ファースト・コンタクト 11



 苛々する…っ!
 隣室の扉を閉めた途端、ティエリアは盛大に顔を顰めた。
 グラハムのいかにも手慣れた様子の口説き方がカンに障って仕方がなかった。彼にとって自分はその他大勢の人間と同じなのかと思うと、自分でもわからない衝動に突き動かされ、気付けばグラハムの手を振り払っていたのだ。
 恋を教えてあげるなどと、そんなもの願い下げに決まっているだろうっ!
 たとえ戯言であっても聞き捨てならない。ティエリア・アーデにとってそんなものは不要なものの最たるものだから。それを自信満々に一目惚れだ、恋だなどと、ふざけるのもほどがある。どうせ他の人間にも同じようなことを言って口説いているに違いないのだ。他人と同列に扱われるなどティエリアには許し難い屈辱だった。
 考えれば考えるほど腹立たしさがさらに募る。いっそふざけるなと怒鳴りつけてやればよかった。そうすればあの男のマネケな顔が見れて少しは気が晴れたかもしれないのに。
 どうにもならない苛立ちを抑えがたくて、ふと目に入るものすべてを手当たり次第に壊したくなる。さしあたって目に付いた置時計を手に取り投げ下ろしかけて、ふいに破壊衝動の虚しさに気付き元に戻した。
 沈着冷静を常としてきた自分がなんて醜態だろう。これでは子供の癇癪と同じだ。
 急に脱力を感じたティエリアは、ベッドに腰掛けると深く溜息を吐いた。ロックオン達に連絡を入れなければと思うのに、こんな乱れた気持ちのまますぐには彼らと会話をする気にはなれなかった。
 心配をかけて悪いとは思うが、そもそも原因を作ったのは無理やり連れ出したロックオンの方だ。そう思うといくらでも心配をかけてやれとさえ思ってしまう。それが八つ当たりだとは十分承知しているが、今のティエリアは誰かに当たらずにはいられない心境だった。
「――――――――疲れた……」
 そのままベッドに横になったティエリアは、ぽつりと呟いて瞳を閉じた。
 今日一日で何度怒ったり苛立たせられたりしたことか。感情のままに声を荒げたことなど、記憶を遡らなければ思いつかないほど昔のことで、感情を爆発させることがこんなにも体力を使うものだと初めて知った。自分でも知らなかった感情に翻弄され困惑してしまったこともまた初めてのことで、なんだか自分が自分でないような妙な感覚だった。
 一体自分はどうしてしまったのだろう……。
 焦燥にも似た気持ちがティエリアの中でじわりと広がってゆく。
 溢れんばかりの知識は義父とヴェーダによって惜しみなく与えられ、ガンダムマイスターとなるべく育てられた。誰もそれ以外のことを教えてはくれなかったし、ティエリアも特段知ろうとは思わなかった。
 与えられた任務を完遂することがガンダムマイスターの使命。そのためにティエリアは存在し、戦っている。
 感情に左右されるなんて、あってはならないこと。
 それなのに―――。
 昨日まで呼吸をするように当たり前にできていたことが、今日はできない。その理由をティエリアの頭脳はちゃんと分析している。けれど、ティエリアはそれを受け入れるわけにはいかなかった。
 だって、それが彼――グラハムに会ってしまったせいだなんて。認めたりしたらこれから自分がどうなってしまうのか、そう思うと怖くて怖くて認められるはずがなかった。
 そんな弱気な思考に捕らわれてしまいそうになる自分が嫌で、ティエリアは強引に気持ちの切り換えを図ると勢いをつけてベッドから起き上がり、真っ直ぐにデスクに向かった。備え付けの電話端末のボタンを操作すると、小さなモニターに制服姿の女性が現れる。
『フロントでございます』
「外線をお願いします」
 ティエリアは小さく息を吸うとホテルの名前を告げた。
 それが本来の自分を取り戻す為の手段であるかのように、その声は硬かった。







「――――――――こんな時間になっても連絡がないってことは、やっぱりティエリアの身に何かあったとしか考えられないね」
 厳しい表情をしたアレルヤが隣に座る刹那に言った。夜も更け、どう楽観的に考えても事故か拉致かの何れかの可能性しか残されていない。だが、事故の方は刹那が調べて早々にないことがわかった。残りは一番考えたくなかった最悪なパターンの方だ。
「ティエリアがトラブルを起こしたその金髪の男の行方はわからないのか?」
 刹那が訊ねるとアレルヤは首を振った。
 今のところ、ティエリアの拉致にかかわっていそうなのがその金髪の男だが、流石に顔も名前もわからない人間を探し出すのは不可能だ。
「まったく手がかりなし。こうなったらテーマパークの警備センターに忍び込んで、出入口の監視カメラの画像をチェックするしかない」
「確かにそれが一番確実な方法だと思う」
「ティエリアがいればここでも簡単にハッキングできたんだけどね。残念だけど僕じゃ無理だ」
 アレルヤが肩を竦めると、刹那が淡々と言った。
「それぞれに特性があるんだから仕方がない。それより、移動の時間を考えるとそろそろ出かけた方がいいと思う」
「そうだね。ロックオンに連絡を入れるよ」
 落ち着かない素振りでティエリアからの連絡を待っていたロックオンだったが、小一時間ほど前に用事があると言って出かけてしまっていた。
 アレルヤが自分の携帯端末を取り出しロックオンを呼び出そうとしたその時、ドアが開いて当のロックオンが現れた。
「ロックオン! どこに行っていたんです?」
「ああ。ちょっとコレを取りにな」
 そう言って少し大きめのスーツケースを開けると、中には狙撃用ライフルと暗視スコープ、解析用の端末などがあった。
「いくら民間のテーマパークとはいえ、それなりにセキュリティは万全だろ? 備えあれば憂いなしってやつだ」
「ロックオン、貴方…」
 考えることはみな同じだったとアレルヤが苦笑を浮かべると、ロックオンはニヤリと口角を上げた。
「さーて。準備もあるからさっさと行くか」
 ロックオンの言葉に頷いた二人が簡単に準備を整えた時、内線のコール音が響いた。はっとして三人は顔を見合わせる。
 ここに泊まっていることはミス・スメラギには伝えてあるが、彼女ならば携帯端末に連絡を寄越すはず。
 ということは―――――。
 慌ててロックオンが卓上の端末スイッチを入れると、モニターに見知ったフロントマンの顔が映し出された。
『ストラトス様にお電話が入っております。お部屋の方へお繋ぎしてもよろしいでしょうか?』
「お願いします」
『かしこましました』
 慇懃に目礼したフロントマンの姿が消えた次の瞬間、モニターに現れたのは――――。
「「ティエリアっ!」」
 ロックオンとアレルヤがモニターに身を乗り出し、刹那は無言で目を見開いた。
「おまえ、無事だったのかっ!」
「よかったー。心配したんだよ」
 二人の勢いに気圧されたのか、驚いたように目を瞠って身体をひきかけたティエリアだったが、少し気まずげに視線を落としながら静かに口を開いた。
『………諸事情で連絡が遅れてしまいましたが、このとおり無事です』
「おまえなあ。急にいなくなって、俺たちがどんなに心配してたと思ってるんだ!」
『………すみません』
 ロックオンの怒声に、ティエリアが申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にする。
 プライドの高いティエリアのこと。いつもならばたとえ自分に非があったとしても反論の一つや二つ返ってくるのが当たり前だった。そんな彼にこうも素直に謝られると、ロックオンもこれ以上怒れなくなる。散々心配をかけさせられたのだから雷のもう一つや二つ落としたかったロックオンは、しぶしぶ声のトーンを落とした。
「……今どこにいるんだ」
『テーマパーク内のホテルです』
「ホテルだあ?」
『ええ。急に気分が悪くなって、それで部屋を取ってもらって休んでました』
「俺がフロントに訊いたときにはいねえって帰されたぞ、おい!」
 ティエリアがいると告げたホテルには、ロックオンがフロントに尋ねていた。ティエリアと金髪の男の外見的特徴を告げて滞在の有無を訊いたところ、あっさりいないと言われたのだ。
「多分、ロックオンが胡散臭い人間だと思われて、フロントマンに警戒されたんじゃないかな、きっと」
 苦虫を噛み締めたような表情のロックオンの隣で、アレルヤが密かに笑いを噛み殺しながら呟くと刹那も後に続いた。
「そんなところだろう」
「うるせーぞ、アレルヤ! 刹那!」
 放っておくと好き放題に貶しまくる二人をじろりと睨んで牽制したロックオンは、ティエリアに向き直ると咳ばらいを一つした後に言った。
「とにかく、無事でよかった。すぐに迎えに行くから、ホテルのロビーで待ってろ」
『これから…ですか?』
 ロックオンの言葉に、ティエリアが何故か躊躇いがちに訊き返した。
「ティエリア?」
『……気遣いは嬉しいですが、そこからここまではかなり距離がありますから、この時間に車で往復は疲労が蓄積するだけです。今夜はこのまま泊めてもらって、明日の朝そちらに帰ります』
 少し考える素振りをしたティエリアの口から出た言葉にロックオンは声を荒げた。
「ダメだ! ティエリア、今すぐその部屋から出ろ! どんなに遅くなっても絶対に迎えに行くから」
『……ロックオン・ストラトス?』
 どこか怒ったようなその口調に釈然としないものを感じ取ったティエリアが首を傾げる。
『何故ですか?』
「金髪野郎もそこにいるんだろ?」
『金髪野郎…。ああ、ミスターエーカーのことですか? ええ、隣室にいますが…』
 彼のことを何故知っているのだろうという疑問をティエリアの表情から読み取ったロックオンは、眉を顰めて言った。
「……カフェの店員から聞いたんだよ。お前とその金髪野郎がトラブルを起こしたって」
『トラブルといえば、まあそういえないこともないですが…。まさかそんなことぐらいで迎えに来ると?』
「ティエリア、あのね…」
 どこまでも鈍いティエリアに、これ以上はロックオンもいい加減にキレると思ったアレルヤが助け舟を出そうとしたが時既に遅し。ぶちっと音を立てて何かがキレたロックオンの怒声が部屋を震わせた。
「初めて会った人間をそのままホテルに連れ込むようなナンパ男のところに、これ以上大事なおまえを置いておけるか、馬鹿っ!!」
 鬼気迫る迫力のロックオンに驚いたティエリアがびくっと身体を揺らす。茫然と瞠られたワインレッドの瞳に、少し強く言い過ぎたかと反省したロックオンが宥めようとしたその瞬間、ふいにティエリアの背後に現れた人影に、ロックオンは咄嗟に身構えた。
『―――――――それは、私のことを言っているのかな?』