泣かせて、しまった。 青い瞳が涙を堪えようとするかのようにぐっと大きく見開かれて、薄い唇が悔しそうに引き結ばれていた。 それでも堪えきれずに溢れた涙がほんのり赤みを帯びた頬を伝って……。 「……………」 頭の中で何度もリフレインする光景にスピット・ファイアは緩く頭を振った。 泣かせるつもりはなかった、泣かせたくなんかなかった。 だから何よりも大切にしてきたつもりなのにどうにも上手くいかない。 こんなことは初めてで、でもそれがいっそう愛しさを募らせる。 ……相手はまだほんの子供だと言うのに。 サイドボードの時計を確認して、低い溜息を吐く。 「………そろそろ帰ってくれたかな」 あれから一時間近くが経過していた。 一向に扉の開く気配はないし、第一初めから彼が来るとは思っていない。 (………カズ君、小心者だしね……) さっきは随分と頭に血が上っていたようだが、一人でゆっくりシャワーを浴びれば気持ちも落ち着くはずだ。 そうなれば自分で扉を開けることは出来ないだろうと思ったからこそ、出た言葉だった。 真面目で一生懸命で、いきがっている癖に気が弱くて……流されやすい。 そう言うところも全部可愛いと思うのだが、だからこそ尚のこと、流してしまいたくはなかった。 (………後悔、させたくないし……) どれだけ大人ぶって見せようとしても、葛馬はまだまだ子供だ。 髪を染めているとか、頭が小さくて等身が高いすらりとした身体付きをしているとか、異国の血が入っているのだろう整った大人びた顔立ちをしているとか、同年代の子供より幾らか大人びた見て呉れをしている。 けれど、それでもスピット・ファイアに比べれば余りに華奢で小柄だ。 中身に到っては同年代の少年達より幼いぐらいだろう……無論性格のことではなく、恋愛方面に限ってのことだ。 男性経験はもとより女性経験もなく、キスだってスピット・ファイアとしたのが始めてだったらしい。 友達と猥談に花を咲かせることはあっても、それをどこか絵空事のように捕らえているようなところがある。 (せめて身体が出来上がるまでは待つべきだよねぇ……) 男の身体は受け入れるようには出来ていないから、きっと負担を強いることになるだろう。 心にも、身体にも。 ……壊してしまいそうで、怖い。 大切にしたいのに、一度手を伸ばしてしまえば手加減をする自信もなかった。 (…………余計なこと言っちゃったかなぁ……) 次に会う時、彼はどんな顔をしているのだろうか。 気まずそうな顔? 恥ずかしそうな顔? それとも逃げ出したそうな脅えた顔? そんな顔しか想像できなくて、深い呼気を吐くと共に掌で自身の顔を覆う。 理性では葛馬を帰すべきだと思っているのに、どこかで堕ちてきて欲しいと思う自分が居るのも確かで。 思わず零れてしまった台詞を後悔せざるを得なかった。 (………情けない……) 初めての本気の相手に、スピット・ファイアも振り回されている。 ただ、葛馬よりそれを隠す術に長けているに過ぎない。 「後でメールしておかないと……」 まだまだ修行が足りない、なんて思いつつ、暇潰しに広げていた雑誌をベッドに投げ出してスピット・ファイアは広い寝台を降りた。 ベッドサイドランプの小さな明かりのみが光源の薄暗い室内を抜けて、扉を開ける。 対照的にリビングには煌々と明かりが点いたままで。 眩しさに目を細め一歩踏み出した、その、足元に。 「うわっ!?」 ごそりと動くものがあって、スピット・ファイアは裏返った声を上げた。 ……まったく気配を感じなかった。 「………カズ、君……どうして……」 寝室の扉のすぐ脇に、体育座りで膝を抱えるようにして、ぶかぶかの寝巻きを着た葛馬が座り込んでいる。 途方に暮れたような表情で上げられた青い瞳が僅かに潤んでいた。 「………ぉま、えが………こい、つったんじゃん……」 「……どういう意味かわかってるの?」 努めて平静な声で問えば、おずおずと小さな頭が上下に動く。 「………どうして?」 「……って、今逃げたら、ずっと、出来ねー気が、すっから……怖くねぇっつったら、嘘に、なっけど……」 だから扉を開けることまでは出来なかった、とぼそぼそと聞き取り辛い小さな声で告げて葛馬は自身の膝に視線を落とす。 「それに、その……お前が……わざと俺のこと、帰らそうとしてるの、わかったし……」 「……………」 スピット・ファイアはその言葉に驚いたように目を瞬かせて、それからずるずるとその場にしゃがみこんで自身の頭を抱えた。 普段あれだけ鈍い癖に、どうして気付いて欲しくないことにだけ気付いてしまうのか。 (いや……本当は気付いて欲しかったのかな……) 自分でもよくわからない、けれど。 ………それを見抜かれていた? 「……………」 「……スピット・ファイア?」 そのまま黙り込んで動かなくなってしまった相手に葛馬は不安そうな視線を向けた。 俯いて頭を抱えた男の肩が微かに震えているのに気付いてそろりと手を伸ばす。 「…………ぷっ……」 途端、予想もしない音が漏れた。 肩の震えがだんだん大きくなって、音も大きくなって。 「わ、笑うなよッ!! 俺は真剣に考えたんだぞっ!」 相手が笑っているのだと気付いて、葛馬は顔を真っ赤にして男に掴みかかった。 恥ずかしいやら居た堪れないやらでじんわり浮かんでいた涙も瞬く間にどこかに吹っ飛んだ。 殴ろうと掲げた腕が簡単に受け止められてますますムカつく。 「………ッ、ごめん、ちょっと、色々、予想外で……っくく……」 笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭い取り、スピット・ファイアは顔を真っ赤にしてもがく葛馬の細い身体を抱き込んだ。 「……ごめんね。どうやら僕はカズ君を見縊っていたみたいだ」 「え、っ……!?」 意味がわからなくて、問い返そうと口を開いたところに口付けられて言葉が切れた。 「………ふっ……んッ!?」 ちょっと久し振りかもしれない深いキスにくらくらする、と思ったら何のことはない、ホントに揺れてた。 スピット・ファイアが背中と膝の下に腕を差し入れて葛馬を抱き上げたのだ。 「……折角逃がして上げようと思ってたのに」 整った顔が近づいてきたかと思うと愛おし気な声が、どこか陶然とした音を漏らす。 鼻先で鼻梁を辿るみたいにされて、擽ったいやら恥ずかしいやらで葛馬は思わず再度目を瞑ってしまった。 それでも懸命に、恥ずかしいのを堪えて相手の首に腕を回す。 「………逃がさないって、言ったじゃん」 「……うん、そうだね……愛してるよ」 極々小さな声に、スピット・ファイアは嬉しそうに目を細めた。 |
長い闘いだったね、と言われました(笑)。 スピがカズ君を攻め落としたというよりカズ君がスピを攻め落としたような…(笑)。 実際ここまで4ヶ月かかっていないのですが量が量なので長かったなあと言う気がします。 当初の予定と色々変わったりぐるぐるしつつ……もう少しで一区切りです。 よろしければ最後までお付き合いくださいませ〜。 |