視界の下を通り過ぎていく白いニット帽を見送って、アイオーンこと左安良は薄く目を細めた。
 創生神のトップであるシムカに子烏達の……否、南樹の世話係に任じられたものの、肝心の樹は巻上女史の病院に入院中で。
 未だATを履くことのできない牙の王と彼の穴を埋めるべくアイオーンもベンケイと共に彼らの助っ人として参戦することになった。
 その際、樹に変わって子烏丸のリーダーとなったのがウスィーのこと美鞍葛馬。
 スピード系ライダーでEクラスでありながらアイオーンのトリックを見破り、指一本とは言えそれに反応して見せた男……否、子供と言った方がいいか。
 外見は実年齢より幾らか年嵩に見えないこともない。
 だが中身はプレッシャーに負けてバトルに負けて涙を零すような普通の中学生だ。
 ……そう、負けたのだ。
 ありえないことに創生神に戦いを挑もうと言うチームが、幾ら主力抜きとはいえあれだけのお膳立てをした上で、あの程度の凡庸なチームに。
 彼らのことをそれなりに評価していただけにアイオーンにとっても、否、おそらく誰にとっても予想外のことだった。
 その後の眠りの森の一件でも、彼は全く、足を踏み出すことさえも出来なかった。
 所詮ここまでだったのかと、思った。
( ――― けれど彼は、甦った……)
 さながら燃え盛る炎の中から新たなる身体を持って甦る不死鳥のように。
 ……彼が炎の道を顕現したと聞いた時は耳を疑った。
 そしてあの男に ――― 。
 炎の王、スピット・ファイアに後継者として目されていることを知った時も。
(………何故、私ではなく)
 確かにそのスピードといい観察眼と言い一般のライダーに比べれば秀でている。
 だが時の支配者の異名を取るアイオーンや、炎の王スピット・ファイアとは比べるでもない、ごく普通の中学生だ。
 手足はすらりと長く顔が小さい所為で背が高く見えるが実際には170に満たないぐらいだろうか。
 すっきりと整った顔立ちで小さな卵形の顔にバランスよくパーツが収まっているが、それだけに逆にどこといって特徴もなく印象が薄くなるのかもしれない。
 ……異国の血が混ざっているのか瞳が青いのが特徴的ではあるのだけれど、それも遠く離れていては気付きようがないだろう。
「……なんだよ、俺の顔何かついてっか?」
「…………何でもありませんよ」
 視線に気付いてこちらを向いた少年が訝る様に眉を顰めるのを見て取り、アイオーンはそう言って人差し指で眼鏡のブリッジを押し上げた。
 ……身長166cm、体重51kg。14歳、A型。
 家族は両親と姉、ペットのチワワが一匹。
 現在は両親が海外赴任中の為大学生の姉と二人暮らしをしている。
 極普通の家庭に育ったように見えるが、だからこそ尚、どこか違う次元に立つ樹に惹かれたのだろうか。
 それとも自分の ――――― アイオーンの知らない何かがあるのだろうか。
 豚……もとい、オニギリ少年と二人、いつも南樹の後を付いて回っている、そんな印象が強い。
 性格はまぁ、子烏丸にあってはどちらかと言うと真面目で良識人と言えるだろう。
(もっともこの面子にあっては大抵の人間が良識人になるかもしれないが……)
 不良ぶって見せてはいるがそれも彼らの年頃にはよくある悪ぶって見せたい衝動に過ぎず、ATに夢中になってからは煙草も喧嘩もやめたらしい。
 小心者で臆病で、アイオーンからすればたわいない存在だ。
(……そう、たわいのない……ただの子供だ)
 なのに何故、これ程にも気に障るのか。
「なんでもないって面かよそれが!」
 不機嫌そうな表情を隠しもせずにこちらを見上げてくる、綺麗に青く透き通った彼の瞳を見下ろしてアイオーンは僅かに目を細めた。
「………例え何かあったとして。何故それを私が貴方に話さなければならないのですか?」


「………最近アイオーンの野郎が妙に突っかかってくんだよなー……」
 ちゅるんとスピット・ファイアお手製のパスタを吸い込んで、葛馬は僅かに唇を尖らせた。
 トマトの酸味と甘みを存分に味わってもう一口。
 たっぷりかけたパルメザンチーズの香りが香ばしくてそれだけで嬉しくなってしまいそうだ。
(……そういやこうやって一緒にメシ食うのにも随分慣れたよな……)
 慣れてしまうのもどうかと思わないでもないのだが彼の手料理は自分の作る拙い料理よりずっと美味しいし、一人で食べるより二人で食べた方がずっと楽しい。
 だから姉の帰りが遅い日はこうして彼の部屋で手料理をご馳走になるのがお約束になりつつある。
 今日のメニューはフレッシュトマトとナスのボロネーゼとグリーンサラダ、カボチャのポタージュスープ。
 一人の時はついついコンビニ弁当やカップ麺に手を伸ばしがちな葛馬の食生活に配慮した野菜多めのメニューだ。
 その気使いが嬉しいような、子供扱いが悔しいような。
「……左君が? あぁ、トマトソースだから零さないように気をつけてね?」
「ガキじゃねーんだから大丈夫だってーの。……ん、あーでも突っかかるってのともちょっと違うかなぁ。あーゆー言い方はモトモトって感じだし……」
 僅かに目を見張る男の様子に、それほど驚くことだっただろうかと僅かに首を傾げて口いっぱいに頬張ったサラダを咀嚼する。
「でもなんか態度ヘンなんだよな。見られてる感じがするっつーか……つか今まで俺なんかアウトオブガンチューだったワケじゃん? 急にガン見されても怖いっつーか調子狂うっつーか、スゲー気になんじゃん?」
 オレンジジュースのグラスに手を伸ばしながらちらりと視線を向けた葛馬はスピット・ファイアが何やら思案するような表情を浮かべていることに気付いて言葉を切った。
(あれ……?)
 スピット・ファイアはいつも葛馬の事を聞きたがる。
 樹達との下らないやり取り、学校での出来事、ATのこと……まるで葛馬が話すことそのものに意味があるみたいに。
 始めは何を話せばいいかわからなかったけど、大して意味があるとも思えない葛馬の話をにこにこと幸せそうに聞いているのを見ているとこっちも何だか嬉しくなって、何時の間にかそれも当たり前になっていた。
(……なんか、あんのかな……)
 二人でいる時にスピット・ファイアが気を散らすのは珍しくて、何だか落ち着かなくて。
 温かいスープを口に運びながら葛馬はぼんやりとアイオーンこと左安良のことを思い浮かべた。
 ――――― 尊大、傲慢、傍若無人。
 そんな単語が次々に脳裏を過ぎる。
 勿論それに見合う実力はあって、自分なんか足元にも及ばないのだけど、しかしああもあからさまに格下扱いをされればムカつきもする。
(まぁ気にしても仕方ねえし、そろそろ慣れたけど……)
 と言うかああ言う性格と言うか、スタイルと言うか、そういうものなのだろうと思うことにした。
 でないとストレスが溜まりそうだったからだ。
(……気には、なるんだけどなぁ……)
 どうにか聞き出したいと思ってもアイオーンに口で勝てる自信はない。
 何せ口喧嘩に関しては葛馬は間違いなく子烏丸最弱だ……サポーターの女子連中とはハナから勝負にならないし、イッキとオニギリには勢いで負ける、ブッチャと咢には理屈で負ける。
 何だか悲しくなってきて、葛馬は視線を落としてフォークでパスタを突いた。
(………んっと、情けねぇ……)
「…………」
 葛馬の視線が落ちるのを見て、スピット・ファイアはすっと目を細めた。
 表情が消えると秀麗な面持ちと相俟って酷く冷たい印象になる。
 普段葛馬が目にすることはあまりないがこれもスピット・ファイアの持つ幾つもの顔の一つで、むしろ彼の本質により近い表情なのかもしれなかった。
(……イネに何か聞いたか……或いは自分で気付いた、か……どちらにせよ、少し様子を見ておく必要があるかな……)
 懐かしい顔を思い浮かべ、頬杖をついて思案する。
 スピット・ファイアが今目の前で項垂れている少年を後継者と目していることを知るものは自身の調律者であるイネや同じ王であり近い立場にいる鵺を含む数人だ。
 だがアイオーンはその彼らと言葉を交わせる立場にいるし、炎の玉璽レガリアへ並々ならぬ関心を抱いてる。
 勘も悪い方ではないし、気付いていたとしてもおかしくはない。
(自他共に認める、って感じだったものねぇ……)
 嘗て……否、今でさえ事情は知れど内情は知らない世間一般の目は彼に向いている。
 ――――― 彼こそが次の炎の王に相応しい、と。
 認めていなかったのは、当の炎の王であるスピット・ファイアだけだ。
 確かに技術も、センスも左の方が葛馬よりずっと上だろう。
(………でも大事なものが足りないんだよねぇ……)
 葛馬にあるがむしゃらさが。
 仲間や、ATへの思い入れが、アイオーンには足りない。
 実際にはアイオーンは世間一般が思っている程、冷静ではないしどちらかと言うと激情家だ。
 だがそれを良しとしない、物分りのいい大人を演じようとする傾向がある。
 なまじ頭が良い分、理詰めで行動し自分の分を弁えてしまうのだ。
 それは決して悪いことではないのだが、スピット・ファイアから見ると少し物足りなかった。
(育った環境も大きいんだろうけど……)
 今は間接的にではあるが同じ組織に所属しているし、その上随分と古い付き合いだ。
 ―――― けれど、直接言葉を交わすのは随分と久し振りになるはずで。
 スピット・ファイアは複雑な思いを胸に、低い息を吐いた。
 嘗てはチームメイトとして、師匠と弟子のような関係であったことさえある。
 まだ若かった彼は毛を逆立てた猫の様に周りに噛み付いて爪を立ててばかりいたが、その癖乾いた砂のように貪欲に知識を吸い込んでみるみるうちに上達していった。
 その裏腹さが如何にも幼くて微笑ましくもあって……。
「ぅわっ!」
 思考の海に沈みかけたスピット・ファイアの意識を引き戻したのは葛馬の小さな悲鳴だった。
「っと、カズ君? どうか……」
 したの、と言いかけて。
 葛馬がなんとも気不味そうな、困ったような表情で自身の胸元を見下ろしているのに気付いてスピット・ファイアは言葉を切った。
「………」
 白いパーカーにべったり輪切りのナスが張り付いているのが見えたからだ……どうやら突いているうちに手が滑ったらしい。
「ティ、ティッシュ! ティッシュ!!」
 慌ててボックスティッシュを掴み、それでナスを回収した葛馬だったが、急いだからと言ってそれが無かったことになるわけでもなく。
 白いパーカーには見事に無残な赤い楕円形が刻まれていた。
「……えっと、その……ご、ごめん……」
 じぃっと、静かに見つめてくる視線に耐え切れず俯きながら葛馬は小さく呟いた。
 最初に気をつけてね、と言われたはずだ。
 それに子供じゃあるまいし、と反論したのは記憶に新しい。
(なのにこれかよ……)
 いくら考え事に没頭していたと言ってもあまりにも情けなくて、じわじわと耳が熱くなってくるのがわかる。
 どうしたらいいんだろうと落ち着かなく視線を揺らす葛馬の頭上に予想外の台詞が落ちた。
「……カズ君、今日は泊まっていける?」
「………え、あ……うん……明日練習昼から、だから……」
 何で今、そんなことを聞くんだろうと思わず顔を上げた葛馬のまん前でスピット・ファイアは苦笑めいた笑みを浮かべていて、それでまた恥ずかしさが増した。
(うわー、呆れられてる。、呆れられてるっ!!)
 消え入りたい気分で再度俯きかけた葛馬の頭にふわりと男の大きな手が乗った。
「……じゃあ染みにならないうちに洗っちゃおう。大丈夫、明日の朝までには乾くよ」
「…………ハイ」
 困ったように、その癖どこか嬉しそうに微笑む男に葛馬は今度こそ、真っ赤になった顔を隠すように深く俯いたのだった。

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 いつかやりたいと思っていたアイオーン絡みネタです。
 諸事情により時系列はイッキ入院中のまま(笑)、少しづつ進めて行きたいと思いますのでよろしければ最後までお付き合いください〜。

2007.12.04

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