかけた。
「どうします?」
「どうするもこうするもあるかっ! 迎えに行くに決まってんだろ!」
「でも、ティエリアのあの様子じゃ、迎えに行っても素直に帰ってくるとは思えませんよ? 追い返されるだけかも」
「俺もそう思う」
 アレルヤの言葉に刹那も同意する。
「じゃ、なにか? ティエリアを今夜一晩あの野郎の所に置いておけって言うのか!? 冗談じゃねえ!」
 激昂するロックオンに、アレルヤが溜息を吐いた。
「そんなことを言っても、ティエリアを怒らせたのはロックオンでしょう?」
「……………」
 アレルヤの指摘にロックオンは一瞬返答に詰まる。
「すまん。頭に血が昇っちまった。あの気障野郎の顔を見ていたら、つい…な」
 申し訳なさそうな口調のロックオンにアレルヤは苦笑を滲ませた。
「まあ、気持ちはわかりますけど。僕も正直かなり面白くないですし。ですがまあ、あれだけプライドの高そうな人なら、ティエリアに変な真似はしないと思いますよ?」
「そんなことわかるかよ」
 ロックオンが憮然として反論する。男の衝動は時として理性で押し止められるものではないことは、同じ性であるから知っているつもりだ。
「あれだけ啖呵を切ったんですから、大丈夫でしょう。高いプライドにかけて、意地でも抑え込みますよ、きっと」
 穏やかなアレルヤには珍しくうっすらと人の悪そうな笑みを口元に浮かべる。それだけに彼も少なからず憤っていることが察せられて、ロックオンは少しばかり慰められた気がする。
 だが、何れにせよ心配が完全になくなったというわけではない。
 今夜は長い夜になりそうだと、ロックオンは心の中で苦い思いを噛み締めていた。