タタル渓谷より帰還して二週間。 ルークはバチカルの屋敷にてほぼ軟禁生活を送っていた………と、言っても嘗てのように本当に軟禁されていた訳ではない。 ルークとアッシュの帰還により、成人の儀は一度中断され、一ヵ月後に仕切り直しとなった。 その彼らを待っていたのは、ジェイドによる数日間にも渡る精密検査と儀式に向けての、ひいてはその後に控えた社交界デビューに向けての礼儀作法、貴族社会に関する知識、ダンスレッスンetc.だった。 そんなのいらねーと一度は突っぱねたルークだったが、ただでさえ小さな人なのに、空白の二年間の間にもう一回り小さくなって見えてしまった母に悲しそうな顔をされては到底逆らうことができなかった。 勿論叩き込まれたのはそれだけではない。 現在の世界情勢、ルーク達が戻ってくるまでの二年間の世界の流れ………こちらを詰め込むことに関しては、ルークにも異論はなく………結果として1、2度王城に足を運んだ以外は殆ど屋敷から出ることができなかったと言う訳である。 悔しいのは十年近くもファブレ家を離れていたはずのアッシュが、幼い頃叩き込まれた作法やダンスやらをそこそこ覚えていて、その辺りに関しては簡単なおさらいのみで開放されたことだ。 しかもタタル渓谷でルークが皆に迎えられた時、アッシュのことを話すのが遅れて、結果スピノザに発見されてバチカルに送り届けられたことを根に持っているのかことあるごとにちくちくやられる。 と言っても以前のような相手を否定する為の、傷つける為のそれではなく、ただの八つ当たりのようなものだとわかっているから甘んじて受けてはいるのだが、それなりにストレスがたまる。 向こうは開いた時間を使って城のナタリアのところに足を運んだり、ダアトに行って正式に神託の盾騎士団脱退の手続きを踏んだりとあちこちを回っているのを知っているから尚更だ。 (……ずるいんだよなー、アイツ……) 「………ルーク? どうかした?」 ぼんやり考えていたら訝し気に声をかけられて、ルークははっと顔を上げた。 「…………あ、うん、悪ィ、ちょっとぼーっとしてたかも」 目前には仕事でバチカルに来たついでに様子を見に寄ったというアニスと、死ぬ気で休暇をもぎ取ってきたと言うガイが居て。ファブレ公爵邸の応接室で久し振りにのんびり午後のお茶の真っ最中だ。 出歩いていたら入れ違いになっていたかもしれないから、これはこれで良かったのかも知れない。 「ちょっとー、人がせっかく顔を見に来てあげたってのに酷くなーい!?」 アニスが腰に手を当ててぶぅと唇を尖らせる。 「俺も大変だったんだから勘弁しろよ、ここ2週間で2年間にあったこと詰め込まれてたんだぜ。その上ダンスがどうの行儀作法がどうの………」 そう言ってルークははぁぁと深い溜息を吐いた。 「そういや、ここ2年の記憶はないんだったか」 じっとしていることが苦手なルークにとっては苦行だっただろうと、何年経っても相変わらず兄貴分なガイがフォローに入る。 「ん、なんかぼんやり、地殻みたいな、何色かよくわかんねー、なんにもねー空間を漂ってたような気はするんだけど………」 漠然と、長い時間が経っている感覚はあった。 ローレライの声が聞こえて、ティアの譜歌が聞こえて、投げ出されるような感覚を覚えて。 気がつくととんでもなく高いところからアッシュと一緒に落ちて行くところだったような、気がする。 そうしてティアの歌に引き寄せられるように、タタル渓谷に降り立ったのだと………思うのだけど、その辺りのことはどうにも曖昧だ。 (アッシュにも確認した方がいいかな…………) 「………ローレライがあなた方の肉体を再構築してくれた、というところですかねぇ」 自分とは違うことを覚えているかもしれないしとぼんやり考えたところで、のんびりとした口調に聞こえるのにどこか鋭い、ここで聞こえるはずのない声を聞いて、振り向く。 応接室の入り口に立っていたのは間違うことなく嘗ての仲間でありマルクト軍将校であるジェイドだった。 「…………ジェイド? 何でここにいんの?」 思わずそんな声を上げたら、芝居がかった仕草で肩を竦められた。 「やれやれ、私が様子を見に来るのは意外ですか? これでもあなた方の身体を気にかけているつもりなんですがねぇ」 「や、別にそう言う訳じゃ。忙しいって聞いてたからさ」 ジェイドのそれは、ガイ達のそれとは若干ベクトルが違っているが、それでもルーク達の………主にレプリカであるルークの………身体を気にかけてくれているのは確かだと思う。 だが忙しくてなかなかグランコクマを離れられないと先程ガイに聞いたばかりだったから、そんな反応になってしまった。 それを察してか、ジェイドはにっこりどこか腹黒い笑みで嬉しそうに笑った。 「バチカルへの使者を代わって頂きまして、インゴベルト陛下にお会いしてきたところです。ガーイ? 仕事を休まずともこう言う方法もあるのですよ?」 ここまで案内してきたらしいメイドに軽く礼を告げて、勝手に応接室に入ってきたかと思うと悠然と隣に腰を下ろした男に、ガイは嫌そうに眉を顰める。 「俺だってたまにはブウサギから解放されたいんだ!」 「………お前まだブウサギの世話係やってんのかよ」 「…………アレからまた増えてなー……」 何だか遠い目をしている心の友兼使用人に胡乱な目を向けつつ、ルークは新たな客人にお茶をと彼を案内してきたメイドに言いつけた。 すらりとした身体付きに派手ではないもののどこか品のある整った顔立ちを持つ、どっからみてもイイ男の幼馴染は、けれど人がいい所為か意外に押しに弱く貧乏くじを引きやすい体質だ。 それに比べて薄い眼鏡のレンズの奥で笑う赤い瞳の中年………とてもそうは見えないが………は相変わらず要領がいいと言うか、小狡いと言うか。 「もー、大佐ってばちゃっかりさんですねぇ」 「はっはっは、アニスこそ流石ですねえ、貴女も仕事のついでだと聞きましたよ?」 「アニスちゃんは一応譲れる仕事はティアに譲ろうと努力してるんですよぅ?」 にこやかに、限りなくわざとらしく笑いあう相変わらずの二人に苦笑を浮かべつつ、少し冷えて飲み頃になったカップを取り上げて………ルークははたと、眉を顰めた。 「……なんでそこで、ティアが出て来るんだよ」 気持ちを落ち着けるよう一口含んで、カップをソーサーに戻す。 「だってルーク、ティアのこと好きじゃん?」 「…………ぶはっ!!」 告げられた予想外のアニスの台詞に、ルークは思い切り飲みかけの紅茶を噴き出した。 「うわ汚っ!! ちょっとルーク! かかったらどーすんのよっ!!」 「お、おいルーク、大丈夫か!?」 慌ててそれを避けたアニスが、ちょうどお茶を運んできたメイドに何か拭く物をと求めていたのだって、目に入らず、ガイの慌てた声も耳に入らず、ルークは背中を丸めてげほごほと盛大に咳き込んだ。 思い切り気管に入ったらしい。 「………なっ、何でお前がそれを知ってんだよ!!」 一頻り噎せた後、カップを手に取り中身をぐぐっと一気に飲み干し喉を落ち着けたルークは、身を乗り出してアニスに詰め寄った。 あの時、ティアに思いを告げた時、あそこに居たのはティアと自分だけだったはずだ。 (………まさか、立ち聞きされてた……!?) だとしたら、相当恥ずかしい。 少なくともガイ以外はアルビオールでケセドニアに向かっていたはずで、ああでもひょっとしたらアニスがこっそり残っていたとか、そんな想像までしてしまったのだけれど。 「なんでって…………バレてないとでも思ってたの?」 一瞬きょとんとした表情を浮かべたアニスが、それからにやにやと嬉しそうな、けれどどこか性質の悪い黒い笑みを浮かべるのがわかってルークは反射的にごくりと喉を鳴らした。 「立ち聞きなんてしてませんよ? 流石に2年ぶりの再開を邪魔するのは無粋ですし、何よりナタリアがそう言うことを許しませんからね」 ああ、確かに潔癖なきらいのある彼女のことだ、それは阻止してくれるだろう、なんて思って。 「………お、お前は超能力者かなんかか!!」 それからまるで思考を読んだかのようなジェイドの台詞に気付いてルークは裏返った声を上げた。 「いえいえ、まさか。貴方がわかり安すぎるだけですよ」 ニヤニヤ、ニコニコ笑う二人の隣で、異論はないらしくガイも苦笑を浮かべている。 (……………どこで、いつバレた………?) あの戦いの最中も散々からかわれたが、決定的な証拠となるものは何もなかったはずだ。 そう思って、それからその証拠になりうるものの存在に気付いてルークはがたんと派手な音を立てて立ち上がった。 「………日記!! そういや俺の日記は!?」 帰ってからどたばた続きですっかり忘れていたが、あの頃つけていた日記はどうなっただろう。 アレには相当ヤバイ、相当赤裸々な言葉が綴られていたような気がする。 けれどそんなルークを見てアニスはぶぅぶぅと不満気な声を上げた。 「言っとくけど私達、人の日記を勝手に見るようなマネしてないからねー?」 「死んだ人間ならともかく、帰ってくると約束した相手の日記を勝手に読むものじゃないってティアが主張してな。結局シュザンヌ様に預けたんだ」 ガイが苦笑交じりにそう言って、それに安堵と僅かな歓喜を覚える。 彼女が、信じてくれていたことに。 「じゃ、じゃあなんで………」 しかしそれならなんで、と呟くルークに、ジェイドは溜息にも似た息を漏らして肩を竦めた。 「アレだけ垂れ流しておいてどうしてバレていないなんて思えるんですかねえ……」 「ルークってば顔に書いてあったモンね〜、ティアが大好きです〜って」 きゃわーん、とどこか嬉しそうな声を上げたアニスが顔に両手をあてて身体をくねらせて。 ぶわっと先程の比ではなく一気に顔が赤くなった。 (ソレってなんだ、バレバレってことか!? まさかティアにもとっくにバレてた……!?) 焦るルークの思いを見越したように、ガイが苦笑を浮かべる。 「気付いてなかったのはお前達当事者だけだったと言うわけさ。ティアも相当鈍いからな」 それを聞いて、ルークは半ばほっとして椅子にへたり込んだ。 一応、彼女にはばれていなかったらしい。 「恥ずかしくて死にそーだ………」 それでも必死で隠していたつもりだったのに、駄々漏れだったらしいと言うのを知れば力も抜ける。 長くなった髪をぐしゃりと書き上げて、ルークは頭を抱えた。 一度短いのに慣れてしまうと鬱陶しくて、後姿でアッシュと間違われることも多くて、だから切ってしまおうと思ったのだけれど、せめて成人の儀まではと止められていて切ることもできないそれがさらさらと指の間を零れ落ちた。 ――――― 耳が熱い。 多分今、顔を上げたら髪と同じぐらい赤くなってるんじゃないかと思う。 「…………私はいいことだと思いますよ?」 それにしてもなんだってこんなに弄られなくてはならないのか、ぶちぶちと愚痴を連ねるルークの耳に、それまでの揶揄るようなものとは違う、落ち着いた声が降ってきて。 ルークは片手で頭を抱えたままそろりと顔を上げた。 ジェイドの普段は血の様に冷たく暗い赤が、少しだけ柔らかく微笑んでいるような気がする。 「前に話したことがあったでしょう。私は人の死を理解することができなかった………恋愛感情と言うものも、正直いまいちよくわからないんです。ですからそれを貴方が理解していることは良いことだと思いますよ」 運ばれてきた紅茶を受け取り、それを口に運ぶ優雅とも言える所作を見つめながら、ルークはのそのそと上体を起こした。 恥ずかしくて仕方が無かったけれど、何となく誤魔化してはいけないような気がする。 「………俺、そんなに難しく考えたことねーよ。だた、なんつーか……その、好きだなぁって思う、だけで」 口の中でもごもごとではあるが、そう言って。 (あーもー、何言ってるんだろうな俺………) それでもやっぱりなんだか居たたまれなくなって。 視線を落として空になったティーカップを捏ねくりまわしながら、内心で落ち着け自分と何度も繰り返す。 「……それでいいんじゃないですか? 感情と言うものは所詮主観です。貴方がそう思えばそうなんでしょう。下手に論理づけて解明しようすると私のようになりますよ?」 ジェイドはそんなルークにおどけた様に肩を竦めて見せて、それから口元に何時ものような人を食ったような笑みを浮かべた。 「あ、言っておきますが実感としてわからないだけであって、感情の機微に疎いと言う訳ではありませんよー? 人を動かすのにも人をからかうのにも重要なことですから」 なんか今、さりげなくとんでもないことを言われた気がする。 「てゆーか今更すぎー。あの時なんで私達がティアと二人きりにさせてあげたと思ってるわけぇ?」 その上アニスに気付いてたからに決まってんでしょ、なんて鼻で笑われてしまった。 「………ティアとの約束の為に帰ってきたんでしょ、このこの〜v」 「なッ………」 わざわざ立ち上がり、回り込んでぐりぐりと肘で押しやってくる彼女にまた顔が赤くなるのがわかる。 ああ、何だか負けっぱなしだと思うのだけれど。 ――――― それは決して、嫌な感覚ではなかった。 「………や、それは、うん……あの約束がなきゃ俺は俺で居られなかったと思うし……あの約束があったから帰って来れたんだと思う、けど」 「…………けど?」 予想外の言葉を聞いた、と言うように旅をしていた頃のティアと同じ年齢になっているはずなのに、あの頃と殆ど変わらないくるくるとよく動く榛色の瞳が見開かれる。 「でも多分、そういうのひっくるめてさ、生きる為に帰ってきたんじゃないかなって」 (…………あぁ、だから嫌じゃないんだ) 全部、自分が生きていると言うことの証明のようで。 だから、八つ当たりだってからかわれるのだって、そんない嫌じゃない。 「………言うようになったじゃないのこの七歳児が〜!」 そう思って笑ったルークに、一瞬言葉を失ったようなアニスが、けれどすぐにぐいぐいと先程以上の力を込めて押しやってきて、椅子から落ちそうになりながらルークは今度はげらげらと声を上げて笑った。 「あははは、ちょっ、アニス! 落ちるって!」 「でぇ、ティアとはどーなったのよ、ちゃんと告白したわけ?」 大きな目を輝かせて詰め寄ってくるアニスに、ルークは慌てて立ち上った。 壁に張り付かんばかりの勢いで後退って、裏返った声を上げる。 「だっ、だからなんでそういう方向に行くんだよッ!!」 「してないワケ!? 信じらんない! 何の為に二人っきりにしてあげたと思ってんのよ!!」 「やー、それは流石に呆れますねえ。ガーイ? いつまでも二人の邪魔をしてたんじゃないでしょうね?」 「お、俺はルークが落ち着いたらすぐ席を外したぞ!」 …………お前ら全員グルか。 思わずちょっとばかり溜息を吐きたくなってしまった。 応援してくれていると言うのはわかるのだが、わかるのだが、それにしても。 「ティア鈍いし、ちゃんとガツンと言わなきゃ駄目だよ! なんなら告白の台詞考えてあげようかぁ?」 小悪魔モードスイッチオンだ。完全に楽しんでいる顔になっている。 2年経ってもルークがアニスの玩具と言う構図は変わらないらしい。 「イラネェよ! つーか出来なかったとか勝手に決め付けんな!!」 思わず叫んで、それからルークははっとして三人を見た。 驚いたようなそれが徐々に、ニヤニヤ、ニヨニヨ、何とも言えないものに変わっていく。 ルークはまた顔が赤くなってくるのを自覚しながら、せめて表情の変化を抑えようとぐっと唇を噛んだ。 「きゃわーん! やったじゃないルーク!! で、どーだったのティアの返事は!!」 「まぁまぁ、聞かなくってもわかってるんじゃないか?」 きゃぁきゃぁと黄色い悲鳴を上げながら詰め寄ってくるアニスを宥めるガイは、なんだか物凄く嬉しそうな顔をしている。 (何でお前が嬉しそうな顔してんだっつーの………) そう思って、それからルークははたと動きを止めた。 さーっと、赤かった顔から血の気が引いてゆく。 「…………まさか、フラれたのか!?」 「まっさかぁ! んなわけないじゃん!!」 それに気付いたガイが驚愕の声を上げて、アニスもウソッと高い声を上げる。 (………イヤ、それほど驚くことでもねーと思うけど、つーか、それ以前に………) 今更、それこそ今更、とんでもないことに気付いた。 「あ、いや………その………言ったけど、言った……だけ、っつーか……その……」 「………まさか、返事を貰うのを忘れた、と?」 ボソボソと口篭るルークに、ジェイドが珍しく驚いたような声を上げた。 「…………」 こくりと赤い頭が上下する。 あの時は何だかもう、ティアに想いを伝えられただけで胸がいっぱいで、ティアが差し出した手を握り返してくれただけでこの上なく幸せで。 だから、それ以外のことなんてこれっぽっちも考えもしなかった。 そういえば普通、告白をしたら、返事を貰うものではないだろうか。 「………ちょッ、アンタなにやってんのよぉぉ!!」 ――――― ファブレ公爵邸の応接室に、アニスの怒号が響き渡った。 ― NEXT ―
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さー書きたかったED後話第2段の1話目です。あれ、ティアが居ない……(笑)。 ALLキャラでわいわいやっていく予定です。 ジェイドの恋愛観としてはうちではあんな感じです。 自分とは関係ないものとして捕らえると言うか、理論としては理解していると言うか……。 子供の頃ネビリム先生に持っていた感情がもうちょっと育ったり形を変えたら違っていたのかもしれないと思いつつ、けれど育たないままそんな感情とは無縁になってしまった自分を無駄に冷静に認識してそうです。 …………アレ、そんな大佐も書いてみたい(笑)。 死ぬまでずっとピオニー陛下(とディスト)と一緒に居るんだろうとは思うのですが(笑)。 ヒヤシンスの花言葉 「 初恋のひたむきさ 」 |