ずっとその帰還を待ち続けていた相手が帰ってきたとしても、ティアの日常は変わらない。
 二年前、エルドラント戦役が終わってすぐ、ティアの身は情報部を離れ、ユリアシティの長でありローレライ教団の重鎮でもあるテオドーロの補佐官となった。
 高齢である祖父はローレライ教団建て直しの為に奔走するには体力的に些か不安があり、その補佐官が必要とされたこと、それにはユリアシティの成り立ちと一連の事件の真相を良く知る者が適しているとされたことは勿論、教団上層部が一連の事件の中心人物であるティアを裏方に置くのは惜しいと判断した為である。
 ――――― 彼女の兄は、人類を滅ぼそうとした大罪人だ。
 けれどそれは決して私利私欲によるものではなく、人類の滅亡を回避する為の、始祖ユリアの本当の願いを叶える為のそれで。
 そのやり方は余りにも極端ではあったけれど、許されるものではなかったけれど、彼の働きなくして預言からの脱却はなかった。
 彼が居なければ、世界はユリアの詠んだ預言通り、滅びてしまっていただろう。
 預言を変えようと足掻いたヴァン達が居て、彼のやり方を否定し、違うやり方を求めたルーク達が居て初めて、預言からの脱却が成った。
 無論、それがわかってはいても、犠牲になった者達の遺族は納得できるものではない。
 けれど同時に、彼女はヴァンを止めた六人の英雄の一人で。
 長らくこの世界を支えてきたローレライ教団の始祖ユリアの血を引くただ一人の人物でもある。
 その上キムラスカ、マルクト双方の国王と面識を持ち、キムラスカの次期王女ナタリアとは友人関係にあり、マルクト皇帝の懐刀であるジェイド・カーティス大佐、同じく皇帝のお気に入りであるガイラルディア・ガラン・ガルディオス伯爵との親交も深い。
 ヴァンの離反、モースの反逆と導師イオンの死、預言の崩壊。
 様々な要因により瓦解した教団に、これだけの人材を埋もれさせておく余裕はなく。
 微妙な立場を考慮してなお、得られるものを優先させての措置であった。
 結果としてティアは書類や案件を抱えてユリアシティとダアトを中心に、バチカル、マルクト、ケセドニアとあちこちに飛び回る生活を送っている。
 余計なことを考えずに済む分、誰かの為に何かをしていられる分、それはティアにとってもありがたいことで、やりがいのある仕事だと言えた。
 それはルークが帰ってきたとしても何も変わらないし、むしろ休みを貰った皺寄せで忙しく、結局あれから一度も彼には会っていない。
 会いたいか、と聞かれると不思議とそうでもなかった。
 会いたくないのかと聞かれれば、否なのだけれど。
「ええー!? なんでぇ!?」
 正直な気持ちを告げると、正面に腰を下ろした少女から大袈裟なまでの非難の声が上がって、ティアは僅かに困惑の表情を浮かべた。
「…………なんでって、言われても……無理をしてまで会う必要はないと思うし……」
 小首を傾げて、仄かな湯気を上げるカップを口元へと運ぶ。
 ふわりと入れたての紅茶の馨しい香りが鼻腔を擽った。
 一口含んだだけで自分達が普段教団の食堂や自宅で口にしているものとは違うと知れる上質のそれに、自然と表情が緩む。
「………貴女らしいと言えば、らしいですわね」
 それを持ち込んだ張本人であるナタリアはそう言って溜息にも似た息を吐いた。
「…………そんなに、おかしなことかしら」
「おかしいよー! ずーっと待ってたワケでしょ、好きなワケでしょ、愛しちゃってるワケでしょ!? 何もかも放り出して会いに行きたいってもんじゃないの!?」
「ア、アニス! わ、私は別に、そんな!」
「ティーアー、今更だよ、それ。てゆーかルークが帰ってくる前はあんなに素直だったのにさぁ」
 ニヤニヤと笑うアニスの言葉に、じわりと頬が赤くなる。
 自分はそれほどあからさまだっただろうか。
「人間素直が一番ですわよ」
 ナタリアまでそんなことを言われて、穴があったら入りたい心境になった。
「……そ、それよりナタリア? 用事があってきたんでしょう?」
 どうにか話題を変えようと忙しく世界を飛び回っているキムラスカ王女が久し振りにダアトを訪れた理由を問えば。
「まぁそれと関係のある話でもあるのですが。招待状と、貴女にとっても朗報を一つ、持って参りましたわ」
「朗報?」
 招待状の内容はすぐに知れた。
 おそらく半月後に迫ったルーク達の成人の儀のそれだろう。
 だが、自分にとっての朗報とは。
 想像がつかず、首を捻るティアにナタリアは満面の笑みを浮かべて告げた。
「ルークとアッシュの成人の儀に、私とアッシュの正式な婚約が発表されることになりました」
「やっぱそうなるよね〜。十年来の想いが身を結んだってヤツ? おめでと〜」
「おめでとう、よかったわね。ナタリア」
 彼女がどれだけアッシュを ――――― 被験者のルークを思い続けていたかを知っているティアとしてもそれは嬉しいことには違いなかった。
「何を人事みたいに仰いますの! これはあなたにとっても朗報ですのよ!」
 言われて、ティアはどこかきょとんとした表情を浮かべた。
「……私?」
 ナタリアの言いたいことをさっぱりわかっていない様子のティアにアニスが深い溜息を吐く。
「ナタリアとアッシュが婚約するってことは、ナタリアとルークの婚約が正式に破棄されたってことだよね」
「あ………えぇ、そういえばそういうことになるわね」
「なるわね、ではありませんわ! もともと気持ち的にはそのようなものでしたけれど、これでルークは正式に一人身になりますわ。立場的にはアッシュの弟として、王家に入るアッシュに代わってファブレ家を継ぐことになります」
 だんっと机を叩いて立ち上がるナタリアに、ティアはどこか呆然と目を瞬いた。
「それがどういうことか、わかりますわね?」
 公爵家を継ぐということは生半可なことではない。
 今はまだそうでもないようだが、忙しくなるのだろうなとぼんやりと考えていたら、アニスがもーと大きな声を上げた。
「ちょっと、この人全然わかってないよ!!」
「………そういえばティアはとても鈍感でしたわね……」
「……………ナタリアに言われたくはないわ」
 最強の天然に鈍感と言われて流石のティアも渋い表情を浮かべる。
「こと恋愛面に関してはナタリアの方がずっーっと先に行ってるって! ナタリアが言いたいのは、折角ルークが一人身になったんだからこの機を逃さず婚約でも何でもしちゃえってことでしょ!?」
「な……え、ちょっと、何でそんな話に……」
「そうですわ! 以前のルークならともかく、今のルークなら社交界に出たら放っておかれませんわよ! 公爵家の子息と言うだけで群がってくる小娘達にルークを取られても構いませんの!?」
「だ、だから、落ち着いてナタリア! わ、私達、別に、そう言う関係じゃ……」
「まだない、だよね?」
 まだ、を強調されてじんわりどころでなく顔が赤くなった。
「帰って来た後、告白されたんでしょ〜?」
 ニヤニヤと言うよりニマニマと笑いながら言うアニスに、今度こそ本当に顔から火が出そうになった。
「まぁ! 私、初耳ですわ!」
「一昨日バチカルに行った時、聞いちゃったんだよね〜」
「で、どうなりましたの!? もちろんOKですわよね!」
 ナタリアは目をきらきら輝かせていて、こちらは好奇心だったり揶揄と言うよりは本気で喜んでくれているそれで ――――― 純粋なだけに性質が悪いとも言える。
「………す、好きだった! そう、言われただけで、別に、だからと言ってどうこうと言うことはなくて、その……だから……」
 もごもごと普段の凛とした彼女を知るものが見れば驚かざるを得ないであろう初心な仕草で俯くティア。
 以前に比べれば顔色もいいし、表情も柔らかい。
 それは全部きっと、ルークが帰って来たからなのに。
(自覚、ないのかなー……)
 仕事に関して言えば彼女に任せれば間違いはないと言う信頼度を誇る凄腕の彼女だが、こと恋愛面に関してはそうもいかないらしい。
(その上相手はあのヘタレだしねぇ………)
 二人とも初恋に間違いないだろうし、不器用だし、どっかズレてるし。
 そう言う意味でも間違いなく割れ鍋に綴じ蓋カップルだとは思うのだが。
「まぁ、いいですわ。それはそれとして、とりあえず成人の儀の後のパーティにはルークのパートナーとして出席していただきますから」
「な、ナタリア!?」
 ティアの、裏返った声が上がる。まるっきり寝耳に水と言った風だ。
 ――――― その日はルークにとっては社交界デビューの日と言うことになる。
 親族でも婚約者でもない女性がその隣に立つと言うことになれば様々な憶測が駆け巡ることは必須だ。
 それを重々承知の上で、ナタリアは嫣然と微笑んだ。
「ルークには正式な婚約者が居りませんし、面識のある年頃の女性は限られています。ですから私の友人であり彼の旅の仲間でもある貴女を推薦しておきましたの。今日はその為のドレスの採寸も兼ねておりますのよ」
「わ、私はドレスなんてそんなっ……」
「パーティには正装が付き物ですわ。きちんとしたものを仕立てるようにと叔母様から言い付かっておりますの。観念なさい」
「ちぇー、いーなー、ティアは」
「あら、貴女もですわよ。このご時世ですからあまり華美なことはできませんが、貴女方は国賓ですから」
「ホント!? やったぁ!」
 アニスは無邪気に喜んでいるが、なんだかとんでもない展開になってきたような気がする。
 頭がくらくらするのを感じながら、ティアは密かな溜息を落とした。

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 もう少し+してからあげようと思っていたのですがやっぱり長くなりそうなので一度あげることにしました〜。
2010.03.04

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